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スサノオ面白エピソード!『古事記』笑えて深い日本神話の世界

古事記が面白い

京都の街中ににある八坂神社へ参拝に行かれた方は多いのではないでしょうか。

奥まで行くと華やかな歓楽街にあることを忘れさせてくれる、閑静で格式高い神社ですよね。

こちらに祀ってあるのは素戔嗚尊(すさのおのみこと)という、『古事記』に登場する三貴子(みはしらのうずみこ)のうちの一人です。

明治時代までは、牛頭天王(ごずてんのう)という、インドの祇園精舎の守護神ともいわれる疫病除けの神様が祀ってあったところが多く、古くから祇園天神、祇園社と呼ばれてきました。

通称祇園様。※この牛頭天王は、もともと仏教的な陰陽道の神様で、祇園精舎の守護神とされていたため。

ちなみに、「祇園精舎の鐘の声」で知られるところの「祇園精舎」とは、祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)精舎の略で、釈迦とその教団のために建てた僧坊のことだそうですよ。

神仏習合の結果、スサノオと牛頭天王は同一視されるようになったそうです。

神仏習合とは、日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し、一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象のことです。

八坂神社には、素戔嗚尊(スサノオのミコト)・東御座には櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)・西御座には八柱御子神(ヤハシラノミコガミ-素戔嗚尊の8人の子ども)が祭られています。

主に、災難厄除(水難・火難)・疫病退散にご利益があるパワースポットと言われています。

という訳で、「何だか最近良くない出来事が続くなあ」「どうか病気が治りますように」という人々が、参拝に訪れる神社のようですね。

スサノオと言えば、『古事記』で荒ぶる神という面がクローズアップされており、なぜ神社で祀られているのか不思議に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

それでは、ここからスサノオが神社に祀られ親しまれるまでに至ったエピソードについて見ていきましょう!

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農業神としてのスサノオ  尻から食べ物を出す神

高天原を追放されたスサノオは地上世界へ向かったすぐ後のことです。

高天原で様々な神にこっぴどく叱られたスサノオは、反省し神様に食べ物でお供えをしようと思い立ち、ある場所へ向かいます。

それは、食べ物の神オオゲツヒメの元でした。

「あの人なら食べ物をくれるだろう♪」

それまでの経緯をスサノオから聞いたオオゲツヒメは、奥から様々な食べ物をスサノオに振舞います。

食べても食べても空腹が満たされないスサノオに食事を振舞うため、オオゲツヒメは奥に引っ込みました。

「一体、どこから食べ物が出てくるのだろう?」

不思議に思ったスサノオがそっと台所を覗くと、口や鼻や尻から食べ物を出し調理する彼女を目撃してしまったのです。

「こんな汚らわしいものを食べられるか!!」

なんと怒ったスサノオはオオゲツヒメを斬りつけ殺してしまったのでした。

するとどうでしょう。

倒れたオオゲツヒメの体を見ると、頭から蚕・目から稲・耳から粟・鼻から小豆・下半身から麦、尻から大豆が出ていました。

どうでしょうか。

一見すると、せっかく助けてくれたのになぜ殺してしまうのだろう。そんな風に思いますよね。

この残虐性の意味に触れる前に、まず殺されたすぐ後に食物などの種が生成されていることに着目しましょう。

これはまさに死と再生のサイクルが生み出されていることが分かります。

この「種」が食物の始まりとされ、土に還り新たな生命を生むことになるのです。

死を死で終わらせず、死から生み出す「循環」という発想が『古事記』には多く登場します。

さて、かわいそうに感じられるこのオオゲツヒメですが、そもそも確かに口や鼻や尻から食べ物を出すという訳の分からない行動をしているわけですね(笑)

この食べ物を生み出すということの「秩序が整っていない」のだとも考えられます。

ぼんぼんとあらゆる場所から無秩序に排泄されていた食べ物を、種から育てる「秩序を持たせた」といえるのです。

そしてこの「残虐性」が農耕の起源であることの意味するところは、田畑こそ人間が自然を切り崩し作り出したものだということではないでしょうか。

現代の発展した社会を知っている私たちは、どうしても田園風景=自然だと思ってしまうところがあるのですが、これこそ人類初めての大きな自然破壊の1つであったわけです。

人間の罪の1つであることを出雲神話は語っているのですね。

この感覚は、人間は自然と切り離された別格の存在であって、自然を思うままにできるとような西欧的な発想ではなく、大いなる自然に敬意を表し、犯してはいけない領域があることを知っているからこそ、罪の意識が生まれるものと個人的には考えています。

