思考を鍛える

一年の計は元旦にあらず。 人生を良くする目標の立て方とは?

目標の立て方

新年にあたり、一年の目標を立てる方が多いと思います。仕事や学業の目標、または恋愛・結婚、ダイエットなど健康の目標もあるでしょう。

ところで、その目標はどのように立てていますか?

なんとなく、または、去年がこうだったから1割増やして、のように機械的にやっている等、自分なりの目標の立て方があっても、「目標とはこのように立てる」という風に学校で習ったことはほとんどないのではないでしょうか。

「一学期の目標を書きましょう」と紙に何か書いて教室に貼っていた記憶はありますが、そもそも目標とは何なのか、また、どのように目標を立てたらよいのか、については教わっていません。

大人になってから仕事をするときも、「売り上げ目標」や「査定目標」、あるいは「自己啓発・キャリアアップの目標」など目標だらけですが、どうやって目標を設定すればいいのか良く分からないまま何となく決めているということが多いのではないでしょうか。

「人生の目標」となると、更に良く分からなくなっていきます。目標と目的は何が違うのか、夢とも違うのか。

そこで、今回は「目標」について研究した本、『「目標」の研究』(倉下忠憲)についてレビューしたいと思います。

実は奥が深い「目標」の世界

目標は朝に立てる理由

勉強やスポーツ、ビジネスの世界でも「目標」が大切だと散々言われます。大きな夢や目標を持って、それに向かって進んで行こう、と。

夢を見つけるには、そして夢を実現するために行動に落とし込んでいくにはどうすればいいか。自己啓発とか引き寄せの法則とか、いろんなノウハウやテクニックが出回っています。

ところが、私たちはそもそも「目標」をあまり理解していないのでは? と疑問を投げかけるのが今回ご紹介する『「目標」の研究』(倉下忠憲)です。

「一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は勤にあり、一家の計は身にあり」

意味としては、「一日は早朝の計画で決まり、一年は春の計画で決まり、一生はまじめに勤めることで決まり、一家の先行きは健康で決まる」ぐらいになるだろう。

さて、違いに気づかれただろうか。四計では、「一年の計は元旦にあり」ではなく「一年の計は春にあり」となっている。もちろん、元旦は春だが、春は元旦ではない。微妙に意味がずれている。

「一日の計は晨(あした)にあり」の、晨(あした)は、次の日のことではなく太陽が昇り始める早朝のことで、その時間に当日の予定を色々考えておくとよい、という教えであろう。

では、一日における「早朝」は、一年ではいつになるだろうか。当然「春」である。なにせ一年は春から始まるのだ。しかし、それは元旦ではない。

一年における元旦は、一日では深夜零時である。そんなタイミングで一日の計画を立てる人間はいないだろう。せいぜい、朝起きて、新聞を読んで、テレビのニュースをチェックして、なんならメールの受信箱も覗いてから、ようやく「さて、今日はどうするかな」と考え始める。深夜零時では情報が少なすぎるのだ。

だとしたら、一年の計画を元旦に立てるのは早すぎるのかもしれない。(本文Chapter.1より)

本書は、こんな例え話から始まりますが、筆者は単にことわざの意味の間違いを指摘するのではなく目標の在り方について考えさせようとしているようです。

まだ天気予報も見ていない段階の深夜零時、あるいは暦の上では新年でも、年度が替わっていないので仕事のポジションがどうなるかも分からない元旦では、目標を立てるための情報がまだ不足しているのではないか 、と。

仕事術を研究する著者が着目した「目標」と「目的」の違い

目標は目印・矢印

倉下忠憲さんは2003年からブログを書き続けているブロガー出身の著者で、Evernoteを使った仕事術や読書術、手帳術、発想法、出版ノウハウ、エッセイ、小説まで多数の著書を書かれています。

言葉を扱う仕事柄でしょうか、そもそも「目標」とは何なのか、目的や夢、計画、などと無意識に使い分けているその言葉の違いはどこにあるのかを言語化しようと真っ先に試みています。

