思考を鍛える

クリフォトと悪の樹|夜神月が新世界の神になれなかったわけ

※この記事には、『DEATH NOTE』および『コードギアス 反逆のルルーシュ』『コードギアス 反逆のルルーシュR2』のネタバレが含まれますのでご注意ください。記事自体は、作品を知らない方にも雰囲気で楽しんでいただける内容です。

『DEATH NOTE』の夜神月(やがみ らいと)は中二病キャラの日本代表格です。

警察庁幹部の父、専業主婦の母、4歳下の妹を持つ4人家族の長男。家族の愛情にも、経済的にも不自由しない家庭環境で生まれ育つ。

端正な容姿と優秀な頭脳、スポーツなど各方面において卓越した才能を発揮し、家庭においても学校においても秀才として認識されている。真面目で正義感が強く、友人や家族仲にも恵まれている。

その才能ゆえに退屈な日常を憂いていたところ、偶然にも校庭でデスノートを拾う。

当初は懐疑的であったものの、実験的にデスノートを使用し、その効力を目の当たりにしたことから本物であると確信する。

当初は良心の呵責に苛まれるも、次第に自らの殺人を「腐った人間はなくすべきだ」と正当化していき、デスノートによる世直しを考えるようになる。

その後、ノートの落とし主である死神のリュークと出会い、彼に自らの理想を雄弁に語り、「新世界の神」になることを宣言した。

Wikipediaより

結果、夜神月はダークサイドに転落して単なる大量殺人鬼と化して殺されてしまいます。

世間の評価は、「カッコよくない残念な人物」というものがほとんどのようで、ネタキャラ扱いされています。

もう1人、ほぼ同時代に人気を博したアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』および『コードギアス 反逆のルルーシュR2』のルルーシュ・ランペルージも痛いキャラです。

本名はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、神聖ブリタニア帝国元第11皇子。皇暦2000年12月5日生まれ(17-18歳)。

普通の学生として暮らしていたが、シンジュクゲットー襲撃の際にC.C.と出会い「ギアス」という異能の力を得たことを機に、仮面の男「ゼロ」を名乗り黒の騎士団を率いて祖国ブリタニアに反逆する。

ブラックリベリオンでスザクに自身がゼロであることを暴かれ、実父シャルルに引き渡されて記憶を改変されるも、『R2』1話にてC.C.と再会して記憶を取り戻し、ゼロとして復活。

終盤ではブリタニア皇帝に即位して世界を敵に回すことになる。

Wikipediaより

ルルーシュも世直しのために人を操り、バンバン殺し、最後には殺されるダークヒーローではありますが、なぜか夜神月よりも好ましく受け入れられています。

夜神月とルルーシュ、二人の違いは一体どこにあるのでしょうか?

二人とも頭脳明晰で人を欺き操ることはお手の物、大義のためなら善人を殺すことも厭わない、悪魔的な人物として描かれてるのに、ここまで明暗が分かれてしまうのはなぜなのか。

最近、「クリフォト」そして「悪魔の樹」というこれまた中二病っぽい概念を知り、調べてみたら夜神月が神になれない理由がズバリ分かったので、書きたいと思います。

 

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クリフォトと悪の樹、悪を消すと起こる歪み

夜神月は悪人を死神のノートで殺すことで、ルルーシュはブリタニアという国を潰すことで、どちらも最初は「悪」を排除しようと立ち向かいます。

しかし、それらの試みは上手く行きませんでした。

夜神月は前述の通りですし、ルルーシュは自らブリタニア皇帝となり、ダークサイドに落ちてしまいます。

このダークサイド神話を考える手がかりになるのが、ユダヤ教のカバラーという神秘主義思想の「クリフォト」と「セフィロト」の概念です。


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画像引用元:https://www.templeilluminatus.com/group/qabala-or-tree-of-life/forum/topics/the-qliphoth-or-reverse-tree

こんな絵にどこかで見覚えがありませんか?

こちらは「生命の樹と悪の樹」と呼ばれる、セフィロトとクリフォトを図示したものです。

『新世紀エヴァンゲリオン』のTV版オープニングに一瞬でてきたり、ゲーム等でもよく使用されるモチーフです。

生命の樹は、10個のセフィラ(王冠、知恵、理解、慈悲、峻厳、美、勝利、栄光、基礎、王国)、悪の樹は、10個のクリファー(物質主義、不安定、貪欲、色欲、醜悪、残酷、無感動、拒絶、愚鈍、無神論)で構成されています。(セフィラとクリファーの複数形がそれぞれセフィロト、クリフォト)

セフィラが集まった生命の樹は高次の光に向かって、クリファーの集まった邪悪の樹は、鏡合わせのように下に向かって生えています。

人は、より高い次元を目指して、生命の木を上に向かって登ろうとしているのですが、修業の途中にバランスを崩し、下側の邪悪の木に転落することがあります。

このクリフォトと言う言葉は、「殻」という意味である。それも卵の殻のような「外殻」の意味を持つ。

(中略)

この「殻」は、「悪」である。

ずっと後世(16世紀)のイサク・ルリアは、「悪自身の中に善の閃光がありえる」とした。

この教義は、やがて合成され、これは、「善」は「悪」と殻と実のように結合されている、あるいは「善」は「悪」の内に見出されることもある。また、その逆も然り。ということにもつながるようにもなった。

いわば、これは「悪」と「善」は表裏一体、隣合わせの存在でもある。言ってみれば、「クリフォト」は「セフィロト」の硬貨の裏側のような存在でもあるのだ。

しかしながら、本来、「クリフォト」というものは、独立した原理でも要因でもない。これは「セフィロト」それ自体の不均衡な破壊的側面のことにすぎない。

悪の樹・クリフォト教義

つまり、クリフォト(=悪)はセフィロト(=善)の側面であり、「悪」だけを完全に消し去ることはできないというのです。

クリフォト教義をふまえ、夜神月とルルーシュの所業を見てみましょう。

夜神月は悪人を世の中から消して理想の世界を作ろうとしましたが、その過程でクリフォトが生じました。

自分が神になろうとして、言い換えると生命の樹の最高峰まで到達するつもりが知らないうちに邪悪の樹に転落してしまったということです。

ルルーシュは、自ら悪人となって悪を一手に背負い邪悪の樹を降りていき、悪を自分もろとも消滅させようとしました。

たとえ自分は憎まれても世の中を良くしたい、むしろ高い次元のセフィロトに転じています。「王」の格と言えるでしょう。

セフィロトが「生命の樹」と言われるように、高次の感情を持っているときは生命エネルギーが高まります。

逆に、クリフォトに落ちているときは、生命エネルギーが非常に低い状態となります。

普通に考えても、自分が得することばかり考えていて、感動もなく、人に残酷で、神なんかいないから何をしたっていいやと自暴自棄になっている人に魅力は感じないですよね。

こんな神秘思想なんてアニメやゲームの世界だけと思われるかもしれません。

でも実は、現実世界にもこういった思想や魔術は大いに役立ちます。


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現実に神様がいるかどうかは置いといて、神様に見られていても恥ずかしくない生き方をすること、自分の事よりも民の事を思う「王」のような考え方を持つことによって、人生は現実的に成功に向かっていきます。

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