思考を鍛える

古事記の本当の楽しみ方とは?奥が深い日本の神話の魅力

古事記を楽しむ方法

人はなぜ神話を作るのでしょうか。

そもそも「神話」とあるように、「神様がいることが前提のお話」なのです。

現代人の私などは、つい「神々の話なんて不確かなもの、なんでわざわざ作るんだろう?」と思ってしまいます。

今の世の中よりも不便で、学問も発展していない時代、人々はどのような思いで生きていたのか、また日本神話に登場する強烈な神々に込められた意図とは何なのかを紐解いていきましょう♪

 

スポンサーリンク


スポンサーリンク


古事記の神話のルーツ

人はなぜ神話を作るのか、という問いに対する答えは、「自分はなぜ生まれてきたのか」そして「どうして死んでいくのか」という、全人類共通のテーマに対する恐れ。自然がいかに尊く偉大であるかということの戒め。

これらを古代人なりに、語り継ごうとしてきたということなのではないかと思います。

多くの国が、国家権力を誇示するために、成立に向けての物語を語ってきました。どのような英雄がいて、どんな苦難を乗り越え、今の平和な国家を樹立したのかと述べることで、吸引力を高め、系譜の正当性を高めるためですね。

日本神話である『古事記』や『日本書紀』が編纂された倭国 (当時の日本)は、白村江の戦(百済遺民と倭国との連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のこと)で大敗を期し、危機的な状況を迎えていました。

また壬申の乱により、『天皇記』や「国記」は焼けて欠けてしまっていました。

いつ大国に侵略されてもおかしくないという緊迫感の中で、天武天皇と妻である後の持統天皇は、倭国を大国と同等に渡っていけるだけの力をもった中央集権国家であることを知らしめるため、神話の編纂を命じるのです。

それまで中央集権国家を目指そうとしていた豪族達の連合政権に対抗し、天皇による支配の正統性を主張するためでもあります。

対外向けに書かれているのが『日本書紀』、国内向けが『古事記』と考えれば分かりやすいでしょうか。

『古事記』は、天皇から距離を置いて書くことができたため、非常にダイナミックに伝えたい信念に基づいて書かれているなと感じます。

国外向けの『日本書紀』と違い、江戸時代に本居宣長によって注釈書が作られるまで、『古事記』は表舞台から忘れ去られていました。

どうやらひっそりと国内で引き継がれていたため、消失することはなかったようなのです。

表舞台からは消えていたのに、ひっそりと受け継がれてきた、というところが『古事記』ミステリーであり、本質に関わってくるところとも言えそうです。

『古事記』を読むことの意義

古事記を読む意義

1 日本人の高い精神性に触れることができる

その構成から見ていくと、

上つ巻…神々の世界(出雲神話)
天→地へ天孫降臨
中つ巻…初代から十五代天皇まで
下つ巻…第十六代から三十三代天皇まで

となっており、神話から始まり、神が地上に降り立ち、その子孫である天皇家の統治を正当化する目的の為に書かれた歴史書であることは、ご存知のとおりですね。

それでは、その神話を現代人の私たちが読むことに、どんな意義があるのでしょうか?

普通、歴史というのは勝利したものからの視点で書かれ、敗者の記憶は消し去られるのが定石です。

『古事記』の最大の魅力は、上つ巻の中心となっているのが「出雲神話」であるということ。つまり、敗者の物語が全体の3~4割を占めているというところにあるような気がします。

敗れていったものに焦点を当て、寄り添い、鎮魂の気持ちを込めて書かれているというところに、日本人の精神のルーツがあるように思われるのです。

敗者を殺さず生かし、共生する。


スポンサーリンク


古事記の登場人(神?)物であり、日本の最高神である天照大御神の祭られている伊勢神宮では、この敗者に対する敬意・情け・称賛の精神が随所に見られます。

この精神を垣間見るにつけ、「日本人で良かったなぁ」としみじみと感じられるかもしれませんね。

2 物語の定番を知ることで、成功法則を学べる

『古事記』は魅力的なキャラクター・物語に溢れています。主要なキャラクターたちは、ある決まったストーリー形式を踏んで、幸せや成功を掴んでいきます。

この法則を理解できると、俯瞰して自分の人生を眺めることができるようになるかもしれません。

つい応援したくなる・大好きになってしまうヒーロー・ヒロインの性格とは?と考えてみても面白いですね。

  • 最初はいじめられていたけれど、真面目にひたむきに生きていると、素晴らしい人に見出され幸福になった。
  • 突出した才能・技術をもっていながら報われないため、どこか影があり、つい応援したくなってしまう。
  • いくつもの困難が襲い掛かるが、必ず助けを得られ、最終的には王となる。

何か、共通点があるような気がしませんか?

