大勢の中にいても、ポツンと1人になってしまう。
人の輪に入ろうと思うけど、きっかけがつかめない。
ぬぐいきれない孤独感や疎外感で、つらくなることはありますか?
わたしは子どもの頃から人の輪に入ることが苦手。
「人の輪に入れないなら、お先真っ暗だ」
と思い悩んでいましたが、それは、スピリチュアル的に意味のあることだったのです。
人の輪に入れなくても、大丈夫。
今日は、そんな話を書いていきます。
目次
幼少期から人の輪に入れなかった私
私は物心ついたときから、人の輪に入れないことが多かったです。
小学生のころ、休み時間になると、ほとんどの子が校庭に出てドッジボールをしてたけれど、私はいつも、教室の窓からみんなを眺めていました。
遠足とか修学旅行とか、4~5人で自由にグループをつくって行動しましょう!みたいなシチュエーションでは、どのグループにも入っていけなくて、1人、余ってしまう。
先生やまわりの子たちに促され、人数の少ないグループにようやく入れてもらう、そんな感じです。
ただ、自分の気持ちをじっくり観察すると、1人でいること自体はそんなに苦ではなかったんですよね。
けれど子どもの頃って、
「友だちをたくさんつくりましょう」
みたいなこと、よく教わるじゃないですか。
遠足のグループの話もそうだけど、友だちがいないとやっていけない面もあったりしますよね。だから私も、
「引っ込み思案な自分をなんとかしなくちゃ」
「○○ちゃんは、いつもみんなに囲まれていて羨ましいなぁ」
なんて思っていて、どうしたらいいのかわからずに、悶々と悩み続けていました。
そんな私に、転機が訪れます。
なぜ私は疎外感や寂しさを克服できたのか
これは、私が小学校6年生のときの話です。
卒業発表会で、選抜メンバーが、地域の伝統芸能を披露することになりました。
チャッキラコといって、豊作や豊漁を祈願して地元の神社に奉納される民俗芸能です。
実際の奉納行事では、5~12歳の女の子たちが赤い晴れ着姿で列をなし、みんなで行進しながら唄や囃子に合わせて踊ります。この姿がなんとも愛らしいのです。
「あんなふうに、可愛い衣装を着てみんなと一緒に踊れたらな……。どうか、メンバーに選ばれますように!」
私はひそかにお祈りしました。
なぜ、私だけが(涙)
そして、メンバー発表の日。
担任の先生が、名前を1人ずつ読み上げていきます。
「どうかな、選ばれるかな。」
両手をぎゅっと組んで、内心ドキドキしながら待っていたら、なんと、最後の最後で私の名前が呼ばれました!
「やったァ~、みんなと一緒に可愛い衣装で踊れる~!」
心でガッツポーズしたのも束の間、3秒後、私は奈落の底へ、ドドドーン!と突き落とされるのです。
「むむ(当時のニックネーム)は踊る方じゃなくて、語り部のおばあさん役ね」
「え。踊り子じゃないの?しかも、おばあさん……。なんで?」
語り部というのは、演目が始まる前に、踊りの歴史や背景を観客に語って聞かせる役です。
踊り子に選ばれたら、否が応でも(笑)みんなの輪の中に入れると思ったのに、結局、輪の外にはじき出されちゃった。
しかも、おばあさんの役(><)
私は、自分の運命を呪いました。ですが・・・。
終わってみたら、ひとつだった
卒業発表会の練習が始まると、他の女の子たちはみな、放課後の教室で大きな輪をつくり、キャッキャ言い合いながら、高い声を上げて楽しそうに話をしています。
私はというと、1人で図書館に行って地域の歴史を調べたり、バスに乗って市の教育委員会を訪問し、文化財担当の職員さんに話を聞いたり、資料をコピーしてもらったり。
セリフを書いて、先生に見てもらいながら何度も書き直し、書き終わったら、今度はしゃべる練習……。
めちゃめちゃ大変で、先生のことを恨んだ瞬間もあります。笑
ただ、いざ本番が終わったら、観てくれた友だちや友だちのお母さんから、
「踊りを観る前に、歴史を知れてよかった」
「おばあさんの口調がおもしろかった」
とねぎらいの言葉をかけてもらい、素直に嬉しかったんですね。
そしたら、少し気持ちに変化が出てきました。
練習しているときは、目の前の小さな輪(踊り子たち)だけを見ていたから、そこに入れない自分を切り離された存在のように感じていたけど、本当は違ったのです。
チャッキラコという民俗芸能を、私は語り部として伝えたし、みんなは踊り子として伝えた。
役割は違えど、私たちは、同じ目的に向かって走っていました。
目には見えないけれど、同じひとつの輪の中にいたんだ!
