行動を変える

したいことが分からないまま大学に行ったけど、人生は進み始めた。

何がしたいのか分からなくて大学に行った。

こんにちは、元高校生の久美です。

将来は看護師になりたいとか、ダムを作りたいとか、「したいこと」をハッキリ決めてる人ってどのぐらいいるんだろう?

したいことが分からない人は、とりあえず普通科の高校に行っておけば、いっときは決断を保留できますね。

でも、高校2年生で文系・理系を選ばなくちゃいけないし、3年生になったら受験する大学や学部も決めないといけません。

人生を決める大事なことなのに、考える時間はあまりないんです。

私も、特に将来の夢みたいなものはなく、したいことが分からないまま大学に行った人間です。


自分が本当にしたいことは、大学で見つかるの?



やりたいと思ったことが続かない

幼稚園の年長のとき、友達がみんなピアノを習い初めて、楽しそうに幼稚園のオルガンで連弾するのを見て、「私もピアノやりたい!」と思いました。

でも、いざ習いに行ってみると、延々と指の動かし方とか、知らない変な曲ばっかりさせられて、思ったのとは違ってました。

それでもずっと通っていたのですが、練習するのが嫌で嫌で、週1回のレッスンの直前に30分くらい弾けば良い方。

ノー練習で行って先生に叱られてばかりで、ますますつまらなくなりました。

ピアノだけじゃなく、何もかもがそんな感じです。

友達がやってたり、テレビで見たりしたのに感化されて「わあ、いいなあ!やりたい!!」と思うんですけど、やってみると長続きしません。

スポーツもバスケとかテニスとか、色々やってみたけれど、熱中できないまま止めてしまうのでした。


どうせ飽きるから、やらない。

中学生のとき、『ご近所物語』を読んでファッションにあこがれたことがありました。

ママにミシンを買ってもらって、普通に売ってる服をかわいくリメイクしたり、ロリータっぽいフリフリなスカートやワンピースを型紙から作ったり。

高校の進路を選ぶとき、通学圏内に被服科のある高校があったので、ちょっと良さそうだなあと思いました。

でも、お洋服づくりも、いつまで続くか分からない。

自分は飽きっぽいから、一生これをやりたいと思い続けるなんて、きっと無理だ。

それに、才能があるか分からないし、デザイナーになれる保証なんかない。

そんな自分自身への信用の無さと、普通じゃない道に進んで失敗することへの恥ずかしさから、結局、服を作るのはやめました。

進学したのは、普通科の高校で、市内で2番手の偏差値のところでした。

成績的には余裕で1番の高校にも入れたのですが、あえて2番の高校に入ったのには理由がありました。

その高校には、普通の文系コース・理系コースの他に「芸術コース」というのがあって、音大や美大などの進学を目指す芸術系科目が多く履修できるようになっていたのです。

特に音楽家になりたいとか、画家になりたいとは思ってなかったのですが、普通じゃない方に進める可能性を少しだけ残しておきたかったんですね。

一応、ピアノも下手なりに7年は習っていたので、さすがに音大は無理だけど、幼稚園とか小学校の先生とかだったらワンチャンあるかな〜、でも、べつにそこまでやりたいわけじゃないな〜ぐらいの気持ちでした。


