心を育てる

斎王の悲恋と孤高な運命|日本人なら知っておきたい神の花嫁とは

神社に行くとおみくじを買うのですが、なぜか今のところ大吉をあまり見たことがないカリーネです(笑)

私は昔、巫女さんのアルバイトをしたことがありました。

何!?アルバイトでできるの?と思いますよね。

巫女になるために何か特殊な試験等はなく(その時は)、お守りを売り続けただけでしたので、私などはただ和装のコスプレをした販売員程度なものでした。

けれども本来は、神社に勤務して神楽や舞による神事を行って神に奉仕する、神職の補佐的な役割を行うそうです。

漫画やアニメなどには、シャーマンの役割(祈祷・占い・舞・口寄せ)などを行う巫女も登場していて、崇高なイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。

あの装束を身に着けてそそと歩く姿は、凛としていながらもたおやかなどこか神秘性を感じさせるものです。

そんな巫女の存在から日本の歴史を感じてみましょう♪

 

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そういえばなぜ女性にしかなれないの?


男性の「巫女(←女って書いてあるし)」は見たことがありませんよね。

ちなみに、男女共に神に仕える人をさす言葉としては「巫覡(ふげき)」というものがありますが、男性のみを表すものではありません。

そして、シャーマンと呼ばれる人達にも女性が多いのは、性別によって何かしらの特性から来ているような気がしますよね。

私は、日本という国は女性を「穢れ」として扱うことがあるのに、なぜ神職の役割などをさせる立場に女性を置くのを許すのか、少し不思議に思っていました。

これは日本古来からの神道の考え方に由来するようなのですが、本来「穢れ」というのはそれだけが切り離されているのではなく、「清浄」と表裏一体のものと捉えていたそうです。

日本創生の歴史が語られている『古事記』では、父イザナキが妻イザナミのいる死者の国から逃げかえり、水による「禊(みそぎ)」を行ったことで、かの有名な皇祖神(皇室の先祖)アマテラスやツクヨミ・スサノオの三兄弟の神を生んだのでした。

つまり、「穢れ」を排出するからこそ「清浄」になる清らかになる、という両義性を持ったものなのです。

生理や出産による流血は「忌む」ものと隔絶される風習はありますが、それは同時に身を清め、慎んでけがれを避けるという意味の「斎(い)む」でもありました。

女性が出産する際に産屋を他に設ける風習がありましたが、これは「穢れ」として生活の場から切り離す意味と、「聖別」するという二つの意味を持っていたようです。

この「妊娠する」という女性特有の性質も、「体内に別の魂を呼び込むこと」とであると捉えられ、女性は魂を呼び込みいやすいシャーマンの素質をもった存在であると考えられてきたのです。

妊娠し生命を産むという最大の神秘を起こすわけですから、霊的なお告げを神様からお聞きすることなどの超常現象などは、当たり前という感じですね。

ですから女性の皆さん、私達は生まれながらのシャーマンなのです♪

男性の中にも、女性性の強い方はその素質を持っているはずですよ。

巫女制度の始まり


それは、3世紀から4世紀にかけて実在したと言われている、第十第崇神(すじん)天皇の時代でした。

皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)は、天皇の命によって、宮中に祀られていた皇祖神(こうそしん・天皇家の祖先神)・天照大神(あまてらすおおみかみ)を倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀らせました。

豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)の姪に託された後、各地を巡り現在の伊勢神宮となったのです。

京の都の天皇に代わり、伊勢に移り住み神事を執り行う役割を果たすもので、皇族の中から未婚の若い女性が任命されました。


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この流れから、伊勢で神事を執り行う女性のことを「斎宮(いつきのみや・さいぐう)」と呼ぶようになり、「天皇の娘(内親王)」で「未婚の若い女性」の中から卜定(ぼくじょう)によって選ばれ、孤独で崇高なお役目を果たすこととなったのです。

