高橋 久美(たかはし くみ)
1985年9月生まれ。山形県出身、大阪府在住。
大学在学中に占いおばさんと出会い、スピリチュアルの世界に足を踏み入れる。総額200万円以上のお布施を払い、見栄で買い物をしまくり借金は2000万円以上に。
会社員のお給料では払える金額に限界を感じ、副業でライター業を始める。ビジネスの勉強をしようと参加したセミナーで佐藤想一郎に出会い「自分がおばさんに認められるため」ではなく「世のため・人のため」に働いて行こうと決意。
人生が変わるきっかけになった考え方・働き方・生き方を、多くの人に知ってもらいたいと思い、学んだことをブログでシェアし始める。
ブログは「親しみやすい」「まるで自分のことだと思った」と共感を呼び、月間20万ページビューの人気メディアに成長。共に新しいライフスタイルを学ぶ仲間が集まるようになる。
現在は複数のWEBメディアの運営に関わる他、書籍や雑誌のライター・編集者としても活動の幅を広げる。
初めまして、高橋久美です。
このページを見つけていただきありがとうございます。
多分、何かの調べ物をしていて、ネットを見ていたらたまたま発見してもらったのかなと思います。
このサイトは、
「問題を乗り越えて、人生をもっと良くしたい!」
「いいご縁に結ばれて素敵な恋愛・結婚をしたい!」
「お金がなくてやりたいことができないのは嫌だ!」
など、願いを叶えたい人のために作ったものです。
そのために、引き寄せの法則や開運法から具体的な知識・スキルまで、時には私の生々しい事例を交えて、分かりやすく解説しています。
このページでは、なぜこんなことをやろうと思ったのか、私のちょっとした自己紹介と、サイトの目的をお話ししたいなと思います。
私は1985年生まれ、山形県出身で、今は大阪府の枚方市というところに住んでいます。
仕事は一応フリーライターなのですが、完全に一社の専属でお仕事させていただいていて、ブログやメールマガジンや書籍の執筆・編集のほか、オンラインショップ運用やら、他のいろんな部署の手伝いやら、色々やっています。
収入は、過去に作った借金を返しながら生活していくのに十分なくらい。
周りには、めちゃくちゃ尊敬できる社長さんとか、ネットで見て憧れていた有名なブロガーさんや、何冊もベストセラーを世に出している編集者、1人で年間数億を稼ぐトレーダー、ユーチューバー、10年以上料理一筋のシェフなど、すごい人・面白い仲間がいっぱいいて、毎日刺激をもらっています。
想一郎さんを含めて、その仲間たちと同じ目標に向かって一緒に働けることが、とっても楽しくて、充実しています。
でも、元からこんな風にハッピーだったわけではなくて、、、
20代はオール暗黒時代でした
23歳、大学を卒業した私は宮城県仙台市の小さな学習塾の会社に就職しました。
その会社を選んだ理由は、一応、面接では立派なことを話しましたが、本当は内定がもらえたのがそこだけだったからです。
手取りは15万円(みなし残業代込み)でした。
その年は、仕事では毎日のように失敗しては怒られ、学生時代から付き合っていて遠距離だった彼氏とも別れ、散々だった思い出しかありません。
落ちまくった私の心の支えは、「占い師のおばさん」でした。
そのおばさんだけは、本当に私のことを分かって、認めてくれている、という感じがしていたんです。
何かにつけておばさんに相談し、薄給の中から5年くらいかけて総額200万円以上を支払いました。
また、おばさんに褒めてもらえるのが嬉しくて、ハイブランドの高級な服とか家(庭付き一戸建ての中古住宅)などもホイホイ買ってしまいました。
ところが、おばさんは「いたいけなOLさんからこれ以上、お金を受け取れないから」と言い、距離を置くことになってしまいます。
「私がお金が稼げないのがいけないんだ!このまま、会社員なんかやってたらダメだ!!」
と、一念発起した私は、公務員試験を受けてみたり、資格の勉強をしたりと迷走しまくり、最終的に文章を書く「ライター」の仕事を副業で初めました。
仕事につながる人脈を増やそうと、仙台の交流会やセミナーに片っ端から参加しているときに「ある人」と出会います。
その人は私よりもずっと年齢も若くて、見た感じひょろひょろして最初は大丈夫かな?と思いました。
恐る恐るセミナーに参加して話を聞いてみると、17歳からビジネスをやっていて年齢以上にしっかりしているし、自分の倍以上も生きている社長さんたちを相手にコンサルをしたり、人生相談に乗ったりして人望を集めていることもわかりました。
