思考を鍛える

幽体離脱して感じた|人生を謳歌する生き方

あなたは幽体離脱や対外離脱と呼ばれる経験をしたことはありますか?

実は私幽体離脱したことがあるんです。多分ですけど……。

幽体離脱というのは、自我意識が肉体から離脱して独自に行動することをいいます。

体と魂が分離した状態ですね。

しようと思ってできることではありませんので、あまり経験者はいらっしゃらないのかもしれませんね。

私の場合、何かの事故で瀕死の状態になったというような臨死体験ではなく、知らないうちに抜けてた(←大丈夫かー!?)という感じなので、もう一回やってみてと言われてもできません。

子供の時のこの経験があったことで、明確に言葉として意識してはいませんでしたが、培ってきた感覚がありますのでお伝えしたいと思います。

 

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孤独から生まれた経験


その経験をしたのは遠い昔、小学生1年生の頃のことでした。

同じ保育園から入学した人が誰もいなかったことから、入学当初は一人で過ごしていました。

引っ込み思案で大人しく自分から輪の中に入っていけるような性格ではありませんでしたし、周りの子たちはもうすでに仲の良い子たちで固まっていたため入る余地がなかったのです。

私は一人で過ごす休み時間が苦しくて、いつも机に伏せって寝たふりをしていました。

目を閉じて両腕の中にくるまりながら、同級生たちの賑やかな声を聞いているのは嫌いではなく、ざわざわした音のさざめきをボーっと楽しんでいるような子どもでした。

ある時、いつものように伏せっていると次第に意識が消えていて、気がつくと風船のようにフワフワと浮いていることに気が付きました。

その風船の足元には、何と机に伏せっている私がいるのです。

周りにはそれに構わず楽しげに騒いでいる同級生たちが見えました。

その時の私はまるで無感情で、当たり前のように頭上から自分を眺め続けているのです。

ひとしきり眺め続けていると、いつの間にか誰かの声が聞こえてきました。

「……ちゃん、〇〇ちゃん、カリーネちゃん!!」

段々とクレッシェンドになっていき、ハッと気づいたときには椅子に座った体勢に戻っていました。

けれどもその後、椅子に座っていることもままならずゴロリと床に転げ落ちてしまった私を、担任の先生は「仕方ないわねぇ」と言いながら、保健室まで連れて行ってくれたのでした。

どちらが本物の世界?


私は常々自分の肉体を「入れ物」と思っているのですが、今思えばこの体験の影響が大きいのかなと感じています。

夢か現か分からないような状況で、肉体と意識が分かれる経験をしたことから、この肉体自体が交換可能なものなのだと子どもの頃はずーっと思っていました。

本物の私は抜け出た時の方の私で、下に見えていたうつ伏せの私は仮の姿なのだと。

ドラえもんのしずかちゃんのような可愛い女の子と、いつか見た目を交換したいな♪なんて考えていました。

何となくですが現実世界を作りものの世界のように捉えていたのだと思います。


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マトリックス(仮想現実)という言葉を知ったのは、その後大分時間が経過してからになります。

この世界自体が壮大な作り物で、肉体から抜け出た後の方が本物の世界だとしたら……。

いつも想像して怖くなります。

今認知している有限の世界が全て作り物でしかなく、その背景に無限のそして永遠の世界が待っていて、私たちは学校に通うがごとくこの世界に生まれてきたということになりますね。

目の前の家族や友人などの人間関係

職場環境

この社会での常識

これらは全てプログラムされた想像の世界で、現実だと思っている目の前の世界は実は夢幻でしかないのだろうか。

私は幼少期の経験からこんなことを考えながら生きてきました。

死ぬまでのロールプレイングゲーム


肉体から離脱した経験があることで、私はあまり死に対する恐怖というものがありません。

肉体から抜け出た時の意識はあまりなく、何より痛くはありませんでしたよ(笑)

そしてよく分かりませんが、肉体から離れても自分という意識は存在することを感じました。

ですから、この体はある意味ロボットのようなものだという感覚が、私の中に根付いているのです。

なので、どのロボットを選んで生まれてくるかでスペックが違うというような感覚ですね。

でも人体はメンテナンスすることで進化したり、労わることで寿命を延ばすこともできる柔軟性のあるロボットといえます。

ですから、ロボット=私そのものというのは少し違うなぁと思っています。

同じロボットでも、入って操縦する「中身」が変わればきっと動きが変わってくるはずだからです。

いかに使いこなすか、という意識をもってこの「入れ物」と付き合っていこうと思っています。

また、人生の歩み方も同様にです。

「これはゲームだ」と知ってゲームをする時には、堅実な歩み方をするよりも多少困難を選ぶというような冒険をしてみたくなることはありませんか?