このとき私は、寂しさや孤独感、疎外感というものから少し解放された気がするんです。
(当時はそこまで明確に考えていませんでしたが)
それに、私はもともと、学校の授業では自由研究が好きでした。
いろんなところに足を運び、調べ、混沌とした情報の中から「これだ!」というものを見つけ出し、伝えることに楽しさを感じていました。
おばあさんの役では、それを活かすことができた。
人の輪に入れなければ何も始まらない、お先真っ暗だと思っていたけれど、あのとき初めて、
「これが私の役割なんだな」
という気持ちを、ちょっとだけ味わえた気がするんです。
人の輪が苦手だった私が選んだ働き方とは?
そんな私は現在、フリーランスでライターをしています。
大学卒業後は会社に4年ほど勤めたのち、勢いで辞めてしまいました。
それには、“語り部のおばあさん”の経験も影響しています。
ひとつの道を極めたい
私はどうしても、まわりのペースから遅れがちなところがありました。
大学卒業後に勤めていた出版社や制作会社では、いろいろなことを臨機応変に対応しなくてはならず、そういうのもちょっと苦痛。
組織の中で自分をうまく出せなくて、まわりも心配だっただろうし、セルフイメージも下がっていって、ミスを連発することも。
一方、私には、子どもの頃から
「ひとつの道を極めたい」
という願望がありました。
そんなとき“あの経験”を思い出したのです。
「組織の中にいなくても、仕事はできる!」
それで会社を辞め、本をつくるなかでも「書くこと」を専門にしようと決めたんです。
ライターとしてチームに関わる
ただおもしろいことに、組織を飛び出してフリーランスになったら、今度は外部ライターとして、様々な「チーム」に関わるようになりました。
駆け出しの頃は、よく自分の書いた記事を持って、いろんな出版社に営業に行っていましたね。
そしてあるとき、面倒見のよい、そして、想いの通じる編集者と出会い、女性向けの月刊誌で毎月企画を担当するようになりました。
本づくりでは、いろんな職種のメンバーが結集し、それぞれの職務をまっとうして、ひとつの企画をつくり上げていきます。
ライターや編集者のほか、デザイナー、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、企画ごとに協力をお願いする様々な領域の専門家など。
私は文章表現で、誰かの「想い」やものごとの「魅力」、「背景」といったものを伝える役割を担っています。
(出版には、他にも営業の担当や、校閲、印刷、製本、書店員さんなど、いろんな人が関わっています。直接会うことはなくても、目には見えない、同じ輪の中にいると感じています。)
いつも会っているわけじゃないけれど、編集会議や取材・撮影で現場に集まったときは、それぞれの専門領域を活かして「もっとこうした方がよくなるよね」という意見を出しあい、ひとつにまとめ上げていきます。
目的を果たすにはお互いの存在が不可欠。どのチーム(企画)でも「みんなでつくる」という意識で働いてきました。
だからこそ、自分の持ち場をしっかり守ろうと思えるし、技術を磨き、深めていこうと思える。
ほんと、チームとの関わり方って、いろいろな形がありますね。
語り部のおばあさんは、当時の私にとって、ベストな関わり方だったのだと思います。
だから、もし、あなたがいま、人の輪に入れないことで悩んでいても、いったんそのことは、横に置いといてください。
その代わり、こんなふうに考えてみましょう。
今、みんな(全体)のために何ができるのか?
もちろんそれは、仕事とは限りません。
きっと、あなたにとってベストな関わり方が見えてくると思います。
人の輪に入れなくてもスピリチュアルな世界では繋がれる
人の輪に入れないと、自分だけが切り離されたように感じ、寂しさ孤独、疎外感を感じてしまうかもしれません。
人間関係は大切ですし、まわりの人たちと良い関係を築きたい気持ちは多くの方が持っていると思います。
ただ、人との関わり方っていろいろあると思うのです。
みんなのために何ができるかな?と考えたとき
スピリチュアルな(見えない)世界では、すでにみんなと繋がっています。
いま、あなたが感じているような寂しい気持ちや疎外感はスーッと消えていきますよ。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。
私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。
・「ワクワク」のダークサイド(暗黒面)とは
・9割の人が見落とす〝引き寄せられない〟根本原因
・想像すら超えた未来を引き寄せる、運命を変える秘訣
といったことにも触れています。
よろしければ読んでみてくださいね。
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