目的は、最終的に達成したい状態だ。目標は、そこに至るための目印となる。

「今月の販売目的は、三台だ」

から奇妙な感じを受けるのは、通常「車を売ること」が目指すべき最終的な状態ではないからだ。車を売ることを通して、売上を作る、あるいは利益を生み出す。それが企業活動だろう。
(中略)

まとめると、目的とは、ある行動を通して得たいもの・結果・成果を意味する。目標はそこに向かうための目印、あるいは矢印だ。(本文Chapter.2より)

車を販売する企業にとっては、利益を生み出すという「得たい成果」が目的であり、そこに至るためには今月は一人あたり三台が「目印」であり目標になるということです。

別の例を挙げると、東京から大阪に出かけるとしたら、大阪に行って遊ぶとか仕事をするという最終的な結果・成果が目的です。

目標は東京から大阪に行くまでにみるたくさんの目印とか矢印です。 「東京駅」という看板を見て、「新幹線乗り場はこちら」という矢印を見て、「何番ホーム」という看板を見て、降りる大阪駅でも色んな矢印やら看板やらを見かけますね。

なので、「新幹線乗り場に着いたぞ~!」と目標を達成して一々喜んでいるのはちょっとおかしいということになります。

一つひとつの目標は、すべて「通過点」に過ぎません。最終的な「目的」に向かって次の目標を見据えなければいけません。

『「目標」の研究』倉下忠憲
274円

目標と目的を取り違える危険性

私たちは目標と目的を取り違えてしまいます。

目標の上位には必ず目的がある はずなのですが、目標がいつの間にか目的にすり替わって進むべき方向を見失ってしまうのです。

こういったことが起こるのは、目的と目標がもつ「階層構造」であると筆者は指摘します。

最終的な目的の下に大きな目標がありますが、今月はこの辺まで、今日はここまで、のように小さな目標に分解されます。更に、一日の目標は実行できる行動・タスクのレベルに分解されます。

すると、小さな目標から見て一段階上の目標は「目的」のようになってしまうのです。

目標は目的とセットになっているわけだが、必ずしも近くにあるわけではない。乖離している場合もある。最終的な目標が大きければ大きいほど、その乖離は大きくなる。ここにトラップがあるのだ。

たとえば、最終的な目的地が北にあるとしても、最寄りのインターチェンジが南にあるなら、進路は南に取らなければいけない。短期的なスパンでは、ここに目的と実行の齟齬が感じられる。しかし、それは必要なことだ。商売で言う「損して得を取れ」といった箴言(引用者註・しんげん、戒めの言葉)も、このような目標の階層性からきている。

これは、単純な話のように見えて、その階層構造の罠の内側にいるとなかなかそれに気づくことはできません。

たとえば、人生において「○○大学に合格する」とか、「年収いくらを達成する」、何歳までに結婚するなどの「目標」 を立てます。これは別に悪いことでも何でもありません。

ところが、その目標をいつの間にか目的と勘違いしてドツボにはまってしまうことがあります。

目標を目的と取り違える

私は以前、学習塾で働いていたのですが、どうしても実力に見合わない高いレベルの大学に行きたいと言って譲らず何年も浪人している生徒 がいました。

その子の目標は、工業系で当時の偏差値が日本で一番・二番を争うところでしたが、実力はというと中学校レベルの内容も怪しいという状況でした。

もし、進学する目的が「将来、メーカー等の企業で勤めるため」とか「機械が好きで、こういう研究をしたい」などであるならばわざわざ日本で一番難しい大学にこだわる必要はありません。身の丈に合った良い学校が他にもたくさんあるのですから。

ところが、その子は「今まで勉強ができなくて悔しい思いをしてきたから、一番難しいところに行って友達を見返してやりたい」と「難関大学に合格すること」自体を目的にしてしまっていました

人生を長い目で見たら、大学進学はほんの一瞬の通過地点でしかありません。 出来ればしっかり勉強して良いところに入った方が良いとは思いますが、最終的な目的地がわからないまま、めちゃくちゃ遠くにある飛行機乗り場に徒歩で向かっていくようなのは何だかおかしな感じがします。

結婚は目的ではない

「お金を稼ごう」とか「結婚したい」とかもその先の目的が無くて、「年収何百万円」とか「結婚そのもの」を目的にして頑張ってしまうと、モチベーションが上がらなかったり、それを達成しても後で上手く行かなかったりしてしまいます。

