心を育てる

死ぬのが怖い!死の恐怖を克服する3つのヒント

死ぬのが怖いのを克服したい

死ぬことって、やっぱり怖いと思います。私はまだ30代で、幸いなことに大きな病気もしていませんが、たまに健康診断で「要再検査」とか出てきたり、横断歩道で右折の車にぶつかりそうになったりして、「死」というものを意識すると、うすら寒いような思いをします。

死ぬのが怖い理由 っていっぱいあると思うんですけど、ざっと挙げてみると

  1. 一度も経験したことがない・人が死ぬところにもあまり居合わせたことがない
  2. コナンとか金田一とかの死体はすごい形相をしている→苦しかったり痛かったりしそう
  3. 自分という存在が消えてなくなる・無になる

この辺が怖いポイントではないでしょうか。

怖くないように宗教があって「死んだら天国に行けますよ」「極楽浄土に行けますよ」「転生しますよ」などと教えられています。

それで「へえ、そうなんだ!怖くないじゃん!」って思える人はそれで良いと思いますが、私などはそういう話を聞くと

「お前、死んだことないじゃんか!見てきたわけじゃないのに、なぜそんなことが言えるんだ!!!」

と思ってしまいます。(言いませんが。)

臨死体験を語る人はたくさんいるようですが、それも実際死んだわけじゃない。聞いた話から夢を作り上げているだけなんじゃないか 、と疑ってしまうんですよ。

霊感があって実際にそこらへんの幽霊の話を聞ける人や、過去生の記憶を覚えている人は、それでいいと思います。そういうスピリチュアルな人を否定はしません。

しかし、私自身が霊感が皆無であり、そういうスピリチュアルなことを実感できないことは大きな問題なのです。

それでも、考えていたらいろんな話が繋がって「ああ、生きてるのも死んでるのもあんまり変わらないなあ」と思うようになりました。最初の「死ぬのが怖い3大理由」で言う3つ目が和らいで来たんですね。

死ぬ瞬間まで死を経験できないのは仕方がないことですし、楽に死ねるかどうかは正直「運」だと思いますので、残りの「無になる恐怖」がなくなる意味はかなり大きい ように感じます。

というわけで、今回は死ぬのが怖いのがちょっとだけ緩和されるかもしれない話を3つ、ご紹介したいと思います。グロいのとか怖いのとかは出てきませんので、どうぞご安心してお読みください。

死ぬのが怖い!死の恐怖を克服するヒント1 トーマの話

ぼくは ほぼ半年のあいだずっと考え続けていた
ぼくの生と死と、それからひとりの友人について。

ぼくは成熟しただけの子どもだ ということはじゅうぶんわかっているし
だから この少年の時としての愛が
性もなく正体もわからないなにか透明なものへ向かって
投げだされるのだということも知っている

これは単純なカケなぞじゃない それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない
彼がぼくを愛さねばならないのだ
どうしても

今 彼は死んでいるも同然だ
そして彼を生かすために
ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんかなんとも思わない。

人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死
それなら永遠に ぼくには二度目の死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)
そうして
ぼくはずっと生きている
彼の目の上に

萩尾望都『トーマの心臓』より

萩尾望都のまんが『トーマの心臓』には、冒頭に自殺した子どもトーマ・ヴェルナーの詩が綴られています。(ぼくだの彼だの愛だの言ってますが決してBLではなく、『無条件の愛』のお話しです。)

以前にこのブログで、他人を愛したら自分を愛する方法がわかりました 、というエントリを書きました。

他人を愛したらわかった、自分を愛する方法
自分を愛せない人へ。自分を愛せなかった私が、他人を愛せたら自分も愛せるようになった話をシェアします。 自分を愛する方法とは?

おそらくトーマは、愛を忘れて自己否定に陥り「死んでいるのも同然」になってしまった「彼」に愛を思い出して命を取り戻してもらうためだけに、自らの命を投げ打ってメッセージを送った のでしょう。

「彼がぼくを愛さねばならないのだ/どうしても 」というのは、「彼」が自信の内側から愛を感じられなければいけない、という意味だと解釈しています。

最初に読んだ中学生の時は「トーマってのは、とんでもないメンヘラ坊やだなあ」と思ったものですが、今読み返すと子どもながらに非常に霊性の高い人物として描かれているのがわかります。

「人は二度死ぬ」、肉体が滅びても誰かの記憶の中に生き続けられる。これは有名な言葉のようですが、程なくしてその意味を体感することになります。

私が『トーマの心臓』を読んだのは、今はもう解散したヴィジュアル系ロックバンドRaphael(ラファエル)の華月(かづき)くんの影響でした。

『lost graduation』という曲の衣装が『トーマの心臓』に出てくる学校の制服をモデルにしている、という話を雑誌で読んで、興味を持って読んでみました。

その華月くんですが、『lost graduation』の出た2000年の10月に亡くなりました。

その当時は今のようにインターネットとかSNSでの情報が出回っていなくて、文通したり、フリーペーパーを作ったり、という時代です。私はファンの友達から掛かってきた電話で、華月くんの訃報を知りました。

「また、変な噂じゃないか」

と思いたかったのですが、19歳の若さで亡くなったギタリストということで翌日には新聞に小さく記事が載り、朝のニュース番組でも小さく取り上げられ、発売されたばかりの『秋風のラプソディー』がテレビで流れました。

華月くんのことを何も知らないコメンテーターが、hideのマネをした自殺じゃないのか、とか、カップリングの「不滅華」の歌詞は自殺をほのめかしているとか適当なことを言っててすごいムカつきました。何年も前のインディーズのころからあった曲じゃい!

