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オバケと愛の存在証明―こんなにも仙台駅は愛にあふれている

オバケと愛の存在証明

目に見えないものの存在を証明するのは難しい。

たとえばオバケとか、愛もそうだ。

「オバケがそこにいるよ」と言われても、霊感のない私には見えないからイマイチ分からない。

「愛してる、大好きだよ」と言われても、いっぱい花束やプレゼントをもらっても、疑い出したらキリがないし、心の中は証明のしようがない。

 

私は、母親からの愛情を疑っていた。

私は高橋家の長子に生まれ、両親と祖父母に大変かわいがられて育った。父方の祖父母にとっては長男の子で初めての内孫、母方から見ても初孫であり、両親も親ばかだった。

誕生日や七五三などの行事は盛大に行われ、食卓には私の好物がヘビーローテーションされ、テレビのチャンネル選択権は常に私にあった。

いつも一番に注目され、わがまま放題に甘やかしてもらえていた。私の人生で空前絶後のモテ期だったのではないかと思う。

女王の座を追われたのは、私が3歳のときであった。

妹が誕生したのである。

手のかかる赤ちゃんのせいで、「しっかり者のお姉さん」は物理的に構ってもらえる時間が少なくなった。

それよりも、家の「かわいいものランキング」のトップの座を奪われてしまったのは精神的にキツかった。

 

妹は神経質な赤ん坊だった。ミルクを受け付けず、母乳しか飲まない。離乳食になっても、食が細い。
(私のときは自分で哺乳瓶を持ってラッパ飲みしていたらしい。食い意地は生まれつきである。)

母親は一旦仕事を辞めて育児に専念するようになった。

私からすれば、おもしろくない。

それまで母親が働いている間は同居の祖母に面倒を見てもらい、出産前は母方の祖母宅に預けられていた。ずっと寂しい思いをしていて、やっとお母さんが帰ってくると思ったら、妹に独占されて全く構ってもらえない。

母親が妹に離乳食を食べさせるときは、一口食べるごとに褒めまくる。ヨダレをだらだらこぼして、ちっとも上手に食べないのにめっちゃ褒める。

私が行儀よくご飯を食べても当たり前なのに。

なんか悔しくて「わたしもちょうだい」と言ったが、赤ちゃん用なのでダメとあしらわれ、うらめしく見ていた。

母親と妹のワールドに入って行けず、除け者になった気分だった。今までは、私が一番に愛されていたのに。

甘えたい気持ちがある半面、長子特有のプライドがそれを許さない。泣いたり親にベッタリしたりするのは赤ん坊のすることであり、非常にダサいことである。

そこで「やっぱりお姉ちゃんはすごいね」と褒めてもらう方向性で頑張ることにした。私は3歳上なので色んなことが妹よりもちゃんとできる。

能力を適正に評価してもらえれば、絶対に私のほうが褒められてしかるべきである。

 

しかし、その作戦は裏目に出てしまった。

「お姉ちゃんだから大丈夫だよね」と放置され気味になってしまったのだ。

たとえば私が小学1年生になったときは「もう小学生なんだから、支度ぐらい自分でしなさい」。

それなのに、妹が小学1年生のときは「妹ちゃんはまだ1年生なんだから、できなくて当たり前でしょ!」

えぇっ…。

しかし、赤ちゃん返りするのもバカバカしいのでカッコつけ続けるしかない。

唯一チヤホヤされる方法は、おたふく風邪や水疱瘡をもらってきたり、風邪を引いてお腹を壊したりすることであった。

具合が悪くなると母親と一緒に病院に行ったり、家で看病してもらえたりするので病気のくせにテンションは上がっていた。

当時、わざとやっている意識はなかったが、今になって振り返ると明らかに気を引くために自分から病気になりに行っていたように思う。私なりに必死に親の注目を集めようとしていたのだろう。

と書くと私がかわいそうな子のようだが、八つ当たりで私からボコボコにいじめられた妹も災難だったろう。

 

上の子は放置気味、といっても決して虐待レベルではなく普通にちゃんと愛情を注いで育ててもらっていた。

ただ、その前の絶対王政時代との落差で愛情が減ったように感じていただけなのだ。

「自分と妹とどっちが好き?」 と母に聞いてみたときに、

「どっちも好きだよ」

と困ったように言われたのを覚えている。そんな答えでは不服も甚だしい。

二股をかけている男から同じセリフを言われて、心から納得して愛を感じられる女性がどのくらいいるだろうか。

圧倒的な一番、でなければダメなのだ。

それに、二人とも好きだと言いつつ母は明らかに妹の方をかわいがっていた。

親子4人で買い物なんかに行くと、父と私、母と妹に別れて行動するのが常であり、寝室に飾っている写真も妹のばっかりだった。

「愛してるかわいい娘なんだよ」

と、母は私に言ってくれる。学費や各種お祝いの形で表現してもくれる。何年も帰省しなければ心配してくれる。おそらく、本当に愛してくれているのだと思う。

それでも、私は愛されているという自信がないままだった。

妹に負けたのがコンプレックスとなり、大人になってからは恋愛でもよく失敗していた。

愛されている確信が持てず、必要以上に相手の気を引こうとしたり、どうしたら愛してもらえる自分になれるのか常に相手の顔色を伺ったりするような「構ってちゃん」だっだ。

その結果、重いと思われるか、都合の良い女扱いになるかになった。

 

すると、今度は容姿のコンプレックスも出てきた。

私は正直、顔は妹に負けると思っている。小さい頃、親戚のおじさんが、

「妹はお父さんとお母さんのパーツのいいとこだけ取ったな」

と言っていた。姉は…ということである。

私は地黒で一重で鼻筋もなくておまけにデブ。妹は色白で奥二重で、鼻筋があって、めっちゃ細い。

なんであの座礁したトドみたいな母から妹みたいなのが出てくるのか、本当に不思議である。

 

ブスだから愛されないんだろうか?