卜定(ぼくじょう)とは、亀の甲羅を使った占いで、甲羅を焼いてできた亀裂の形で候補者の吉凶を占いました。

ちなみに、伊勢神宮に仕えるのを「斎宮」、賀茂神社に仕えるのを「斎院(さいゐん・いつきのゐん)」といいます。

賀茂神社も天皇家にゆかりのある賀茂大神を祀った神社です。

この斎宮と斎院とを併せて「斎王(さいおう)」といいます。

斎王こそが、現代巫女の原点となったそうです。

神に仕える・神に身を捧げるということで、この斎王は「神の妻」であると考えられていました。

尊い神に見合う女性は、天皇(昔は天皇=神と考えていたので)の娘以外に考えられませんし、人間の男性が手をつけた女性などはもってのほかでした。

任期中は結婚することが許されない上に、任期が終わっても皇族か最上級貴族でなければ許されませんでした。

そのため、斎王のほとんどが独身で終わったようです。

愛する人と結ばれない苦しみを歌った和歌やエピソードが多く残されています。

原則として新しく天皇が即位するたびに選びなおされるのですが、56年の長きにわたって務め上げた選子内親王(せんしないしんのう)は「大斎院」と称されました。

斎王と悲愛


「神の妻」であり人間との恋愛が許されなかった斎王ですが、だからといってその運命をすんなりと受け入れられる訳ではありませんよね。

恋愛ができないと分かっているからこそ余計に思いを馳せてしまったり、愛する人がいることからの葛藤などが垣間見られる、物語や和歌が残されております。

(1)『伊勢物語』のモデルとなった大胆な斎王

「昔、男ありけり…」で始まる、モテ男在原業平をモデルとした歌物語といえば『伊勢物語』ですが、この中に大変興味深いお話が書かれています。

ある男が狩の使いとして伊勢の斎宮を訪れる物語があるのです。

ある時の伊勢の斎王の元に、都の親元から手紙が届きます。

「いつもの使よりは、この人をよくいたわりなさい」

親のいうことなので、とても親切に心遣いをしお世話をします。

来てから二日目の夜、男は「遭いたい」と言います。

女もまた、絶対逢うまいとは思ってはいませんが、人目が多いので逢うことができません。

さて深夜人々が寝静まった頃、なんと女は男の元を夢のように訪れたのでした。

恋心に思い悩む男の寝所、月がぼんやり照らしているところに、小さな童女を先にたたせて人が立っていたのです。

男はとてもうれしくて、自分の寝るところに連れて入って、夜中の十二時前から午前二時過ぎまでいたが、まだ何のことも語り合っていないのに帰ってしまいました。

男は、とても悲しくて寝ないまま時を過ごします。

翌朝、どうしようかと気がかりではありましたが、立場上自分の方の人を行かせるわけにいかなかったので、大変じれったく思いながら待っていると、女(斎王)のもとから、


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斎王:君やこし 我や行きけむ おもほえず 夢か現(うつつ)か 寝てかさめてか

(あなたがいらっしゃたのか私が行ったのでしょうか わかりません 夢か現実か寝ていたのか目がさめていたのか)

男:かきくらす 心の闇に まどひにき 夢うつつとは こよひ定めよ

(あたり一面暗くする心の闇に迷ってしまいました。夢か現実かということは今晩決めてください。)

この伊勢物語の中の「狩の使い」に登場する「斎王」は第31代の恬子内親王(やすこないしんのう)と言われています。

このまぁ、どっちもどっちな話しだなぁと思うわけですが。

この業平さんに関しては、そこは行っちゃダメでしょ!という女性(当時天皇の奥様候補、後の二条の后藤原高子は有名)に果敢にアプローチしていますからねぇ。

斎王の和歌「夢か現か 寝てかさめてか」の部分は、IKKOさんの「ま~ぼ~ろ~し~」をつい思い浮かべてしまいます(笑)

