魂を磨く

自分を信じる方法|エマソン『自己信頼』に学ぶ真実の生き方

エマソン『自己信頼』書評

「自分が信じられない」「自分が好きになれない」と言うが、その「自分」とは何だろうか? 自分の肉体、精神、所有物…一体どこまでが自分なのだろう。改めて考えてみると、実は良く分からない自分を信じていないということに気付く。

仕事や恋愛に失敗して自分が嫌いになってしまったとき、親や仕事仲間や友人やメディアで他人が言う意見に振り回されて悩んでしまったとき、自分を信じる方法を教えてくれる自己啓発の名著 がある。

 自分の考えを信じること、自分にとっての真実は、すべての人にとっての真実だと信じること――それが天才である。  心の中で確信していることがあるなら、声に出して語るがよい。そうすれば、それは普遍的な意味を持つようになるだろう。(2ページ)

アメリカの思想家、「コンコードの哲人」と呼ばれたエマソンの著書『自己信頼』の冒頭には、こう書かれている。ずばり、「自分の考えを信じよ」ということだ。

しかしながら、私たちはよく考えを誤る。間違った考えから失敗体験を積み重ねてきた結果、すっかり自信を失っているのだ。それを信じるにはどうしたらいいのだろうか。

また、「自分にとっての真実」が「全ての人にとっての真実」であり、「普遍的な意味を持つ」とはどういうことなのだろう。 あらゆることにおいて、人が集まると意見が分かれる。性格も価値観も人それぞれ、文化も違えば習慣も違うはずだ。これは一体どのように解釈すべきだろう?

まるで詩のように、あるいはエッセイ調で綴られる本書は、どこを切り取っても名言のような示唆に富んだ言葉にの数々で、自分を信じろ、自分以外のものに依存するな、ということをひたすら言っている。

ところが、ここでいう「自分」というものの概念を理解せずに言葉尻をそのまま受け取ってしまうと、ただ自分のわがままで好き放題にしていればいいのだな、ということになりかねない。単純に思ったことや自分の意見を振りかざして「自分は間違っていない」と言うのは、自己信頼ではなく勘違いである。 

彼のいう自己は狭い意味での自己(エゴ)ではなく、真の自己、すなわち自分の中に住む普遍的な存在を指しています。自分に正直に生きることは、放縦な生活を送ることでも、我欲を押し通すことでもなく、むしろ調和をもたらすものであり、謙虚な心で自分が本当に望んでいることをするなら、人間はもっと自由に幸福になれる(訳者あとがきより)

言葉も文化も違う世界の人々にも、どこか共通する感性や良心のようなものがあるように思われる。大自然に美しさを見出したり、天や神などの超越的存在を感じ、家族や仲間を大切にしようとする気持ちはどの国にも、どんな極悪人の心の中にも見られる。

そういった人の心の普遍的な部分という意味の「自己」を信じよう、というのがエマソンの主張なのだ。

社会に反発したエマソンが貫いた信念

教会に反発したエマソン

エマソンは牧師をしていたが、形骸化した教会制度に真っ向から衝突したという。

社会に盲従するのは、「目隠し遊び」をするようなものだ。所属している教派がわかれば、目をつぶっていてもその人の主張は予想がつく。たとえば牧師が聖句を読み、説教のテーマを告げるだけで、私は彼が聖書の言葉を使って自分の教会の制度を正当化しようとしていることがわかる。(27ページ)

教会の牧師たちは、教派の教えをそのまま語るだけで、「自分の内側から自然に湧きあがってくる言葉」がない。一人の人間としてではなく、ある集団の一員としての側面しか見せようとしない。それは、あたかも自分が月従っている組織の「囚人服」のようだ、と筆者は酷評している。

社会に迎合しなければ、白い眼で見られてしまい、変わり者のレッテルを貼られてしまう。そういったことを恐れて、「人は他人の表情を見て、相手の機嫌をうかがうようになる」のである。

近年ベストセラーとなった『嫌われる勇気』でも述べられているように、「人から嫌われたくない」という自意識は悩み、苦しみの元となり、幸福感を妨げる。

自己に偽りなく生きる「身の人間」は、環境を物ともせずに自ら原因となり、国や時代となって歴史を作るという。

シーザーが出現すると、ローマ帝国の時代が長く続いた。キリストが生まれると、数百万人がその天才にすがって成長し、やがてキリストは美徳や人間の可能性と同一視されるようになった。(中略)あらゆる歴史は、一握りの勇敢で情熱的な人々の伝記にいとも簡単に還元される。(40-41ページ)

