心を育てる

報われずとも人生を捧げられるか? 羽生善治さんの名言から努力と才能を考える。

努力と才能

「努力すれば、必ず報われる」なんて、いつまで信じていただでしょうか?

どんなに努力しても、体格や才能に恵まれた人には敵わない…何回も何回も挫折を繰り返して諦めることを学び、私達は平凡な大人になっていきます。

だからこそ、才能に恵まれて努力を重ねた末に成功した人たちの姿は輝いて見え、心にざわざわした感じを呼び起こします。

一体、彼らと自分は何が違っていたのか…。

今日は、努力と才能について、将棋で永世七冠に輝き国民栄誉賞を受賞した羽生善治さんの名言を手がかりに考えてみたいと思います。

きっと最後には、もう一度チャレンジしたくなるはず…! 涙もろい人はハンカチをご用意の上、お読みください。

 

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人生を3年捨てる覚悟はあるか?

1万時間の法則

楽器やスポーツなど、一般的に努力が報われてその道のプロレベルになるには1万時間の練習が必要と言われています。

人生を3年捨てる覚悟

この世の中、何か成果を出そうと思ったら大抵3年はかかります。それを代表するのが「石の上にも三年」という言葉だったり、「1万時間の法則」です。

1万時間の法則とは、何毎に置いてもプロレベルになるには大体1万時間かかるというもので、1万時間を3年で割ると一日約9時間という事になります。

仕事であれば就業8時間を集中的に過ごし、その上残業1時間をやりこんで何とか3年で一人前になれるといった所で、感覚としてあながち外れてはいないと思います。

人生3年捨てる覚悟ある? 成功するために必要な「1万時間の法則」

ピッタリ1万時間の根拠には、やや怪しいところがあり、当然ながら時間だけでなく練習の質も大いに関係します。

何を覚えるかによっても所要時間は全く変わってくるでしょう。同時通訳者の外国語勉強時間は2万時間を超えると言われますし、その道によっては10年でやっと一人前、なんて業界もありますからね。