その人が「佐藤想一郎さん」という人でした。
しかし、まだ信用なりません。
そこで、今思うとすごく失礼なんですが、セミナーの最後の質疑応答の時間、私はちょっと講師を試すような面倒臭い質問を投げかけました。
「神様と自然はどちらが先にあったと思いますか?」と。
つまり、その答えが占いのおばさんと同じだったら信用しよう、違ったらダメ、という意図です。
ところが想一郎さんからは、こんな返答が。
「それはどちらでもよく、自分がどんな設定で生きるかだと思いますよ」
肩透かしを食らいつつも、私は関心していました。
私は、占いのおばさんが言ってたことが全部正しいと思って、おばさんの思考の枠組みの中でしか考えることができませんでした。
だから、その枠組みにとらわれず、自由に自分で考えて良いんだ、というのが新鮮で、若いのにすごいなあと思ったんです。
どうやらただのお兄さんではないらしいぞ、と思い私も想一郎さんにビジネスの相談をさせてもらいました。
「占い師のおばさんにいっぱいお金を払いたいので、ビジネスのやり方を教えてください!」と。
そうしたら、占いのおばさんに依存していることを一発で見抜かれ、「その精神状態だと、今はビジネスに集中するのは難しいですよ」とバッサリ。
まずは依存をやめるところから、人生をやり直していきましょう!ということになりました。
それ以来、想一郎さんのセミナーにはほぼ全部参加して、ブログで多くの人に知ってもらうようなお手伝いもさせてもらうようになりました。
快進撃
人生を変えるために最初に勧められたのが「物を捨てること」でした。
占い師のおばさんからもらった服や、資格の勉強のために買い集めた本、謎に2台もあったパソコンなど、生活に必要なもの以外は全て断捨離して、仕事は会社も副業のライターの仕事もいったん全部やめました。
何にもなくなってガランとした家で、何でもないただの私になって、なぜかホッとして、じわじわ元気が湧いてくるのを感じていました。
でも、これからどうしていいのかわかりません。
それまで、親から愛されたいとか、占いのおばさんに認めて欲しいとか、常にだれかの期待に応えようとして生きてきてしまったので、本当は自分が何をしたいのかわからなかったんです。
すると、想一郎さんは、
「じゃあ、とりあえずブログを書いてみたら?」
と言いました。それがリハビリになるし、ビジネスの練習にもなるから、と。
しかし、仮病みたいな感じで会社を辞めて、ライターの仕事も断ったばかりなのに、元気にブログなんか書いてたら皆から変に思われるんじゃないかなあ、と私は持ち前の自意識過剰を発揮します。
絶対にバレないようにするため、男の人のペンネームで、文体も今と全然違う雰囲気で書いてました。
セミナーとかで習ったことをシェアするぐらいの練習ブログでアクセスも全然集まってませんでしたが、読者さんからは「励まされました!」などとコメントや感想のメールが届くようになりました。
これは、ちゃんとやった方がいいのでは? ということで始まったのが、「GLOBO(グロボ)」というサイトです。
グロボでは、想一郎さんのセミナーやその他のいろんな本や私自身の経験から学んだことをシェアして、興味を持ってもらえた人にはメールマガジンも紹介することにしました。
想一郎さんが「1年で毎月10万人が読むブログになってるといいね」と言うので、そんなに読者さんが集まるのかなあ?と半信半疑でしたが、せっせと記事を書いていました。
モチベーションが下がって更新が数日間、止まってしまうこともありましたが、想一郎さんからアドバイスをもらい、書き続けることができました。
最初はアクセスが1日に10人とか20人くらいだったのですが、開始から2ヶ月後にある記事がヒットします。
一時的にではありますが、1日に2000人以上が読むというびっくりな状況で、解析ツールが壊れたんじゃないかとドキドキしました。
その後も、全く話したこともない業界の有名人がFacebookで記事をシェアしてくれたり、たまたま書いてあった記事のネタが後からテレビで取り上げられたり、というラッキーが連発します。
その間に検索もされるようになってきて、フタを開けて見たら1年後には月間の読者15万人を達成しました。
そこで、想一郎さんが衝撃の一言を言います。
「いや〜、グロボすごいですね。僕、サイトにこんなに人を集めたことないですよ」
え、待って! なんか「当たり前に10万人とか行くでしょ」って雰囲気でだっから私も「そういうものなのか」と思って頑張ったのに、経験もないし上手く行く根拠も何もなかったんですか?!