障害があるほど燃えてしまう恋心は、誰にも止められなかったのかもしれませんね。

(2)引き裂かれた恋の苦しみから出家した斎王と、その恋に人生を捧げた男

恋した相手が斎王の任を終えたばかりの皇女だった。

許されない身分違いの恋をしてしまったために、その恋を失うばかりか出世の道も断たれてしまうことが、少なからずあったのかもしれません。

平安時代の斎王、当子内親王(まさこないしんのう)は、藤原道雅(ふじわらのみちまさ)と恋愛事件を起こします。

藤原道雅とは、中宮定子(ちゅうぐうていし・清少納言が仕えていた人)の兄伊周(これちか)の息子で、道隆(みちたか)の孫です。

この時、道隆の弟・道長が勢力を伸ばす中、父伊周は失脚してしまっていたため、没落していく中で育ちます。

そんな中、藤原道雅は26歳の時に当子内親王と恋に落ちます。

密通を知った当子の父・三条天皇の怒りを買い、仲を引き裂かれるばかりか、実権のない職にまで落とされてしまうのです。

その時に詠んだのが以下の和歌です。

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな

(今となってはもう、あなたのことはきっぱり諦めようと、ただそれだけを、せめてひとづてでなく、じかに逢って言う方法があるとよいのになぁ……。)

文法的なことを少しだけお話しますと、「もがな」というのは、実現不可能に近い空想的なことを願望する意を表す終助詞です。

もう逢えないことを知っている道雅は、この歌をこっそり内親王の御所の高欄[てすり]に結びつけたという話が残っています。

せめて別れの言葉だけでも逢って伝えたい、という切実な思いがどれほどのものだったのでしょうか。

この後彼は「荒三位(こうさんみ)」と陰口をされるほど落ちぶれ、乱闘事件まで起こしてしまうという不遇を極めました。

斎王という制度によって、人生に大きな影響を受けた人が沢山いたようですね。

(3)忍ぶ恋の熱情がほとばしる名歌を残した斎王


後白河院の三女で、10歳の頃から11年間の長きにわたり賀茂神社へ奉仕した後に出家した、式子内親王(しきし・しょくしないしんのう)という人がいます。

彼女は新古今時代の第一流の女流歌人です。

謀計に連座、都から追放されそうになるなど、権力争いに巻き込まれ不遇な生涯だったといえます。

和歌を藤原俊成に学んだことで才能を発揮し、憂愁に満ちた世界観のある情熱を内に秘めた気品溢れる作品を残しました。

俊成の息子で、百人一首の編者として名高い藤原定家(ていか・さだいえ)との恋は、能の謡曲にもなるほど有名です。

定家にとって、式子内親王は13歳年上の女性で、教養と気品を兼ね備えた憧れの存在だったのではと考えられています。

実際、藤原定家の日記「明月記」には、式子が病気になったとき足しげく看病に行った話や、彼女が薨去(こうきょ・皇族の死)した際には1年間全く日記に書かない(書くことができない?)など、思い入れの深さを感じさせますね。

では、百人一首にも選ばれた式子内親王の代表作を見てみましょう。

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする

(わが命よ、絶えてしまうなら、いっそのこと絶えてしまえ!

このまま生き長らえていると、ますます恋心が強くなり、心に秘めている力が弱まって、人目につくようにでもなったら困るから……。)

~式子内親王~

詞書(ことばがき・和歌をどのような状況で詠んだのか)には、「百首の歌の中に、忍ぶる恋を」と書かれています。

「人に知られない秘めている恋をお題として詠みました」ということで、さも「そんな設定で詠んでみたのですよ」と言ってはおりますが。

あなたはどう思われますか?