いずれにしても、「本気で打ち込んで3年」というのが、全くの素人から1つ突き抜ける目安にはなります。

これにはちょっとスピリチュアルな理由もあります。

『三日坊主』というように何か1つ習得して顕在意識が変わるのにかかるのが3日間かかります。頭で考えてできる、という状態です。

3ヶ月続けば、より深い部分の潜在意識が変わり、ある程度は感覚で出来るようになります。

更にすっかり体に染み付いて、無意識でできるようになるのが3年、と言われています。

しかし、それに打ち込んだからといってその道で食べていけるかどうかは、また別問題です。

人生を全部賭けても分かれる明暗

努力の年齢制限

音楽や絵、文章、マンガなど芸術の世界ならば、続けていればいつか認められる日がくると信じられるかもしれません。

今はYouTubeやTwitter、ブログなど、個人でも発表できる場がありますから、報われるかどうかは別として希望は持ち続けられるでしょう。

しかし、プロスポーツやバレエなど、年齢というタイムリミットが儲けられている職業の場合は事情が違います。

幼少の頃からそれ一筋で人生を捧げてきたのに、才能が認められずに20年近くの努力が無駄であったことを明確に突きつけられるのです。

将棋もその1つです。

全国から天才少年・少女がプロ養成期間の『奨励会』に入門しますが、その中でプロ棋士になるには1年間にたった4人だけ。

しかも、21歳の誕生日までに初段、26歳の誕生日までに四段になれなければ退会、という厳しい年齢制限があります。

華々しくデビューするプロの影には、肩を落として将棋会館を去っていった数多くの元奨励会員たちがいるのです。

大崎善生『将棋の子』は、そんな元・奨励会員の姿を追ったノンフィクションです。

17~18歳の育ち盛りの青年が自分の誕生日を恐れるようになる。

ひとつ歳をとることは、すなわち与えられたわずかな寿命を確実に食いつぶすことを意味する。

17~18歳といえば加速度的に世界が広がり、自分の中にさまざまな可能性を見出していく年頃だ。

学校という閉ざされた環境の中にしかなかったはずの自分の場所や存在理由が、もっと広い社会の中にもあることを知り、胸をときめかす年齢のはずである。

しかし、奨励会員たちは違う。

歳とともに確実に自分の可能性はしぼんでいく。

可能性という風船を膨らまし続けるには、徹底的に自分を追い込み、その結果身近になりつつある社会からどんどん遠ざかっていかなくてはならないのだ。

『将棋の子』大崎善生

その年プロデビューする人が決まる『奨励会三段リーグ』最終日は、奨励会員たちの明暗を分ける運命の日となります。

青年は膝を抱え腕の中に顔を埋めるようにして、へたりこんでいる。

精も根も尽き果て、まるで魂を何者かに奪われてしまったかのようにうなだれている。

その日一日で、まるで大波に弄ばれる小舟のようにくるくると変わっていった自分の運命への驚きを隠そうともせず、受け入れることも嚥下することもできず、また涙さえ流すこともできずにただ呆然と座り込んでいる。

(中略)

この日、4人の奨励会員が年齢制限で将棋会館を去っていった。

(中略)

彼らの夢はどうしたのだろうか。挫折した夢とうまく折り合って、いきいきと生きているのだろうか。

『将棋の子』大崎善生

才能あふれる子どもたちが、人生をかけて将棋の勉強をして、それでも紙一重でプロになれるかどうか。

プロになれなければ、「将棋が強い人」は就職にほとんど何の役にも立ちません。

20年以上人生をかけて、その積み上げた努力が何も花開かずに社会に放り出されてしまう可能性があるのです。

しかし、成功する一握りの人たちは、ただ一人の例外なく、「それでも挑戦し続けてきた」人たちです。

羽生善治さんの名言、挑戦し続ける才能

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。

報われないかもしれないところで同じ情熱、気力、モチベーションを持って継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

by 羽生善治

この言葉には、たいへん身につまされる思いがします。

私は文章を書くライターをしているのですが、最初はメンターの勧めで修行のためのブログを書き始めました。

でも、しょっちゅう不安がでてきて、ぐるぐると考えてしまいます。


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こんな事をやっていて、もし才能がなくて何にもならなかったらどうしよう? 何も結果が出なかったら、全部が無駄になるんじゃないか…。

そんなことで頭がいっぱいなので、肝心の執筆活動に集中できません。

不安を紛らわすために、関係ない映画やドラマをボーッと見て気を紛らわしたり、ふて寝して何も考えないようにしたり、恐怖を麻痺させるような行動が多くなります。

もし、結果がどうあろうとも全力でやってみよう、と思えていれば、余計なことをしている時間にもっと勉強したりとか、いっぱい書いて練習したりという建設的な行動をしていたはずです。

結果に執着するほど、何故か結果に繋がらない思考や行動をしてしまうんですね。

結果が出ても出なくても、ひとつも報われなかったとしても、同じモチベーションを保てるか…。

やってみたから分かりますが、これは本当の本当に大変なことです。

幸いにも私は良きメンターに恵まれたおかげでそのまま腐ることなく、たとえばいい結果をイメージするメンタルコントロールとか、プロセスを純粋に楽しむことに目を向けるとかをやって、モチベーションを保ちつづけることができました。

また、もし仮に結果に繋がらなかったとしても、全力でチャレンジした経験は人生を長いスパンで見れば必ずプラスになります。

同じく『将棋の子』より、元奨励会員のその後を見てみましょう。

全てを捧げたことが自信になってくれる、元奨励会員の言葉


成田英二さんは、小学3年生でアマ三段になった天才少年でした。

棋士になる、名人になる、という夢を抱いて東京に出てきましたが、彼もまた夢破れて奨励会を去った一人です。

当時の奨励会員のほとんどがそうしていたように、成田さんも将棋の勉強に専念するために高校には行かず、地元北海道に戻った後は職業を転々としたそうです。

しかし、将棋をやったことは全く後悔していないといいます。

「将棋がね、今でも自分に自信を与えてくれているんだ。

こっち、もう15年も将棋指していないけど、でもそれを子供のころから夢中になってやって、大人にもほとんど負けなくて、それがね、そのことがね、自分に自信をくれているんだ。