お気に入りのキャラクターになりきって行動してみたり,「何だかあの物語と同じ道を歩んでいるような(汗)。確か、あの登場人物にはこの後こういうことが起こっていたような…。よし、今のうちに備えておこう!」と考えてみたり、

自分の人生を客観視できれば、意外なヒントが見つかるかもしれません。

3『古事記』と「言霊」

『古事記』をどのように発音していますか?

「こじき」以外にあるの?と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

実はもう一つ「ふることぶみ」という読み方があるのです。

これは、漢語が入ってくる前に、神代の時代から用いていた「大和言葉」という言葉による読み方です。

私たち日本人の祖先は、古来から言葉の持つエネルギーに着目していた民族だったため、この「大和言葉」の持つ言葉の力はとても強いものなのだそうですよ。

言葉の力には呪術性があり、それを唱えることによって「言霊」の神秘的な力が発揮され、その通り実現する力を持つと考えられてきました。

「言=事」という同音の響きから、「良き言の葉は良きものを招き、悪き言の葉は災いを招く」といった観念を持っていたのです。

言霊信仰は日本だけではなく、洋の東西を分けることなく存在し、言葉の超越した力を畏れ敬ってきました。

マントラ・お経・呪文・聖書などがそれに該当するものですね。

『古事記』はそのような大和言葉の「言霊」で書かれた、エネルギーに満ち溢れた「国生みの神話」なのです。

「大和言葉」は、とにかく音の持つ力(音霊)を持った言語ではありましたが、表記文字の存在はありませんでした。

そこに圧倒的な文明を誇る大陸から、既に文型がきちんと整った漢語という言語が流入されることとなります。

『日本書紀』は対外的に編纂された正史とした意味をもつので、その中国伝来の漢文(公文書としての意味を持つ)を用いて書かれているのに対し、『古事記』は「大和言葉」の響きを残そうと、漢字の音を借りた万葉仮名(日本漢文)と呼ばれる表記の仕方で書かれています。

原始的で体系の整っていない「古代やまとことば」をいかに表記するかということの、ある意味集大成が『古事記』でした。

一語一語、発音・意味に即した漢字を当てていく作業を想像すると、大変な苦労が偲ばれますね。

『古事記』に関しては、そのキャラクターや物語の面白さに焦点があてられることが多いのですが、原点である本文に触れることで、その言葉のもつ神秘的な魔力や、編纂に携わった人たちの熱い思いに触れることも楽しみの一つと言えるのではないでしょうか。

冒頭部分を読み味わう

古事記とビッグバン
かつて豪族たちには専属の語り部が存在し、代々語り部の一族は、幼いころから語りで歴史を受け継ぐ使命を負っていました。


スポンサーリンク


稗田阿礼はその一人で、日本各地で伝承されている膨大な神話を記憶していたと言われているスペシャリストです。

太安万侶(おおのやすまろ)はそれを整理し、加筆し「大和言葉」による日本最古の歴史書『古事記』を完成させ元明天皇に献上したのでした。

『古事記』の冒頭の部分を、大和言葉の響きを楽しみながら読んでみましょう♪

原文:天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神、次高産巣日神、次神産巣日神、此三柱神者、波独神成坐而、隠身也。

本文:天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、
高天(たかあま)の原(はら)に 成りませる神の名(みな)は、
天の御中主(あめのみなかぬし)の神。
次に高御産巣日(たかみむすび)の神。
次に神産巣日(かみむすび)の神。
この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、
身(み)を隠したまひき。

漢語のように一語一語が途切れることなく、ゆったりと流れるような、たおやかな調べが感じられます。

現代語訳:天と地が初めて分れて、
高天原(タカマガハラ)に出てきた神の名前は
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、
次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、
次に神産巣日神(カミムスビノカミ)です。
この三柱の神は、奥さんや子供のいない独神で、
姿かたちもありませんでした。

通釈:天(テン)、地(チ)、神(シン)など中国語由来のことばではなく、天(あめ)、地(つち)、神(かみ)などの日本古来のことばで読まれています。

言葉に着目すると、「天(あめ)」は私たちがイメージしている太陽のこととは少し意味が異なり、そもそも「何もなく空虚に見える様」という意味なのだそうです。

ですから、本当に宇宙の無数の星たちも存在していない「前宇宙」とでもいうべきものを表していると考えられます。

次に「地(ツチ)」は、「チ」と読まないことによって、「アメ(前宇宙)」に対して星を表しているのだとか。

「ツヅリ」「ツツミ」という語から派生したもので、下の音「ツリ」「ツミ」が約まり「ツチ」になったそうです。

この語は、「物質を一ヶ所に集めて散在しないようにする」という意味をもっています。

つまり、大宇宙に散在する素粒子を集合し、大気で包んで綴り合わせて諸星を結び成したことを表しています。

また、初発(はじめ)の時の部分では、「発」という漢字が当てられており、「外に向かって一気に広がる」という意味をもっているそうです。

以上のことより、「天地初めて発けし時」とは、四方八方に向かって一気に広がっていったことによる、素粒子の形成を意味しています。

いわゆる「ビッグバン」と呼ばれる宇宙のはじまりについて伝えていることがわかります。

太陽系が成立した後は、現在の私たちが用いているような「天=太陽」「地=土」と呼ぶようになったようです。

宇宙創成の歴史を既に古代人たちは理解していたことに畏敬の念を感じます。

大和言葉の音の響きを楽しむ

古事記の音を楽しむ
音の響きを十分に感じてみましょう。

この壮大な世界観を「天地初めて発けし時」となんとゆったりと伝えていることでしょうね(笑)

