思考を鍛える

日本の思想史から「あるべき人間の姿」を考える

日本思想全史レビュー

日本思想史を研究していると言うと、政治的な立場の話になったり、そもそも日本に思想・哲学があるのかという疑問が出たり、それは哲学なのか歴史学なのかを問われるらしい。

『日本思想全史』筆者の清水正之さんによると、哲学とは「自然・人間・超越的存在(神や仏)の三者それぞれ、また三者の関係についての意識であり、その観点からの生活意識に統一をもたらす価値観のありようとその吟味を対象とする 」ものだという。

同じ日本人でも地域や世代によって生活スタイルも価値観はさまざまで、学問としても色々な流派があるものの、自然に対する感情や、神様・仏様の扱いにどことなく日本人らしい感性や思想のようなもの が確かにある。

何らかの「日本的な」ゲシュタルトを形成していて、欧米のそれとは何か違うし、アジア文化圏でも大陸とは全然雰囲気が違う気がする。では、これが日本の哲学だ、と体系化された学問があるかというと、そうでもない。

日本における思想的作品は、哲学にふさわしいものもあれば、もちろん詩や文学のかたちをとる表現、あるいは歴史叙述なども対象となる。そうした多様なジャンルに通有する広い意味での人間観、世界観を対象とすることで、ようやく姿を見せるものだということになる。(はじめにより)

『日本思想全史』というタイトルの通り、この本では日本の思想をつかむべく古代から近代まで、多ジャンルに渡る代表的な思想、思想家、思想的作品を対象とし、日本の思想の基盤に着目している。

 

思想の選択的受容のなかには、あるべき人間とは何か、という問いが常にあった。選択的受容を通して、内と外の二重性を超えて至りつこうとしたそれぞれの時代の思想に焦点を当てることで、決して外部からの解釈を押し通すのではなく、内在的視点を持って、本書の叙述をしていきたい。
今また私たちの生きる場は、選択と受容のはざまにある。過去の選択と受容を精査し 蓄積の上に未来をどう組み立てるかが、日本の思想の課題である。(はじめにより)

先人の思想から自らの生き方・在り方を学ぶ

日本の思想

著者の清水正之さんは、聖学院大学文学部で学長・教授を務め、倫理学・日本倫理思想史が専門。学生には、日本の思想から先人たちの生き方や考え方の歴史を学び、自分自身と社会のありかた、進むべき道を考えよう、とのメッセージを発信している。

本文中でもしばしば、「テキストの読み解き方」について触れられている。そもそも日本の思想史自体が過去のテキストの読み直しの歴史であるという。

近世で『古事記』が再び注目され、明治にはアララギ派が『万葉集』を再評価したように、日本の思想には繰り返し・反復が見られる。いつの時代も、人々は先人の書物を自分たちの経験に照らしながら生き方・在り方を模索してきたと言える。

J・S・ミルの『自由論』(第二章)に「すべての言語(languages)と文学(literatures)とは、人生とはなんであるかについても、また人生において如何に振る舞うべきかについても、一般的な人生に関する言説に満ちている」とあり、また「大方の人々は、経験が、一般的には辛い経験が彼らに真に迫ったものとなるとき、初めて、これらの言説の意味を知るのである」とも言っている。人が習慣的に自明の理として受け入れている伝統的教説を、受動的に受け入れるのではなく、各自の経験をもとにその意味を考え、自らの意見を手にする。そのことは、人がその個性を発揮し、異なった多様な意見が交わされる自由で寛容な社会が実現する一経路である――私はミルの言葉をこう解する。(あとがきより)

過去のテキストを自由に読み、人生や社会の問題を解決するのである。思想史は、膨大な原典の中から自分の興味・関心に合致する1冊に出会うための手引き とも言える。

 

『日本思想全史』清水 正之
ちくま新書 1,188円

 

神話に現れる日本の思想と仏教受容

日本神話と思想

古代日本の思想については、『古事記』と『日本書紀』の2つの歴史書と『万葉集』、そして仏教の伝来を『日本霊異記』に読み解き、仏教の伝来と受容から生じた平安仏教の思想、平仮名の文学まで触れられている。