 

この疑惑は、まるで冷蔵庫の裏側に転がっていったキュウリのヘタのように心の奥底で腐っていき、長い間ずっとゴキブリのごときネガティブな妄想をおびき寄せ続けていた。

考えないようにしよう。見ないようにしよう。

私だってAKBには入れるほどじゃないけど、そこまでのブスじゃない…と思いたい。きっと好きになってくれる人ぐらいいるはずじゃないか。

そうやって目を背ければ背けるほど、冷蔵庫の裏はホコリが積もって腐海の森になっていった。

 

30年近く引きずっていたコンプレックスは、意外なほどアッサリと、ものの一瞬で解消されてしまった。

それは、オバケの存在を証明するのと全く同じことだった。

 

たしか高校の化学だか生物だかの先生が言っていたのだが、「オバケが存在しないこと」は証明できないらしい

なぜなら、あちこち探してオバケが見つからなかったとしても、誰かがどこかで一匹でもオバケを見つけたら否定されるためである。

「オバケは存在しない」という命題は、「一匹のオバケ」という観測事実によって反証される。このような命題を「反証可能性がある」と言うらしい。

絶滅したはずのニホンオオカミが出てきて捕まえたならそれで反証オッケーだが、オバケというそもそも見えない物の場合はそんなに簡単じゃない。

誰かに「オバケがいたよ」と言われただけでは、観測したことにならないからだ。

「オバケが存在しない」を反証するためには、自分でオバケを「体験」しなければいけない。

 

去年の12月の終わりごろ、私はボーッと仙台駅のペデストリアンデッキを歩いていた。(ペデストリアンデッキとは、駅の2階出口から八方に伸びる歩道橋のオバケである。)

平日なのにやたら子どもが多いなあ、そうか冬休みか。家族連れは帰省してきたか、帰省していくのか…。

そんな事を考えながら、周りでチョロチョロする小さな子ども、ベビーカーの上でふてぶてしく寝ている子ども、生意気そうな中高生を何となく見回した。

かわいいなあ…。

縁もゆかりもない、よその子どもがこんなにかわいく、愛おしいと思えるのは私にとって初めてのことだった。

 

次の瞬間、背筋にぞわぞわと何かが走り、胸が熱くなって涙がこみ上げてきた。

そうか、私はずっと愛されていたのだ、と。

よその子どもがこれだけかわいいんだから、自分の子どもがかわいくないわけがないじゃないか、と。

オバケが急に見えるようになって、そこらじゅうオバケだらけだったら、絶対に自分の家にも一匹や二匹はいると推察される。

同様に、自分の中に愛があふれたとき、「自分は愛されていない」が明確に反証されたのだ。

どんなに誰からも愛されていないっぽくても、たったひとつ自分の中に愛を見つけられれば、そこらじゅう愛だらけなことに気づける。

 

人から何百万回「愛してる」と言われても、自分の中に愛がない限り、自分から愛さない限り、愛を感じることはできなかった。

「愛が存在しない」を反証したければ、自分で愛を感じなければいけなかったのだ。

「愛されるためには、自分から愛しましょう」は、恋愛マニュアルとしては全然ダメだけれども、究極の意味で正しかった。

 

冷蔵庫の裏で腐ったキュウリのヘタみたいな、親への恨みつらみも、妹への嫉妬も、容姿のコンプレックスも、冷蔵庫ごと爆発してきれいに吹っ飛んでしまった。

強がりではなく、「愛されたい」とかは本当にどうでも良くなってしまった。一応、ブログのネタがないので婚活とかやっているけれど、実は一切焦ってはいない。

今は、「私そのものが愛」なのを感じられるからだ。

そして、この「愛モード」でいれば、絶対にそのうちちゃんとパートナーに出会って愛を分かち合えるという確信もある。…たぶん大丈夫だと思う

愛されないのが辛い人は、騙されたと思って一回「愛モード」になってみて欲しい。

自分に構ってくれるとか、好きになってくれるかどうかは置いておいて、とにかく暖かい気持ちで周りの人の幸せだけを祈ろう。

愛とか何だか良く分からない人は、「暖かくて、明るくて、軽い感じ」でイメージしてみると良いと思う。

あるとき、バチーン!と爆発して体感できる時が絶対に来る。このバチーンは、泣ける映画どころじゃないぐらい強烈に感動するので、試してみていただきたい。

あんなに墓地まで探しに言っても見つからなかったオバケが、こんなにうじゃうじゃいたのか!!ってぐらいの衝撃だ。

少なくとも私は、これを読んでくれているあなたに、精一杯の愛を込めて書いています。

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