…とびっくりしましたが、事実、グロボで目標を遥かに超えた成果を出してしまったので怒るに怒れず…(笑)。
今では、未来を信じてくれていたんだな、と思います。
全国規模へ
数年後にはグロボは最大で月間30万人が訪れるサイトに成長し、私も専属ライターとして書かせてもらうようになりました。
それに伴い、メールマガジンの読者さんが全国や海外からも集まってきたため、想一郎さんも活動のフィールドを仙台から全国規模に移します。
2018年には東京で連続セミナーを開催、2019年5月にはビジネス仲間と近い距離で更に成長するため、大阪に拠点を移しました。
私も想一郎さんを追いかけて、1ヶ月遅れで大阪に引っ越します。
最初は気軽にミーティングやったり、ご飯食べたりできるかな、とワクワクしていました。
先に大阪に引っ越していた想一郎さんは、私が来ることを仲間のみんなに伝えてくれていました。
会う人会う人から「あの、高橋久美さんですね!」と歓迎してくれ、「読者が月間30万人も集まる、すごいブロガーが来るらしい!」という話になってたみたいです。
ですが、肝心の想一郎さん本人とは、あんまり話す機会はほとんどありませんでした。(これは、想一郎さんもちゃんと考えてのことで理由があったのですが、私はよくわかってなかったんです。)
食堂で見かけても他の人たちと和気藹々と話してて、私はまだ知り合いも少なくて、離れた席でポツンと一人で食べることばっかりでした。
大阪に引っ越したのに、全然構ってもらえないのです。むしろ、仙台にいたときの方が話すこと多かったんじゃない?ってぐらい。
その時は自分では気づいてませんでしたが、昔は占いのおばさんの気を引こうとしていたのが、今度は想一郎さんの気を引こうとしてたんですね。
気が引けなくて、いじけた私はすっかり仕事に身が入らなくなります。
食堂で美味しいごはんを食べて、家も整えて快適にしてぐっすり眠り、働かない、というニートのような生活を送るようになってしまいました。
もう、やめてしまおうか…
私なりに頑張ろうとはしていたつもりでした。
それなのに、まるで息継ぎなしで泳いでいるみたいに、頑張っていると苦しくなってしまうんです。
ブログのアクセスをもっと増やして、読者さんがちょっとでも人生をよくするキッカケにしてもらえたら、それは純粋に嬉しい。
想一郎さんのことも応援したい。
でも、心のどこかで「どうして私ばっかりこんなに頑張らないといけないんだろう?」と、自分が犠牲になってるような気持ちがまだありました。
自業自得なんですが、今まで無駄に家を買っちゃったり、占いのおばさんに貢いだりして積もり積もった借金があって、借金を返すために新たな借金をする悪いクセが付いていたんですが、いよいよもう返せない!という状況に追い込まれていたせいです。
1ヶ月の返済額だけで20万円を超えていて、もう普通に働いても返し切れない状況になっていました。
結婚して旦那さんに奨学金払ってもらう人もいるのに、どうして自分は誰からも選ばれなくて愛されないんだろう…。
家に1人でいると、そんな訳のわからない妄想が出てくるので、ごまかすようにぼーっとネットサーフィンをしたり、延々とスマホゲームをやったり。
先月から仕事をサボってたせいで現金もないので、スーパーで一番安い12枚切りの食パンを買ってきて1食に1枚ずつちまちま食べてました。
こんなんじゃ想一郎さんに顔向けできないし、今さら実家にも帰れない…。
そうだ、最後に残ってるICOCAの残高で、京阪線に乗って行けるところまで逃げよう。
もう全部やめてしまおう。
と思っていたら、まだかろうじて止まっていなかったスマホに想一郎さんから着信が入りました。
想「今から〇〇食堂に来れますか?」
高「行けるけど、注文するお金がありません!」
想「いいから、来てください」
990円の日替わり定食をご馳走してもらいながら、洗いざらい話しました。
すると想一郎さんは「分かりました、みんなに相談しましょう」と言いました。
なんで、ここにいるんだろう?