ここで、日本の思想的な特徴として「神の相対化 」に注目したい。本書によると、日本の神々は一神教ではなくギリシャ神話的な多神教の人間的な神であり、天地開闢からの神話世界と現実の出来事としての史実までが地続きになっているのが特徴だという。

最初に日本を支配し、後に高天原の神々に国土を譲ったという「国譲り」の物語の主人公、オホクニヌシも、人間の「情」に満ちた姿が描かれている。

彼は、評判の美しい姫、イナバのヤカミヒメを獲得しようと旅立つ兄弟神たちのあとを追う、荷を背負ったさえない神であった。兄たちに欺かれ赤裸にされたウサギにやさしさを施したオホクニヌシは、ウサギの予言通りヒメを得ることになる。しかし、兄弟神の怒りを買い、試練に立たされ死に追いやられる。その度に彼は、母神であるカミムスヒや貝の女神たちの呪文で復活するが、最後は兄弟神たちのじさらなる迫害を避けるため、母神の配慮で根の国のスサノオのもとに送られる。そこでもスサノオから試練を与えられるが、恋仲となったスサノオの娘スセリビメの助力を得、スセリビメと手を携えスサノヲのもとを脱し、呪術能力を得てこの世に帰還する。そして迫害した兄弟神たちを退治し、支配者となる。
支配者としてのオホクニヌシは、国作りを単独ではなしえず、スクナビコナ(少彦名神)という海の向こうから渡ってきた小身の神の協力を得て、支配する。その後、スクナビコナは海の向こうに去り、オホクニヌシは国土の未完であることを嘆く。(45ページ)

『古事記』では人間的なエピソードにあふれる神々の神話が、『日本書紀』では簡潔に史実としてのべられ、『万葉集』では歌を主として神代を懐かしむような自然観が現れる。

その土壌に体形的な仏教が伝来し、日本の思想と精神生活は大きな影響を受ける。筆者は『日本霊異記』より仏教の受容を読み解き、聖徳太子信仰奈良仏教、最澄と空海を筆頭とする平安仏教の思想、さらに密教について述べる。

また、このころのもう一つの大事件、「平仮名の発明 」について、後の日本文化の核を形成するものとして日記文学と合わせて解説する。

中世発の「無常観」と日本人の美意識

日本の仏教

中世には、貴族の栄華の影で争乱が頻発し武士が台頭する。世も末、という風潮の中で『大鏡』をはじめとする四鏡文学では、栄華の記憶を懐かしむみ、『愚管抄』は生々しい現実に目を向け道理を説いた。

社会的な動乱から、末法の意識が広まり、仏教においては浄土信仰がさかんとなる。鎌倉仏教の先駆け法然の『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)、絶対他力の信仰を説いた親鸞の『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)、道元の『正法眼蔵』(しょうほうげんぞう)、日蓮の『法華経』他からテキストを抜粋して解説を加えている。

また筆者は、この時代に成立した建築や絵画などの芸術、および華道、茶道、能、狂言、庭園など、今にも伝わる文化や芸道 からも思想を概略する。日本の美と言われる「幽玄」、「もののあはれ」を『古今集』等の和歌から、無常観を『徒然草』に見て取る。また、世阿弥の『風姿花伝』から脳の「序破急」を取り上げ、庭園の秘伝書『作庭記』、民間の伝承、五山の思想・分悪にもページを割く。

ここでは、「無常観」を表す『平家物語 』についての筆者の解説を抜粋しよう。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。……

この一説からも、いわゆる無常観の表現として知られるが、『平家物語』の無常は、戦闘者たる武士がその運命をどのように受け止めたかと関わっている。それは貴族世界の「宿世」(すくせ)という自らの人生の限界性や儚さへの捉え方とは異なり、身に迫る事柄を、敗北であれ、死であれ、正面から受け止める姿勢である。

新しい知と学問が展開する近世・徳川時代

近世日本の思想

近世になり、歴史の様相も思想も一転する。安定の徳川幕府の時代には、新たな知と学問が様々に展開し花開いた。キリシタンと思想の伝来、朱子学の登場と反朱子学の多様な儒学思想、武士道、国学、蘭学、町民・農民思想等。

