魂を磨く

「第九」で浄化!神々しいエネルギーに包まれてパワーを補給

私はヴェートーベンの第九がとても好きなのです。

日本では戦後のあたりから年末の風物詩であり、我が家でも大晦日には第九を見ながら年末を過ごしておりました。

「フろイデ シェーネる ゲッテるフンケン…♪」

全く意味が分からないまま、なんとなく口ずさんでおりましたが、この歌詞の意味をあなたはご存知ですか?

私の父は外国語が得意でドイツ語を学んでいたのですが、第九を聴いている時は本当に嬉しそうに声高らかに歌っておりました。

「この歌はな、神様の光に包まれていくような恍惚の歌なんだぞ。日本語ではこの感覚はとても訳しきれない!」

なんて意気揚々と話していたのが思い出されます。

「コウコツ…?ヒカリにつつまれる…?」

幼いころの私は全く理解できませんでしたが、何となく素晴らしい音楽なんだなということだけ強烈にインプットされたのでした。

さて、大人になった今、改めて第九の歌詞を調べてみると、なるほど読んでいるだけで凄まじいエネルギーを発しているということが感じられます。

これが音楽となり、メロディーや波動として身に浴びたならば、俗にまみれた私の身体はどれだけ清らかになることか。

神社やパワースポット巡りも良いですが、第九を時々聴くだけでもかなりスッキリしますよ!

 

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強烈なパワーのある歌詞の意味


40分程の1~3楽章までの演奏の後に、バリトンのソロが歌い始める時、「きたきたー!よっ!待ってました♪」とテンションが上昇していきます。

それでは、一緒に歌詞を読んでいきましょう♪

おお友よ、この調べではない!
これでなく、もっと快い、
喜びに満ちた調べに共に声をあわせよう。

歓喜よ、美しい(神々の)火花よ、
天上の楽園の乙女よ!
私たちは情熱の中に酔いしれて、
崇高なあなたの聖所に足を踏み入れる、何と神々しい!
この世の習わしが厳しく分け隔てたものを、
あなたの聖なる偉力が再び結び合わせる…(そして)
あなたの穏やかにたゆたう翼のもと、
すべての人々は兄弟となる。

ひとりの友の友となり、
ひとりの気高い女性を得られるなど、
大いなる幸福に恵まれた人は、
歓喜の声をあわせよう!
そう、この地上でただ一つの人の心でも
自分に大切なものと信じ得る人も!
だが、それが出来なかった人は 涙ながらに
ひそかに この集いより離れるがいい!

この世のあらゆるものは歓喜を
自然の乳房より飲む…(そして)
善人も悪人もすべての人が
薔薇色の小径を辿る。
自然は私たちにくちづけとぶどうと、
死をも分かち得る一人の友をもたらし
虫けらには快楽が与えられ…(そして)
天使ケルビムは嬉々として神の御前に立つ。

喜べ喜べ 自らが陽光に満ちた大空を駆けるように、
天空の壮麗な広野を飛び交い、
走れ兄弟よ、君たちの道を、
晴々と勝利に進む勇者のように。

抱き合うがいい、数百万の人々よ!
このくちづけを全世界に!
兄弟よ! 星々くらめく世界に
いとしい父が必ずいらっしゃるはず。
あなたがたはひざまずいているか、数百万の人々よ。
創造主の存在を予感するか、世界よ。
星々のかなたにその人をたずねよ!
星々のきらめく天蓋のうえに必ずやその人はいらっしゃる。
~出典 「第九」の歌詞(独語・邦訳)~

「許し」「勇気」「温かさ」「エネルギー」「歓喜」「希望」「愛」「浄化」「昇華」「光」「神々しさ」

読んだ時に感じたことを言語化すると、このような言葉が浮かびます。

とっても力強さと温かい圧巻のパワーみなぎる歌詞だとは思いませんか?

第4章「歓喜の歌」までのストーリー


今紹介したように、第九といえば第4楽章の「歓喜の歌」が有名ですよね。

実は全ての演奏をすると約1時間の長きにわたります。


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まるで一つのストーリーを語るように、第1楽章から第3楽章までが演奏され、最後に「歓喜の歌」のフィナーレへと私たちを導いてくれます。

この第4楽章が素晴らしいと感じるのは、第1~3楽章あってのこと。

それぞれに音楽を通して大切なメッセージが込められております。

第一楽章は、初めラとミの音(完全5度という明るくも暗くもない響き)が遠くの方から聴こえてきたな~と思ったところで、嵐のような爆発的な音が鳴り響きサッと止む。

「今のは一体何だったの?」という、ざわざわとした感情を抱かせます。

何かの恐ろしい前兆のような、不安感を抱かせたまま過ぎ去っていくのです。

強烈な主題の提示ということなのだそうですよ。

第二楽章の始め、第一楽章の主題の完全5音が鳴り響きます。

その後、軽やかなスピード感をもって疾走し、聴くものを惹きつけていきます。

このスピード感により最高にエネルギーを高めた後、再び第一楽章の主題を想起させつつ、一気に転換しスパッと終わります。

第三楽章は、ただひたすらに優しく美しくまるで別世界です。

約20分間ほど、フワ~っと夢心地の世界にいるよう。

あれ?初めの問題って何だったっけ?というような、現実世界からの逃避のようにも思えてきます。

大体ここのあたりで、皆さん魂がどこかへお散歩するようですね(笑)