だとすれば、組織や集団の言う通りの口先だけの善を語ることのは辞めて、自分の内面にある善だけに従い主体的に生きよう 、とエマソンは主張する。

現代の日本に暮らす私たちも、様々な組織や集団に所属して、たくさんの顔を持っている。家では○○家の長男、近所を歩くと町内会員、会社に行けば会社員、といった具合に、その集団の一員としている時、通常は自分の価値観よりも集団の善悪基準が優先される。

皆が「町内会費は支払いたくない」と自分の主張を通したら、町内会は立ち行かなくなってしまうだろうし、会社や家族もその組織の風土やルール、価値観があって秩序が保たれている。しかし、エマソンによれば集団に迎合することはよろしくないらしい。

もちろん、著者が理想としているのは無秩序な世界ではない。冒頭の「全ての人にとっての真実」という言葉がポイントだ。

自分の内面にある善は、全ての人にとっての善でなければならない。もしも、「自分は町内会費を払わない」ということを善とするならば、全ての人が「サービスを受けているのに代金を支払わない」ことが善である世界に生きなければならない。おそらく、それでは困ってしまう。

善いことや真実というものを考えるときには、常に全体性が含まれていなければならない。ある組織が一見素晴らしい善いことを語っていても、実は自分たちの利益のことしか考えていないのならば、それは口先だけのことだとエマソンは言っているのだ。

『自己信頼[新訳]』 ラルフ・ウォルドー・エマソン 1,296円

 

エマソンは、集団への依存の他に、権威へのへつらいにも警鐘を鳴らしている。

本を読むときも、人々はまるで物乞いのようにこびへつらう。歴史を読むときは、想像力が真実をねじまげる。
小さな家に住み、額に汗して働いている無名のジョンやエドワードと比べると、王国、君主、権力、領土といった言葉には華やかな魅力がある。しかし誰にとっても、人生で起きることはそう変わらない。総括すれば、どちらの人生も同じなのだ。

王様も木こりも同じ人間であり、皆それぞれお金に困ったり、人間関係でトラブルを起こしたり、同じような事に悩み、苦しみながら生きている。どんな人の人生も、そんなに変わらないのだ。

それなのに私たちは、上場企業の社長さんと聞くとなんとなく偉い人のように感じてペコペコし、テレビに出ている有名人の一面だけをみて立派な人なのだろうと想像力を働かせ、真実が見えなくなってしまう。

「あの人はすごいけれど、自分は平凡だ」、そのような区別が意味のないこと、人と自分を切り離して考えないこと を筆者は訴える。

それでも現代の私たちは、インターネットの普及により個人の影響力が強まっており、以前に比べたら組織や権威への盲従ということは少なくなっているかもしれない。会社の偉い人たちや、すごいように見せかけてきた芸能人や著名人たちは、雲の上の存在から身近になってきている。

日常生活やスキャンダルが隠そうとしても隠せなくなり、何処かの主婦のインターネット上の発言が国会の審議で取り上げられる時代になった。

しかし、権威への依存から脱しつつある一方で、情報やテクノロジーへの依存が増大している面がある。19世紀のアメリカに生きたエマソンが既にテクノロジーへの依存について指摘していることは興味深い。『自己信頼』の中では、「精神が外を向いている」として、次のように述べている。

社会が前進することはない。ある部分が進めば、別の部分が後退する。(中略)何かが与えられるたびに、何かが奪われるからだ。(90ページ)

新しい技術を獲得したら、古い本能が失われる。(中略)文明人は馬車をつくったが、同時に足を使うことを忘れた。杖で体を支える代わりに、筋肉の支えをすっかり失った。(91ページ)

ジュネーブ製の立派な時計を持ってはいるが、太陽を見て時を知ることはもうできない。グリニッジの渡航歴があれば、必要な情報はいつでも手に入ると考え、道行く人は空の星を読まなくなった。
(中略)
手帳によって記憶力は衰え、図書館によって知力は疲弊し、保険会社によって事故は増えた。(92ページ)