こっちお金もないし仕事もないし。家族もいない。今はなんにもないけれど、でも将棋が強かった。

それはね、きっと誰にも簡単には負けないくらいに強かった。そうでしょう?」

『将棋の子』大崎善生

将棋は、人生に何かを与えてくれるものであり、決して奪うものではない…将棋の本質は「優しいもの」だと筆者の大崎さんは考えます。

これを読んだ棋士、先崎学八段は、次のようにコメントしています。

私はハッとなった。

将棋が私に与えてくれた最大の物は、八段という地位ではなく、ましてやお金でもなく、将棋の道を志した時の純粋な気持ちだった。

A級だから幸せでもなく、羽生に勝てないから不幸でもなく、私は、将棋に夢中になった小学生から、幸せだったのだ。

そして、この気持ちを忘れなければ私は幸せなのだ。

将棋世界2001年8月号

本当の幸せは、結果ではなくそれを志した「純粋な気持ち」にあり、夢中になることが、それ自体幸せである…。

純粋な気持ちとは、理由なく湧き上がるもの、魂の叫びです。

たとえ、お金や損得が何も関係なくても、ただやりたいこと、理由なく突き動かされる衝動に従うことが、人生の宝物になってくれます。

私も文章を書いているときに、本当に集中して時間が止まったような感覚になることがあります。

その瞬間はお金の心配も、将来の不安もなく、「ただ書く」という純粋な気持ちでいられる、幸せを感じられる時間です。

もちろん、結果を出すのに必死は必死なんですが(笑)、気持ちとしては、「ただそれだけでいい」という感覚でいます。

結果は出たら嬉しいし、そのために全力でやるけれど、もし結果が出なくても幸せ。

だからこそ、報われないかもしれないことに人生をかけられるのだと、考えています。

まとめ

努力し続けるという才能

石の上にも三年、というように、何かをモノにするには約1万時間の修行が必要とされています。

しかし、人生を捧げたことが結果につながるとは限りません。

時間と労力を費やしても、それでプロになって成功できるかどうかは、ほんの少しの才能の差やタイミング、運で無情にも明暗が別れてしまうものです。

「報われないかもしれないところで同じ情熱、気力、モチベーションを持って継続している」ことが才能であると、羽生善治さんは言います。

そして、本当に報われなかったとしても、夢中で打ち込むこと自体が幸せであり、その後の人生の糧になることを、元奨励会員が教えてくれます。

今も将棋が自分に自信を与えてくれている。自分の支えとなっている。

『将棋の子』大崎善生

結果への執着を手放し、魂の衝動「純粋な気持ち」に従って全力で努力し挑戦しているとき、その瞬間に暖かな幸福を感じられます。

自分には才能がないかもしれない。努力しても報われないかもしれない。

「それでも、やりたい気持ち」が大切なのではないでしょうか。

ライター高橋の開運★引き寄せ研究部

恥ずかしながら、私も高校生の3年間はかなり勉強そっちのけで将棋に励んでいました。

授業中はコッソリ詰将棋の本を見て「内職」したり、道場に通ったりしていました。

余裕で1万時間はかかって相当なエネルギーを注いだ割に、棋力はだいぶ甘く見ての初段止まり。有段者には手も足も出ませんでした。

そんな程度でしたが、将棋から学んだことはたくさんあります。

読みふけって集中しているときの感覚や、分が悪くても逆転のチャンスを待つ粘り強さ、相手があって思い通りに事は進まないということ…などなど、

メンターは、そういった「今まで時間や労力をかけたけど、捨ててしまったもの」「人生の黒歴史になっているもの」に才能のヒントがあると言います。

ずっとやってても疲れない、夢中になれる、というのは「エネルギーロスなくできる」というある種の才能なのです。

たとえば、将棋みたいに座って延々と考えるのが楽しくていくらでもできる、っていう人もいれば、そんなのは苦痛で体を動かす方が楽しい、という人もいます。

それ自体はもうやめてしまっても、そのときの感覚や考え方は他のことに必ず役立っているはずです。

自分の得意なエネルギーの使い方=隠れた才能に気づいて伸ばしていくのが成功の近道なのです。

メンター先生の無料メール講座をこの下でご紹介していますので、よろしければ合わせて読んでみて下さい。おすすめです!



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