先ほどは、原文に忠実に「天と地が分かれて」という現代語をのせましたが、この世界観も含めた現代語訳にするならば、「宇宙が誕生した時」となりますね。

「ウチュウガタンジョウシタトキ」

「アメツチノハジメノトキ」

音で比較した場合、どのように感じますか?

前者は歯切れよく、内容も明確に理解することができる反面、温かみに欠けていると言えそうです。

一方後者の方は、深い意味が伝わりにくいという欠点はありながら、それがゆえにどこか神秘的で柔らく美しさがあるように思われます。

まとめ

『古事記』の魅力は様々あり、どれに焦点を当てても深い学びがあるように思います。

  • 神々のキャラクターを楽しむ
  • 様々な苦難を乗り越え、成功を掴むサクセスストーリーから人生哲学を学ぶ
  • 日本国をまとめ上げ、大陸と同等の力を身に付けようと奔走した歴史に思いを馳せる
  • 日本書紀には記されていない、敗者の記憶「出雲神話」の面白さ・やるせなさを読み解く
  • 敗者に対する慈しみや滅ぼさず生かすという精神性の高さを知る
  • 「大和言葉」の美しさや言霊信仰を知る

いかようにも楽しめそうです。

そしてこれらは、日本人の原点「日本人とは何者であるか」ということに通じています。

グローバル化が進む中で、多くの物や人が行き交い、まるで皆根無し草のように浮遊しています。膨大な情報量にさらされてしまい、何が本物であるのかが分かりづらい世の中です。

そんな時代において、そもそも自分の「根」は何であるのか、何を心の柱として生きていけばよいのか。

そういった日本人としての自分のルーツを探る一つの方法として、『古事記』を読むことはとても有効ではないかなと思うのです。

これを読んでいくと、無意識のうちに脈々と受け継がれているものがあることにきっと気づくことができます。

特に自然観などは、同じ日本に住んできたものとして、時空を超えて共感できるところもあるのかもしれません。

自分の根っこにある日本人の感性とはこんなに奥深いものであるのか、と感動さえ覚えます。

あなたも、魅力満載の『古事記』の世界を楽しんでみてはいかがでしょうか。

初心者スピ部長・カリーネの愛の引き寄せ道場!

『古事記』と初めて出会ったのは大学生の頃でした。

その時は表面的な話の面白さだけに捉われており、その奥に広がる壮大な世界観にまでは興味を持たずにいました。

けれども何故かずっと忘れられずに、書籍があれば買って積んで置いたり(笑)、関連の特集が組まれれば録画しておいたりと、いつかじっくり触れるための準備ばかりは整えていました。

今、周囲の環境を見渡した時に、この時のために『古事記』を読んでおきなさい、という何かからのメッセージだったのかなぁと思っています。

私の携わっている小さな環境下でも、絶えず争いが起きています。人と人との間や、会社規模でもいかに自分が勝ち残るかということばかり考え、殺伐としています。

そろそろこの時代をやめなければ、と誰もが思っていながら、ここまで巨大化してしまった体制を目の前に、一体どうすれば良いのだと頭をかかえている状況です。

このような他者と争うことが強制される時代の終焉を迎えようとしている中、「他者と共存する」「皆が生きる方法をとる」という日本人の根本的な思想に触れることは、心を明るい光で満たしてくれるような気がするのです。

人との関係や、人生の行き詰まりを感じ、「何かがおかしいなぁ、このままではいけないな」と思っていた時に、先生の面談を受けました。

「人との争いをまずやめて、人といかに共存していくかが大切ですよ」

「嫌な相手ほど成功させて、いかにうまく負けるかですよ」

なるほど、私は常に何かに勝とうとしていたのだな、ということに気づきました。

という訳で、これまでしてこなかったことを色々と勉強させていただく中で、今『古事記』にたどり着いていますが(笑)

ただ自分だけが良ければよいという今の時代から脱却して、誰かのためを思いながら一緒に新しい時代を築いていく。

そんな壮大なことを考えている先生のメール講座、是非読んでみて下さい。



※メルマガは終了しました。


↓この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます↓




スポンサーリンク

終了しました。

メルマガは終了しました。

コメントを残す

*