でも、華月くんが亡くなったという実感は何も沸きませんでした。

いちファンなので、もともと華月くんの存在はライブや雑誌やラジオやファンクラブの会報でしか知りえません。

昨日亡くなっても、すでに印刷が終わっていて発売される雑誌には元気に華月くんが写っていて、悲しいというより「え?え?本当に?」という戸惑いのような感じでした。

情報という形でしたが、華月くんが生きている証がそれまでと変わらずに存在していて、この世にもういないというのがとても不思議だったのです。

もっと先の未来、Raphaelを直接知っているファンが歳を取って全員死んだとしても、楽曲や、それがほかのアーティストに与えた影響は残り続けます。

同じように、有名人とか、ベストセラーの著者は、人類が滅びない限りはきっと誰かの記憶の中に生き続ける でしょう。無名の人でも「蔵からじいちゃんの日記が出てきた」というようなブログ記事はたまに見かけますし、誰かに書いた手紙や、話した言葉が、名前は消えても脈々と受け継がれていきます。

死後の世界はよくわかりませんが、この世だけ見ても、みんな誰かの記憶の中で生き続けるのです。だから、生きていても、死んでいても変わらないというわけです。

死ぬのが怖い!死の恐怖を克服するヒント2 生まれてすぐ病気で亡くなる子どもの生きた意味

生まれてすぐに亡くなった子ども

では、生まれてすぐに病気で亡くなってしまう子どもや、生まれても来られなかった小さな命 にはどんな意味があるのでしょうか?

親にとっては、子どもを亡くすのは大変な悲しみでしょう。

これは師匠の黒澤全先生から聞いた話なのですが、まだ言葉も話さないうちに行ってしまい、ほとんど誰にも知られなかった子どもは、親に重大なメッセージを伝えていくそうです。

「生きているだけで有り難い」

というメッセージを。

私はまだ親になった経験がないので子どもの側からしか分かりませんが、子どもに幸せになってもらいたいという気持ちから、親はどうしても色んなことを期待したり、いい方に進ませようとコントロールしたりしてしまうようです。

「勉強ができた方が将来のためになる」
「公務員になった方が良い」
「同じところで長く勤めるべき」

私の親は直接ああしろ、こうしろ、と言うことは少なかったと思いますが、期待はすごく大きかったようです。

両親とも進学校の出身で、父親は教師、母方の親戚も教育熱心な人が多く、母は結婚する前から子ども(私)に読ませる絵本を買い集めてたらしいです。

おもちゃとかゲームとかは買ってもらえないけれど、参考書代とか学費はちゃんと確保してくれているような親で、「大学に進学しろ」とは言われませんでしたが、それが当然という空気感がありました。そして、成績が良いと喜ぶので、私もせっせと勉強して期待に応えました。

しかし、黒澤先生によると「期待する―期待に応える」関係は一番危険 なのだそうです。

期待に縛られる

「親だから、子どもをちゃんと育てなければいけない、幸せにしないといけない」
「子どもだから、親の期待に応えなければいけない、そうじゃないと幸せになれない」

そういう勘違いに陥りやすく、それでお互いに依存してしまったり、喧嘩をしたりして関係がこじれてしまうこともあるそうです。

そして、「期待する―期待に応える」関係を改善するには、双方で善くしようという意識をもってしっかり向き合って本音でぶつかるか、子どもが親を絶望させるほどに期待を裏切るか、のどちらかなのだそうです。

中にはどうにもならないほど期待が強い親もいて、子どもを自分の人生の一部のように思ってしまったり、一切悪気なく支配してしまったりすることがあります。

そんな時に、「子どもはただ生きているだけで幸せ」ということを教えるために、下のきょうだいが生まれてすぐに亡くなることがある そうです。(必ずしもそのパターンとは限りません。)

大学の先輩から、実は学生の時に中絶したことがある、という話を聞きました。何年も前のその手術の日のことをハッキリ覚えていると言っていました。

生まれて来なかった小さな命がその人に何を教えようとしたのかは分かりませんが、少なくとも本人には何か大きなインパクトを与えたらしく、話を聞いただけの私もまた何年も覚えていてこうして書かされているというのは、確かに何か意味あるんだろうと思います。