農業神+厄除けの神としてのスサノオ  八岐大蛇

ヤマタノオロチ
この話は『古事記』の中でも1位2位を争うほど有名なエピソードではないでしょうか。

では見ていきましょう。

高天原から追放されたスサノオは、出雲の国の火の川の上流にある鳥髪という土地に降り立ちます。

スサノオはそこで箸が川から流れてくるのを見て、上流に人が住んでいるに違いないと考え、向かいました。

泣いている老夫婦に訳を聞くと、八人いた娘が毎年八岐1人ずつ大蛇に食べられていき、最後のクシナダヒメを残すだけとなってしまった。

今年はそのヒメが食べられる番だと言っているのです。

大蛇がどのようなものかと尋ねると、

その目は赤く、八つの頭を持ち、八つの尾がある。

長さは八つの谷、八つの山峡を這いわたるほどで、腹を見れば血が流れだしておりただれている恐ろしい怪物なのだとか。

スサノオが八岐大蛇を退治したら、娘のクシナダヒメと結婚したいと申し出ました。

そしてアマテラスの弟だということが分かると、畏れ多いことを言いつつ、クシナダヒメを差し上げることを約束します。

クシナダヒメを霊力によって櫛に変え、自分の髪の中に隠します。

そして強い酒をなみなみと入れた酒槽を八つつくらせました。

八岐大蛇が現れると、すぐに用意してあった酒を飲み干し、強い酒にのたうちまわるとそのまま眠り込んでしまいました。

すかさず大蛇に斬りかかり、寝ている八つの首や胴を切り落としました。

尾を切り離した時に怪しんで尾を切り裂いてみると、立派な太刀が隠れており、のちに草薙剣と名付けられた三種の神器を発見することとなります。

この八岐大蛇を退治したことなどから、厄除けの神として崇められるようになったと言われています。

「スサ」という音には「荒・清浄」の意味があり、身に降りかかる様々な災い・厄など大蛇に象徴される悪しき事を、荒々しい強い力で払い清めて下さるそうです。

スサノオにお願いすれば、怖いものなし!といったところで、こんなに心強い助っ人はいませんよね。

さてこの「火の川」ですが「斐伊川」とも言われ、大変な氾濫により多くの自然災害を生み、人びとを困らせていました。

この川を治めたスサノオは、頭脳により問題を解決した神であるということが証明されたのです。

高天原では異端であったスサノオですが、「クシナダヒメを得たい」という下心により(笑)、文化(知識)を駆使したことにより、地上において「正義」を獲得するということになります。

このクシナダヒメですが、「ナダ=イナダ(稲田)」ということで、実は「田んぼの女神」なのです。

つまり、オオゲツヒメから「種」、八岐大蛇で「川=水」がクシナダヒメの「田んぼ」に帰結するという構造になっています。

豊穣をもたらす神として祀られている上に、この二人の仲睦まじさから夫婦和合・縁結びの神様としても崇められています。

是非、幸せをお裾分けしてもらいましょう♪

歌の神としてのスサノオ  妻に贈った日本最初の和歌


八岐大蛇とは、「高志(こし)」の八岐大蛇と言われており、越前・越中・越後のあたりを指しているようです。

大蛇はこの八つの川を治めていたリーダーを指しているとも言われています。

実はこの川でとれる翡翠で、諸外国と交易をしていたそうで、中国や旧ソ連からも発見されているようです。日本海側には縄文時代大陸と列島の文化交流が盛んに行われていました。

この沿岸地域は日本海文化圏と呼ばれ、出雲は交易や文化においての先進国として中心的な立ち位置でした。いわば当時で言うところの先進国であったと考えられられます。

この八岐大蛇退治は、高志を統治したことにほかなりません。

その後、スサノオは新しい宮殿を立てるため出雲の国中を探し求めます。

ようやくふさわしい土地を見つけたとき、

「この地に来て、私の心はすがすがしい」

と言ったことから「須賀(すが)」と名付けられたとの土地で、妻クシナダヒメと暮らす幸せを思い、妻へ歌を贈ります。

八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(やえがき)
(出雲の八重垣のようにわき出す雲よ。)

妻籠(ご)みに 八重垣作る
(妻を籠もらすために八重垣を宮殿のまわりにつくる)