数日後、ありえないことになりました。
ロココみたいなフカフカの椅子が並んだ会議室のテーブルに、想一郎さんが尊敬している先生や、想一郎さんの仲間たち(みんな凄い人たちです)がぐるっと並び、「高橋さんをどうするか会議」が開かれたのです。
借金の状況的には、破産や任意整理はせずに、ちゃんと働いて返して行った方が良いこと。想一郎さんの仕事の他に、仲間の社長さんから別の仕事を回してもらうこと。ご飯代を先払いしてくれること。
仕事場も家だとサボっちゃうからシェアオフィスを特別に使わせてもらえる。
こんなの、ビジネス的にはあり得ない「神待遇」です。
私は社員でもなんでもないのに、どうして、そんなに助けてくれるんだろう…。
「どうして、ただ引っ越して来ただけの私を、そんなに助けてくれるんですか?」と訊いてみました。
すると、想一郎さんの先生が、このように言ってくれました。
「確かに、気を引こうとしてやったかもしれない。でも、想ちゃんのお客さんの大半が高橋さんのブログ「GLOBO」がキッカケで集まったことは事実だよね。
呼ばれてもないのに、勝手に着いていったかもしれないよ。でも、想ちゃんのお客さんで大阪に引っ越してきた第一号であることは事実じゃん。
想ちゃんは、みんなのことを考えて動こうとしている。その想ちゃんを応援することが、今の高橋さんの役割なんじゃないかな?
そのためだったら私たちも応援するよ。」
みんな、とっくに仲間だと思ってくれていて、愛を注いでくれていたのでした。
なんてあったかい人たちなんだろう、と思うのと同時に、自分が自分のことしか考えてないクズなことがよく分かりました。
そして、ここまでやってもらったらもう言い訳できないぞ、と思いました。
覚醒モード
サボっていた時は2、3日でやっと数千文字の記事を1つ書くぐらいのひどい働きぶりだったのですが、会議後は1日に1万文字以上、調子がよければ2万文字くらい書くようになりました。
睡眠時間も、前は8時間とか10時間とかぐうぐう寝ていたのが、「寝てる時間がもったいない!」という気持ちになって、平均5時間ぐらいに減り、徹夜もへっちゃらになりました。
あれ、こんなに動けるんだ!?と自分が一番びっくりしました。
ブレーキが外れたのと、周りに熱い人たちがいる環境から影響を受けたのと、美味しいごはんを、より感謝していただくようになったからじゃないかと思います。
1日に10時間とか12時間とかパソコンに向かってるので体力的にはキツいけれど、1日の終わりに「やりきった!」という爽やかな感覚があります。
目標とか、求められる仕事のレベルも上がって来ているので、何も問題が起こらない訳ではありません。
が、みんながいるから大丈夫!という安心感が根底にあって、私はしょうもないけど、それでもみんなの役に立ちたい!と前向きに乗り越えていけるようになりました。
そのうち、「自分にできることなら」とライターの仕事以外でも何でもやるようになりました。
人手が足りないところがあれば、動画編集でも、チラシのデザインも、オンラインショップの手伝いも、皿洗いも掃除もしています。
「もっといい仕事ができるようになりたい!」という探究心も芽生えて、本気で勉強するようにもなりました。
これから
ほんの数年前の私の願い事は、「人から認められたい」「もっと愛されたい」といったものでした。
だから「お金を稼いで、占いのおばさんにもっとお金を貢ぎたい」と思っていたのです。
自分よりもすごい存在に依存し、安心したい気持ちもあったと思います。
想一郎さんと出会うことによって、占いおばさんから離れることができましたが、次は想一郎さんに依存するようになってしまいました。
想一郎さんに認められることが、自分の願いになっていたのです。
しかし、想一郎さんは私のその「偽物の願い」を叶えてくれませんでした。想一郎さんは私に好かれることよりも、私が「真の願い」に気づけることを信じて祈ってくれていたのです。
そのおかげで、私は周りの人の気を引くのを卒業し、周りの人を応援しようと思えるようになりました。
なぜなら、いろんな「あたたかいもの」に触れて、気づいたから。
もうすでに、たくさんの人が気にかけてくれていて、愛情を注いでくれている、ということに。
そんな「あたたかみ」を感じてしあわせになったら、『このしあわせをもっと多くの人に広めていきたい!』と自然と思えるようになったのです。
そのためにこのブログも書いています。
けど、ブログの内容は表面的なもので、本質を語り切れてはいません。
もし何かピーンときたり、ご興味を持っていただけたなら、ぜひ、想一郎さんのメールマガジンも読んでみてください!
根本的に人生をよくしていくためのヒントが見つかるはずです。