私には作り物にはとても思われず、作者の純粋な魂の叫び、この切なさが胸に響く大変激しい恋の歌に感じられるのです。

文学をはじめとして、音楽や演劇など多彩な分野で活躍された大岡信(おおおかまこと)さんは、「忍ぶ恋の苦しみを歌った歌はおびただしいが、その最も有名なものは恐らくこの式子の歌だろう」と評価されています。

また、詩人の萩原朔太郎は、「恋歌として最も哀切な感情を絶叫している」と鑑賞しています。

ちなみに、定家の父でもあり式子の和歌の先生でもあった俊成は、二人の噂を心配し、定家の部屋に入ってこの歌を見つけ、全てを察しましたが何も言わなかった、というお話が残っています。

さすが歌人だけに、何と粋な人なのでしょうね。

また大分年月を経てから詠まれたものですが、定家のこのような和歌も残されています。

思ふこと 空しき夢の なか空に たゆともたゆな つらき玉のを

(忍ぶ恋が辛くても、その思いがいかに虚しい夢の中途で絶えてしまうとしても、命を繋ぎ止めている玉の緒は絶えないでくれ。どうかあなた、遠くへ行かないでください。)

~藤原定家~

まとめ


この斎王の制度は660年程続きました。

ここに上げたお話はほんの一部で、携わった内親王一人一人にこのような物語があると思うのです。

神様にお仕えするという崇高な役割を担いながら、愛する人と結ばれることのできないことに葛藤する日々はどんなに過酷で孤独な日々であっただろうと思います。

占いで決められ「斎王」と任命された内親王たちは、ある意味選ばれし者にしか味わうことのできない経験を担ったということでしょう。

自らの人生をどのように受け止めていったのだろうかということは想像を絶する世界ですが、愛する人との別れと引き換えに、神に仕えるお役目に携わったことで見出された幸福もあったはずなのです。

実際、斎王が華やかな宮廷社会の中心的存在であった、ということもまた事実として残されています。

『源氏物語』が生まれたのは、大斎院選子内親王が何か珍しい物語をと所望された中宮彰子(道長の娘)が、紫式部に新しい作品を書くようにと命じて生まれたという伝承があります。

また同時期の『枕草子』では、選子内親王と中宮定子との交流の場面が描かれており、華やかな文化交流があったことが垣間見られるのです。

自分にしかできない使命を成し遂げるためには、何かを犠牲にしなければならないのかもしれませんね。

私は日本人として、崇高で孤高なお役目を全うしてきた彼女たちに敬意を表すると共に、日本人の欠かせない歴史の一つで決して忘れてはいけないこととして伝えていきたいな思っています。

初心者スピ部長・カリーネの愛の引き寄せ道場!

「何かを果たすためには、何かを犠牲にしなければならない。」

師匠のK先生も、自分の成すべきことのために多くのことを制限して生活しているそうです。

物も人間関係も、娯楽も最小限に絞り、自分の使命に向けて没頭しています。

客観的に見ると、せっかく生きているのに人生の楽しさ削って、ストイック過ぎるような気がしますが、それが「楽しい」のだそうなのです。

何をもって楽しいとするかは、一人一人違います。

ゲームなら一日何時間やっても飽きないということをよく聞きますが、そのような感覚で1日15時間程も仕事に没頭できるので、疲れないのだとか。

派手なことをするわけでもなく、日々の坦々とした生活をじっくりと丁寧に味わいながら生きることも、修行のためだと無理に我慢している訳ではなく、それ自体がとても楽しいことだというのです。

「今日も一日でできる全てのことをやり切った」と眠り「今日一日どんな新しいことができるだろうか」と目を輝かせながら起きる。

一日一日全力でやりきる。

「本当に幸せになれる人とは、自ら進んで世の中の役に立つ全てを求め、それを見出した人である」
~A・シュヴァイツァー~

自分の中に天賦の才能を見出すことができたならば、このように全てを捨てても構わないと思うほど没頭してしまうのだろうかと思います。

与えられた運命・天命に気づき、大きな志に向かって、あくまで坦々と有頂天にもならず落胆もせず、その人生を生かしきる生き方を選択することも私たちにはできるのです。

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