ここでは全てを扱いきれないので、特に「多様な学問への向き合い方・統合の仕方」を示してくれる石田梅岩についての箇所を紹介しよう。

梅岩は、四書五経、朱子の著作などを講義で使うとともに、日常的に天照大神、孔子、釈迦、氏神等をも祀っていたという。当時の儒学的教養を基礎に、神道、仏教を取り入れた折衷的なものであるが、庶民的心象の中にあるシンクレティズム(並列した宗教価値)の学問化ともいえるだろう。
著作には、弟子の質問に答えた形の『都鄙問答』、また晩年に倹約を説いた『倹約斉家論』がある。『都鄙問答』では、学問に通じながら金銭に不埒で徳のない学者を「文芸学者」と非難し、知行一致の実践的学問を求める。朱子学の性理の論を据えながら、それに神道や仏教や老荘も取り入れ、道徳、武士、商人の道、仏教、神道などの宗教を論じている。(270ページ)

明治啓蒙から近代日本哲学へ

近代日本の思想

明治維新以降は、西洋の思想・科学を一挙に受容し、近世までの思想を相克 することとなる。 自由主義、社会主義、ロマン主義、民本主義、超国家主義、等の政治的な主義主張が次々に展開し、キリスト教、西洋哲学の摂取から西田幾多郎、和辻哲郎、丸山眞男へと続く近代日本哲学への発展が見られた。幕藩体制下でも蘭学など西洋文明の受容は行われていたが、それは「日本・東洋の精神的優位性を保持したままで、西洋の優れた文物、とりわけ科学と技術のみを導入しようとした 」ものであったと筆者は言う。ところが、明治になり事情が変わった。

しかし、近代化の本格的開始は、それまでの東洋道徳の優位性という枠組みでは済まず、むしろ西洋技術の背後にあって、それを支える社会体制や精神性そのものを導入しなければならないという認識に転換せざるを得なかった。(297ページ)

大きな転換の時代の思想を、本書では代表的な人物にスポットを当てて描き出している。

戦後・現代の思想と哲学

日本語と日本の哲学・思想

戦後は様々な思想の立場が自由に展開される時代となった。また、哲学が専門化して思想とかい離が強まったという。本書ではポストモダン思想、新たなアカデミズムとしての哲学、応用倫理学、生命倫理学等について触れられている。特に興味深いものとして、和辻や森有正らの指摘する日本語の哲学的分析 について紹介しよう。

日本語では、欧米語のような端的な「AはBである」という言表が成り立たない。「AはBだ」「AはBでございましょう」「AはBではございませんか」という表現は、「AはBである」という言表を立てるというより、話して、甲と乙の「関係」性をむしろ際立たせてしまう。

このように、経験さえ曖昧にしてしまう日本語の特性によって、真理・公共性が他者との間に成立しない「二項方式」であり、日本特有の「家の重み」「自我の未確立」「革命の不在」などの因習の元としている。一方、和辻は日本人を一人になることの出来ない「間柄的存在」とし、人間の個人的社会的な二重性を顕す日本語の特性として好意的に見ているという。

GLOBOな視点・偏りなく日本の思想を見渡せる良書

古代の神話から、現代の生命倫理まで、各時代の日本の思想を、歴史・哲学・文学のテキストから習俗まで広大な範囲を俯瞰して見渡すことのできる本格的な通史解釈の分かれる出来事については両論が併記されていて偏りなく学びたい人におすすめ。

外国から様々な思想・文明・文化を受容しながら、何か「日本的」なゲシュタルトが形成されている日本。過去に生きた日本人が、いかにして外の文化や過去の思想を選択し受け入れ、統合・発展し、あるいは相克しながら成熟させてきたのか。『日本思想全史』を読んでその思考のプロセスをたどることは、現代の私たちが個人としての生き方・考え方を探る助け となるだろう。

この本は、通常「哲学・思想」のジャンルに分類されるが、日本的な思想を学んでおくことは自己啓発やスピリチュアルの輸入本を読み解くのに役立つひとつの軸になると思う。

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