その八重垣を
(その雲の八重垣よ)

出雲地方の伝承的歌謡が『古事記』に掲げられ、これが日本最古の和歌と言われています。

この時代の人々はとても素朴で率直な「ますらおぶり(男性的)」と言われる表現が特徴的であり、八重垣を作りたくなるほど愛しい妻に対する愛情がビシバシ(笑)と感じられますよね。

まとめ

この後、スサノオの子孫の「大国主」が地上を統治することになります。

高天原を追い出されて、スサノオがクシナダヒメと新居を構えたとされる出雲の地は、古代巨大な勢力を誇っていたことがうかがえますね。

このやりたい放題でとても多面性のある強烈なキャラクターであるスサノオは、愛すべき神であること間違いなしです。

このスサノオのエピソードによって、狩猟採集時代から農耕生活の始まり、つまり弥生時代の到来が描かれています。

1つの時代の終わりは、新たな時代を生む。人は「死」と「再生」を繰り返してきました。

オオゲツヒメの死の場面を想起すると、「死」に対する捉え方が大らかで、改めて日本人で良かったと実感してしまいます。

神話は「人間とは」と考える哲学でもあり、古い言い伝えの中からあらゆる人生の対処法が学べたり、人との関係を考えさせる道徳的な役割を果たしていたり、医学や呪術・儀式について触れられていたりと、総合的な学びの楽しさを教えてくれるものです。

ですからこの『古事記』も、「死」の恐怖に立ち向かうために、深く深く考えた上で生まれたものではないかと思うのですが、そこから生まれた思想が、何とかして必死に抵抗し打ち勝とうといった姿勢ではなく、流れに逆らわずに「生」のための「死」であると受け入れるところが、個人的にとてもお気に入りです。

自分もあくまで自然の一部であり、万物の定めをきちんと理解しているというところが、日本人の精神の根本にあるような気がします。

初心者スピ部長・カリーネの愛の引き寄せ道場!

スサノオは、なぜ好かれるのか。

こんなに自分の心のままに(好き放題)生きているのに、結局好かれるというのが若干腹立たしくも思えませんか?

なぜか人というのは、好かれよう嫌われないようにしようとすると、その逆の現象が起きてしまうものですよね。

「長所と短所は表裏一体なので、良いところを伸ばして悪いところを修正しようという考えが間違っているのですよ。」

黒澤先生の言葉をふと思い出します。

「本来、正しいことというのはないのです。」

私のフィルターを通すと、耐えられないほど身勝手な人がいたとしても、他の人からすると愛すべきキャラクターであったり、ただの面白い人であったり、反面教師的に皆の成長を助けていたりします。

100%白黒どちらかにつけるというものはないのだ、ということだそうです。

確かに、オオゲツヒメからしたら、殺されてしまう訳ですから悪人以外の何物でもないスサノオも、客観的に見れば農業神となってしまうのですから、結局「どの視点から見ているか」だけなんですよね。

誰しも自分フィルターを通してみれば、絶対に許せないことやどうしても好きになれない人というのはいると思うのです。

そんな時は自分の体からポワンと幽体離脱でもしたような気分になって、全体で考えるようにしてみると良いのかもしれません。

そすれば相手のことも許せるかもしれませんし、相手のことを許せれば「何でこんなことにこだわっていたんだろう」と自分のこだわりがゆっくりと溶けて、自分のことも許すことができます。

何かに捉われて「イイ人」を演じ、自分の本心に逆らって生きていると、自分を見失い苦しくなってしまいます。

スサノオまでとは言いませんが、案外、どんなにスゴイことをしでかしたつもりでも、大したことはないのかもしれませんし、失敗してしまっても逆に誰かの学びや成長になるはず!

大丈夫ですよ!

とはいえ、私もまだまだ自分の殻を破れていませんけどね(笑)

でも、もっと自由にのびのびと本心に従って嫌われても大丈夫!なんて堂々と生きられたら、どんなに心の奥のモヤモヤがすっきりすることでしょう。

皆さんは、どうでしょうか。

周囲の目に従って生きていませんか?自分の本心に従って自由にのびのびと生きられていますか?

自分の殻を破って、心の赴くままに生きてみたいけど勇気がない。どうしても気にしてしまう思考パターンを変えたい。

そんな風に思っているあなたは、是非私と一緒に(笑)黒澤先生のメルマガを読んでみて下さいね♪

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