お金も結婚も、一つの目標であり、どこかに向かうまでの通過地点です。

人生の目的を考えたときに、その目印・矢印にはあまり大きな意味はないかもしれませんし、別のルートを通っても目的地には到着できるかもしれません。

目標を目的と間違えずに、達成しても出来なくても喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、冷静に次の目標を見ていく必要があります。

目標と目的の錯誤は、会社などの組織でも起こり得ます。

経営者は「社会的にこういうことを成し遂げたい」などの目的 を持ち、それが「今期はいくら利益を上げよう」とか、「この商品を○個販売しよう」などの目標に落とされ、「広告から問合せを○件取ろう」などそれぞれの部署での目標となり、従業員個人が果たす役割において「一人○件以上の契約を取る」等の目標になります。

一人ひとりの目標は具体的なその日の行動に落とし込まれますが、見えている目標が既に自分の目標か良くても部署の目標ぐらいなので、全体から見たら無駄なことに時間と労力を割いてしまうなどズレてしまう ことがあります。

ひとつの行動の積み重ねでしか目標に到達できませんし、目的も達成されません。だからこそ、部分と全体を両方見る目が一人ひとりの従業員にも求められるのです。

目標の立て方に失敗する4パターン

目的の立て方の失敗パターン

目標は人を成功に導く大きな力を持っていますが、その分間違えると道を踏み外してしまう恐れ もあります。

本書では、目標の立て方に失敗する4パターンについてそれぞれ解説されています。

・忘れ去られる目標
・曖昧な目標
・サイズ違いの目標
・ずれた目標
(本文Chapter.3より)

詳しい解説は本を手に取っていただくとして、これらの間違った目標に共通するのは「行動の妨げになる」という点です。

本来は、大きな目的に向かうための具体的な行動ができるように落とし込んだものが目標でした。ところが、その目標の立て方を間違うとかえって行動できなくなってしまうのです。

たとえば、「目標を立てる」という行為自体に満足してしまったり、目標が具体的な行動・タスクまで落としきれていなかったりすると、何となく何もしないということになりがちです。

イメージできないほど大きすぎる目標や、目的からずれている目標も上手く働きません。

目標そのものに善悪はない。「目標を立てることが素晴らしい」と考えている人間は、卑劣で極悪な集団でも何かしらの目標を掲げて活動していることに思いを馳せた方が良い。目標を立てることと、立てた目標が適切であるかどうかは、別のレイヤーなのだ。目標が大好きな人間は、その点に重々注意したほうがいい。間違った方向に、全力で進んでしまう目標もありうる。
(本文Chapter.3より)

全体像を見て目標を立てよう

それでも、一旦は目標を立ててみない事には始まりません。 とりあえず目標を立ててみて、ときどき振り返ったり俯瞰してながめてみたりしながら、何回も目標を立て直して軌道修正することが大切だと著者は述べています。

これは、自分の考えを疑い、自分の間違いを認める、というけっこう辛い作業のように思われます。よく考えてしっかり計画を立てる人ほど、立てた目標を捨てて新しく立て直すというのは難しいでしょう。

まさに私がそのタイプなのですが、いったんコレと目標を定めるとそこから逆算してどんどん具体的なことに落とすのは得意なんですけれども、目の前のことに囚われがちで大きな目的や全体像 が見えなくなってしまいます。

特に現代は変化の激しい時代で、山の上に目標の旗を立てて登ろうとしたら、もうその山が無くなっていた、なんてことはよくあります。

目標を立てて目標に向かっていくのが好きな人ほど、自分の立てた目標が正しいのかを疑う癖 をつけないといけません。「目標(仮)」ぐらいのイメージで、今はあそこを目指しているけれども状況に応じて目標は変わるということを常に頭の片隅に入れておきましょう。

実は重要な役割を持つドリームキラー

ドリームキラーに負けない

さて、大きな目標や夢を語ると、「そんなの無理に決まってる」と難癖をつけてやる気をへし折ろうとしてくる人が現れます。そうやって、人の夢を壊す人を「ドリームキラー」と呼びます。