後半の部分で、途中爆発音が何度か入りますが、その後もひたすら夢の世界は1~2分程続きます。

夢の世界へ誘われた第三楽章の気分を引きずっていると、第四楽章ではたたき起こされます。

ちゃぶ台返しのように、ドカーンとひっくり返した後先程見たバリトンの「おお友よ!この調べではない!」が歌われます。

第1楽章・2楽章・3楽章それぞれ「これはちょっと違うんだよな~」みたいな流れがあってからの、

「これこれー!歓喜の歌のテーマ!」と発見があり、「ねぇ、皆で一緒に歓喜の歌を歌おうぜ!」と大合唱へ導かれるのです。

ヴェートーベンの魂の集大成「第九」


こんなに愛されている交響曲はないのではないでしょうか。

音楽に一生を捧げたヴェートーベンの人生をかけた至極の一曲といえます。

彼は構想から約30年もの時を費やしてこの曲を創り上げました。

ヴェートーベンの人生は、客観的に見ても不遇の連続としか思えないほど、試練に満ちています。

アル中の父の下に生まれたことや、実を結ばなかった数々の恋、ナポレオンに対する強い失望、耳の障害などなど。

これらのマイナスに見える自分に降りかかる運命と引き換えに、彼は音楽の才能を得たのかもしれません。


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音楽に対しする情熱に命を燃やし続けたヴェートーベンが、内臓の疾患を抱え全く音を感じられなくなった中で作曲されたのが「第九」なのです。

「勝利に突き進む英雄のごとく、自らの道を行け」
「抱擁と接吻を全世界に」
「すべての人々は兄弟になるのだ」
「喜べ喜べ 自らが陽光に満ちた大空を駆けるように」
「星々のきらめく天蓋のうえに必ずやその人はいらっしゃる。」

苦難の最中にいながら、これほど人々に勇気や希望を与える歌詞、あの壮大な交響曲をつくることができるなんて感動しかありません。

聴き終わった後は、言葉では形容しがたい涙が自然と溢れてくるので、浄化のエネルギーがかなり高いのではないかと思っています。

言葉を超えて、私たちに調和の素晴らしさを教えてくれる交響曲。

絶望を経験したヴェートーベンだからこそ、崇高な歓喜の世界まで足を踏み入れることができたのかもしれませんね。

まとめ


第九を聴くときには、できるだけ第1楽章から続けて聴くようにしています。

最初から聴き続けることで、第4楽章の爆発的な「歓喜の歌」が身に染みて感じられるのです。

そしてコンサートホールまでとはいかなくても、良い音響で聴くと音の波動が全身を包み込み、魂が浄化されたような不思議な感覚を味わうことができます。

年末に第九を聴きに行ったとき、女性の高音と男性の低温が見事に調和して、合唱団の圧巻の歌声がコンサートホールに響き渡ったのを体感したときは震えがきました。

あの「はい、おしまい!」スパンッ!と終わった瞬間、会場全員が総立ちで「ブラボー!!!」の嵐に包まれるのも大好きな瞬間です。

その会場にいる全員の心が、歌詞の通り「兄弟」となった瞬間を味わえたような気がします。

日本人の第九好きは、様々な戦略によってつくられたものかもしれませんが、私はこの曲に出会えたことに感謝しています。

浄化と共に、魂が引き上げられるような崇高さも感じられるからです。

神様がいるとするならば、こんな光に満ちた世界に存在するのだろうと自然と畏敬の念を感じさせてくれるような壮大な楽曲です。

落ち込んだ時ほど聴いてほしい、最高のクラシック音楽といえます。

初心者スピ部長・カリーネの愛の引き寄せ道場!

あの合唱と合奏が一体となって、ホールの壁をビリビリとさせる振動が私の身体に伝わる感覚は、その時しか味わえない幸せの瞬間といえます。

もうこんな世界に包まれるのだったら、死んでも構わないわ!と聴き終わった直後は身も心も抜け殻状態です。

父の言っていた恍惚とは、こういうことなのかなぁ。

大学生の頃、教授を投げ飛ばしたという武勇伝を語る荒々しい父が「恍惚」なんて言葉を発していたとは、今振り返っても驚きですが。

学問については私より遥かに得意としていたので、時々ふと思い出しては、ためになることを言うものだと改めて感心しています。

「人間には闇と光があり、闇の部分が光を支えている」

これは私の師匠のK先生の言葉です。

この言葉を私なりに考えてみますと、なるほどヴェートーベンの不遇という「闇」は、後世に残る作曲家としての「光」を支えていると言えるなぁと思うのです。

しかしそれと同時に、闇を光に変えられるのはその人次第といえるのではないかとも考えます。

うちの父のように闇からひたすら目を背け、「いつか俺は…」という発言をして終焉を迎える人間を、目の当たりにしているものですから(笑)

どうすれば「光」へと転換できるのか。

1つ大切なことは、「闇」から逃げないで真正面から受け止めることかなと考えます。

自分の経験上、苦しみ辛さを味わい尽くしていくと、苦しみの本質に気づくことができたり、経験から周囲の人に対する見方が変化したりしていったことで、発想の転換が生まれてきたからです。

では絶望を感じないものは「光」に辿り着けないのか!?と思ったあなた。

大丈夫です。

絶望を味わっているあなたも、そうでない方も、先生のメルマガを読めば気づきを得られます!

人生に何かしらの光を求めているあなたは、是非読んでみて下さいね。



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