私はずっと、子どもが生まれて私に似てブスだったらかわいそうだから、ブスの遺伝子は自分で断ち切ろうと思っているクチでしたが、それってまだ見ぬ未来の子どもに「イケメン・美人じゃなければ幸せじゃない」という変な価値観を押し付けているんじゃなかろうか、とこの一連の話を書いていて考えさせられました。

なので、もしも将来私が子どもを産むことがあったら、先輩の子どもが命の恩人ということになります。

死ぬのが怖い!死の恐怖を克服するヒント3 全体とつながって生き続ける

人類のネットワーク

命のバトンというものと考えてみましょう。両親、祖父母、そのまた両親たち…と命のリレーのチームを数えていくと、ものすごい人数になります。誰かが一人でも欠けていたら今、自分はいなかったことになります。

その奇跡的なことが、今地球に生きている70億人全員に起こっていて、これからもずっとバトンをつなげていきます。

受け継いでいるものは命だけでなく、文化とか技術とか、昔の人が発明してくれたいろんなものに助けてもらって今の暮らしがあります。

生まれてから今までに関わった人から、助けてもらったり、教えてもらったりして、今の自分があります。誰かの小さな一言が、大きな人生の転機につながったこともあるかもしれません。

その誰かにも、ものすごい人数のご先祖さまや、関わってきた人達がいます。

過去に生きたすべての人が何かの形で今、この瞬間のあなたにエネルギーを届けてくれています。そして、これからあなたが関わる人にエネルギーが伝わっていって、遠い未来の誰かの人生を大きく変えることがあるかもしれません。

だから、もしも私が同級生全員から忘れられて「いなかった人」になっても、この後間違えて死んじゃっても、オッケーなんです。この記事を読んでくださったあなたが、「へぇ~」と思ってくれたり、面白いでもつまらないでも、何かしら感じていただいて変化ががあったのなら、私はこの世にずっと生きていける んです。

あ、でも別に気にしないで全然忘れていただいて大丈夫ですよ(笑)。

大事なのは、自分がひとりぼっちじゃなくて、人類みんなと、地球や宇宙とも繋がっていることを感じられることです。

大きなつながりを感じよう

なんだか急に大きな話になってしまいました。でもそれは、体を作る細胞をもっと細かくした分子で考えてもそうですよね。体の中をめぐる水の分子は、水素と酸素の原子がくっついて出来ています。その水素や酸素は大昔に恐竜がのしのし歩いていたころから、もっと前の地球に初めて雨が降った日から変わっていないものです。 自分の背骨のカルシウムの「前世」は、海の小魚の骨だったかもしれません。

物質だけでも、ものすごい循環の中で生きていますが、物事の因果関係なんかを見ようとすると複雑に絡み合うネットワークの一点に今、自分がいるわけです。

ある人は「大きな木」にたとえていましたが、1人の人は小さな葉っぱの1枚で枯れて落ちてしまっても、人類という木は生き続けます。そして、その木の命の中には枯れて落ちた葉っぱで作られた養分も蓄えられて、新しい芽を出すのに役立っています。

たとえ子どもがいない人でも、生まれてすぐに死んでしまった赤ん坊でも、影響・エネルギーは残って大きな人類の木の幹に生き続けて行くのです。

・・・っていうイメージをしていただいて、少しでも怖さを和らげていただければ幸いです。

ライター高橋久美の開運★引き寄せ研究部

私が高校生でまだ中2病を引きずっていた2005年のことです。

当時あこがれていた学校の先輩をストーキングしていたら、「自殺未遂を起こして精神病院に入院した人のウェブサイト」がお気に入りだという情報を入手し、さっそく私も見てみました。

『精神病院入院日記』という、アメーバとかライブドアとかの無料ブログではなく、インターネット黎明期によくあったような手作りのサイトです。

(2カラムで、掲示板とかカウンターとかチャットルームとかがあるアレ、といえば分かる人には分かるでしょう…)

自殺未遂をした割に、楽しそうな入院生活が生き生きと描かれていました。

病院の入院患者のキャラが濃かったり、変なポエムが始まったり。

また精神科や閉鎖病棟の偏見をなくすようなメッセージ性もあり、印象に残っていました。

私が見つけたときはすでに更新は止まっており、掲示板も過疎っている状態でした。

その後、数年に1回ほど検索してみると、まだサイトは残っています。

このタイプのホームページはサーバーのお金を払わないと消えてしまうはずなので、筆者はまだ生きているのでしょうか。

それとも、亡くなって家族が思い出のために残しているのでしょうか…。

先日もふと思い出して検索してみたら、トップページにメッセージが表示されています。

更新日を見ると、今年の春です。

とりあえず普通に生きてます。20年も放置していたサイトですが、そろそろ閉鎖しようと思います。
今までありがとうございました。何は無くとも健康第一。皆様お元気で

といったような事が書かれていました。

会ったこともない、知らない人なのに、なぜかホッとして温かい気持ちになりました。

私も肉体が滅びても、サイトが消えても、誰かの記憶に残る記事を書き続けていきたいと思いました。

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