この目の前に広がる世界はあくまで仮想現実であって、本当の世界は死後の世界に広がっています。

そして、永遠の時間の中のたった一時、魂を磨くために産み落とされたのだとしたら……?

ただただ大過なく安定して楽に生きるのは、この世界にいることの意味からズレているとも言えるのではないでしょうか。

作り物の世界なのに、なぜそんなにビクビクしているの?

もっと色々と挑戦してみなきゃ損!


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私はそんな風に思って、迷ったときには挑戦するようにしてきました。

幽体離脱をして考えたこと まとめ

幽体離脱の経験から、肉体と意識・精神との関係について書いてみましたが、いかがでしたか?

あくまでも、私のフィルターを通せばこのようにも捉えることができるという一例です。

けれども、この目の前の世界を「仮想現実」として捉える感覚は、これまでの人生において、辛い時に私を支えてくれる助けとなってくれました。

何か問題が起きた時もそれを100%真実と受け取るというよりは、どこかでもう一つの目が見ていて「この経験を通して、神様は私に何を身につけさせようとしているのか」という視点で見ることができたからです。

そして、苦しい経験から逃げずにじっくりと味わい尽くした後には、必ずレベルアップすることができました。

これは気を付けなければと思っていることですが、この世界に100%どっぷりと浸かっている(常識・しがらみ・人からの評価・噂話などを気にしすぎている)人を見たときに、「なぜそのようなことに捉われているのだろう」と無感情になってしまうことがあります。

これがもっと行き過ぎてしまうと、世間と没交渉になり生きていけなくなりそうなので(笑)、周囲の方々と協調・同調しながら生きていけたらと思っているところです。

とはいえ、さすがにロープレの主人公のようにはまだまだ冒険できていないのが現状です。

自分の可能性を信じつつ、このマトリックスから抜け出たときに「楽しかったーー♪」と言えるような生き方をしていきたいと思っています。

初心者スピ部長・カリーネの愛の引き寄せ道場!

全ては死んだときに本当の世界が見えてくるのかもしれません。

この苦しみが与えられた意味、この世界で生きる意味、どうして生まれてきたのか、なぜこの時代だったのか、ある人との出会いの意味……。

生きている間に私たちはこの問いの答えを見つけ出そうとしてしまいます。

「どうして~なの?」

人は探求する生き物です。幼少期に「これはどうして〇〇なの?」という質問攻めをする発達段階を迎えますよね。

生まれた時から、その意味を問い続けることが魂にインプットされているのでしょう。

考えても答えが見つからないときは、「〇〇ではないか?」と仮説を立て、色々行動に移し実験してみて、結果を冷静に考察する。

人生はこの繰り返しなのかもしれません。

そして死ぬまで繰り返し、考えて考えて考え抜いた答えをあの世に持って行き、神様に採点してもらえば良いのではないかなぁ、と想像してみたりするのです。

カリーネ:「神様~!無事カリーネを終了してきました。ところで、この試練の時の切り抜け方は、何点くらい頂けますか?」

神様:「うむ、まだまだ未熟者であることよ。60点」

カリーネ:「き、厳しい…(;O;)」

こんなやりとりがもしできるならばと考えと、死ぬのも悪くないのかなと思ったりしています。

が!

そ、そんな!死ぬまで待てない。

人生についての問いに、何かしらのヒントをくれー!

そう思いますよね。

もうすでに神様のような厳しさと温かさで人生を導いてくれること間違いなしの、私の師匠先生ならば、生きているうちに解決策を見出してくれます。

その人が見えない心の奥底までよく見て、本質を見抜きズバーン!と切り捨ててくれますので(通称「日本刀」)、爽快です(笑)

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