ネガティブな言葉には耳を傾けず、ドリームキラーとは関わらずに夢に向かって邁進しましょう、とも言われますが、筆者は「ドリームキラーを排除することは、まわりをイエスマンで固めるのと同じ 」としています。

「こういうネガティブなことが起こるかもしれない。やめておいた方がいい」という意見に、まったく耳を貸さないのは、最終的にその夢や目標の成功率を下げることにつながる。少なくともその可能性は十分にある。

別の視点から言えば、誰かからネガティブな指摘をされたとき、自分の意欲が下がってしまうのならば、自らでそうした可能性について十分検討できていなかったことを意味する。検討していたならば、胸を張って「そのリスクは十分踏まえた上で、実行に移しています。このようにリスクマネジメントもしています」と答えられるだろう。それができず、ただ意気消沈しているならば、自分が実行しようとしていることを掘り下げられていなかったのだ。それはどう考えても危険信号である。(本文Chapter.5より)

ドリームキラーのいうことを感情的に受け取ると意欲が下がってしまいますが、冷静に内容を聞いてみると実は最もだったりします。

どうしても達成したい目標ならば、反対意見やリスクも考慮に入れておくべきだし、ちょっとけなされたぐらいで諦めるべきではない、ということですね。

しかし、建設的な意見ではなく感情的に否定してくる人ならば、ただエネルギーを奪われるだけなので関わらない方が良いのは確かでしょう。

筆者も、バランスが大事であり、思考と直感が両方必要 であるということを述べています。

人間は考える葦だ。考える葦が考えることを止めてしまったら、それはもう単なる葦でしかない。

考えに考えに考え抜いて、最後の最後は直感に身を任せるのは良いだろう。その判断には、そこまでの思考が反映されているに違いないし、世の中にはそうやってしか決定できない事柄がたしかに存在する。しかし、それは生活のあらゆる場面から考えることを漂白していい、という話にはならない。そうした話が導くのは――実に不思議なことに――他の人間にとって「都合の良い人間」なのだ。(本文Chapter.5より)

GLOBOな視点・人生の目標の立て方は

死に様から人生の目標を

『「目標」の研究』によると、目標は、全部が「通過地点」であり、目的が「目指す成果」ということでした。

では、人生の目標を立てようとしたときに、最終的な目的地、「生きる目的」はどこにあるのでしょうか?

もちろん正解はありませんし、人それぞれ違うと思いますが、ひとつヒントとして面白い話をご紹介したいと思います。

ちょっとスピリチュアルな話になりますが、人は死ぬときに「走馬燈のように」人生で見た様々な情景を思い出すと言いますね。このとき、死ぬ瞬間から生まれる瞬間までが一気に逆再生される のだそうです。

ですので、後悔することが多いほど死ぬ瞬間に「あの時ああしておけばよかった」「あれにチャレンジしておけばよかった」と苦しむことが多くなります。

人の一生で見ると、「死」は終着駅となり、最後の目標 と言えます。魂レベルでいえば更にその先もあるんですけれども、一つの人生は生まれてから死ぬまでで一区切りとなります。

「死」という目標から逆算して、後悔の無いように生きる。今日一日、今の一瞬にせいいっぱい心を燃やす。 そういう目標の立て方もアリなのではないでしょうか。

人はいつ死ぬか分かりません。だからと言って、「適当に生きればいいや」という事でもないですよね。自分の最高の死に様 を考えて、長期的な目標を立てて、全力でそこに向かっていれば、もしも道半ばで人生が終わっても「やれるだけのことはやった」と満足できると思います。

今の一瞬、今日一日、今年一年、悔いの残らないようにやり切る、そのための目標を立ててみるとけっこう素敵な人生にできるかもしれません。

夢や目標が達成できなくても、その経過に充実感があるならばそれで良いのだ。何かを10回やると目標を掲げ、それが3回しかできなかったとする。それでも、3回はその行動が生まれたのだ。そして、自分はその間懸命にその行為に向き合えた。だったら、もう充分であろう。その上で、新しい目標を設定して、前を向いて進んでいけばいい。そのようにして人生は時を刻んでいく。(さいごに、より)

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