私たちも、パソコンの文字入力によって漢字を忘れ、スマートフォンの便利なアプリによって自ら創意工夫する力を無くし、何でも調べられる検索エンジン によって考える力を失っている。文明の進化に逆らうことはできないが、それによって何か失うものが必ずあるということだ。

信頼されるには、過去ではなく今を生きる

自分を信じる

自分を信頼することは、過去への執着も捨てることを意味している。

価値があるのはいま生きていることであって、過去に生きたことではない。(58ページ)

人々を自己信頼から遠ざけているもう一つの恐怖は、一貫性である。(中略)
記憶だけに頼らないこと、たとえ記憶がはっきりしているときでも、なるべく頼らないようにすること、常に現在の視点から過去を徹底的に検証し、日々新しい一日を生きること、それこそが賢明な態度だと思われる。(31ページ)

私たちの思考は人の過去に注目しがちだ。ある人が、次に行動するかを予測するためには、その人の過去の傾向を参照するしかない。それを、本人までも「周囲を失望させたくない」と思うあまり、過去の自分の言動に囚われて身動きができなくなってしまう。

しかし、魂はいつも変化したがっている。周りの目よりも、内面に意識を向けて変化を恐れないことが自己信頼につながる。

自己にアクセスする方法、直観と悟り

エマソンのいう「自己」とは何か。自己信頼の理由、最重要のポイントは、才能、徳、そして命の本質であり「自発性」や「本能」とも呼ばれる「根源」 にあるという。

後天的に授けられるものを教育というのに対し、この根源的な知恵は「直観」と呼ばれる。この奥深い力、どんなに分析しても明らかにしえない究極の真実の中に、万物の起源がある。(47ページ)

そして、その直観・悟りの感覚についてはこう述べる。

穏やかな気持ちでいるとき、なぜかは分からないが魂の中に実在の感覚――自分はあらゆるものや空間、光、時間、人間と異なるものではなく一体であり、それらの命や存在と同じ源から生じているという感覚が湧きあがってくる。(47ページ)

悟りの瞬間には、感謝と呼べるようなものも、歓喜と呼ぶべき物おない。魂は情欲を超越したところで同一性と永遠の因果を眺め、「真理」と「正義」が何にも依存することなく、ただそれ自体として存在していることを悟り、すべては順調に進んでいるのだと知って安堵する。(57ページ)

意識や感情は自我(エゴ)であり、それが全くないクリアな状態において直観が得られる。科学的にも論理的にも説明が難しい部分になるが、実際に体験した人の言葉には重みがあり、非常に感覚的である。

そして、直観や悟りの元の「叡智」によって正義を見つけ、真実を見分けるのだ。私たちには、無意識に知覚している直観があり、それが幸福の源 となる。

その悟り=宇宙の全てと一体感を感じている状態に到達するためには、自分の仕事にまごころをこめ、最善をつくすべきだとエマソンはいう。

GLOBOな視点・自分を信じるには

自分を信頼する方法

自分を信じる方法、それは自分の感情や自意識を手放して得られる直観を信じるということ。自己の内面から直観的に湧きあがる、人類に共通の「善」だけを信じ、他人や、自分の過去や感情にさえも影響を受けないことである。

ある意味では、「自分が嫌いだ」「自分を信じられない」と思っている感情的な自分を「信じない」ということとも言える。社会的に認められたい、皆に好かれたい、そういった我欲を捨てて、人類皆にとって(普遍的)善いと信じることだけを行う。

大本の自己にアクセスし、全ての命・宇宙と一体感を感じたときには、喜びも悲しみもなく、時間もなく、完全な「真理」たただそれ自体として存在する。そこには穏やかで温かな「心の平安」がある。

エマソンの『自己信頼』は、周りの人や情報から影響を受けすぎて自信を無くしてしまった人にも、間違った自信が過剰になって周囲と調和がとれなくなっている人にも、人として生きる道のヒントを与えてくれる。

哲学的な話ではあるが、私たちに語り掛けるような文体は思考よりも心にダイレクトに響く。これには訳者の伊東奈美子さんの力が大きく寄与しているものと思う。

自分を信じたい全ての人、特にこれから自己啓発や哲学を学ぶ人、就職活動を始める前の大学生、起業しようとしている人におススメする。

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