したいことが分からないまま、つぶしの効く方へ

高校2年からの文理選択では、私は文系を選びました。

英語と生物はめちゃ得意、数学・国語・社会はまあまあ、化学が苦手だったため、なんとなく文系が良いかな? 程度しか考え得ませんでした。

まだ大学でも特にこれといって勉強したいことは何もないけれど、まあこれから色々と調べれば興味を持てるものが出てくるんじゃないかな、と楽観してました。

ちなみに、部活は弦楽部でバイオリンを弾いてました。が、これもそんなに夢中になる感じではありませんでした。

みんな高校から始めた人ばっかりで上手くなく、適当に音学準備室でダベってるというゆるい部活だったのです(音楽室はガチで入賞を目指す吹奏楽部が使ってる)。

3年生になるとき、さらに細かいコース選択があります。

ここで私は案の定というか、音学コースではなく、普通の文系国公立大受験コースに進みました。

芸術コースはなんか大変そう、仕事とかなさそう、そこまでやりたいわけじゃないし、つぶしの効く方が良いんじゃないか、と思いまして。

大学辞典とかでいろいろ調べたり、オープンキャンパスにも行ってはみたけれど、まだピンとくる「大学でこれがやりたい!」みたいなのはなく、どれも同じように感じました。

別の高校に行ってた中学からの友達は、仙台の服飾専門学校にサッサと進路を決めていてうらやましかったです。

しかし、どこか受験しなければなりませんので、偏差値がちょうどよく倍率が高くなくて、友達のいる仙台で、学費の安いところ…と完全に条件だけで進路を決めました。

まあ、総合大学なので、大学に行ったらきっと「したいこと」も見つかるでしょう。きっと…。


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大学に「したいこと」はなかったけど…



バイトに明け暮れて終わった大学時代

大学には、変な人がいっぱいいました。

広場で「学費を安くしろ!」的な演説をしてる人、空手の道着を来てピアノを弾いてる人、サークル棟に住んでる人…。

これが自由か…!!と思いました。

部活とかサークルもいっぱいあって、何個か入ってみましたが、いつもの「そんなにやりたいと思わない」が始まって、どれも2年生ぐらいから行かなくなりました。

代わりに、バイトに明け暮れるようになります。

当時、宮城県の最低賃金の730円で、学習塾の事務のバイトを始めました。

電話番をしながらチラシを折ったり、小テストの丸つけをしたり、という非常に楽な仕事でした。

仕事そのものはぜんぜん面白くもないし、やりたくもないんですけど、労働の喜びみたいなのがありました。

お給料は月2万円ぐらいでしたが、それでも初めて親のお小遣いじゃなく「自分で稼いで自由に使えるお金」っていうのが嬉しかったのです。

事務よりも塾講師の方が時給が良かったので、家庭教師や塾講師も掛け持ちして、親の扶養に入るギリギリまで稼いでました。

バイト代が入ると、お金を下ろした足で仙台フォーラスに行ってぜんぶ服に使っちゃいます。


惰性で学習塾に就職

大学の講義もサボりがちだった私が公務員試験とかSPIの勉強なんかしている訳がなく、みんなが内々定を何個とったとかそんな話が出始めてから、随分スロースタートな就活を始めました。

就職もまた「したいことがない」病に苦しみます。

「御社でこれがやりたいです!!」みたいな熱い思いは何一つない私は、言葉に詰まってしまうのでした。

器用な人なら適当に上手いことを言って面接を突破できるんでしょうけど、変なところが正直だったんですよね。

業種にこだわらずにあちこち応募してみましたが、内定が出たのはバイトでやっていた学習塾業界の2社だけでした。

それも、めちゃくちゃやりたい訳ではなく、教えるの好きだし、子どもが「わかった」って喜んでくれたら嬉しいし〜みたいな、薄っぺらい気持ちしかありませんでした。

ただ、少なくとも「絶対にやりたくない」仕事ではなかったので、まあいいか、というノリで働き始めました。

ライティングとの出会い

塾の仕事は嫌いではなかったですが、給料が安くて死にそうでした。

いや、平均よりちょっと少ないぐらいなので、そんなブラック企業ってわけじゃなかったのですが、私の理想の生活を維持するにはお金が足りなかったんです。

だって、アパートはきれいな新築がいいし、月に1回はヘアサロンに行きたいし、お洋服もいいやつを着たいし、食事も安全で美味しいものをとなるとお金がかかっちゃうし。

とにかく、衣食住の全てにお金をかけたかったんです。ドラマみたいなオシャレな生活がしたかった。

このままボロアパートに住んで、前髪セルフカットで、ユニクロとしまむらを着て、袋ラーメンを食べ続ける人生なんて無理!!

何か特別コレって訳じゃないけれど、ある意味「良い暮らしがしたい」のが強烈な「したいこと」だったのかなあ。

それで、もっとお金を稼げる方法ないかな? って調べて、副業でウェブライターの仕事を始めました。

ライターの仕事って、普通のアルバイトとかと違って時給じゃなくて、3000文字の原稿1本でいくら、みたいに成果物に対して報酬をもらうんですね。

だから、がんばって速く書くほど時給換算で稼げるんです。

最初は「稼げる」っていうだけでたまたま始めた文章の仕事でしたが、やってるうちに楽しくなってきました。

文章を書くって、国語力だけじゃなくて、書く中身についてもちゃんと調べたり勉強したり、深く考えたりしなきゃいけなくて、ちゃんとやろうとすると奥が深いんです。

これが絶対に正解ってものもないから難しいんだけど、ちょっとでも良くしようと思って工夫していると、ちょっとは良くなって自分の成長が実感できます。

それで夢中になって続けているうちに、ライターが本業になってました。

飽きっぽい自分ですが、「書くこと」はどうも飽きが来ないようなので、たぶんこれからも続けていくのだと思います。

したいことが分からないまま、とりあえず大学に行って、いちおう就職して、レールから外れない人生を送ってきました。

でも、「もう本当に無理!」ってとこまで追い込まれたら、えいって飛び出して、必要に駆られて必死にやってみたことが意外に面白かった。

大学には「したいこと」はなかったけれど、大学に行ってバイトとかいろんな経験をして、就活に失敗して、だからこそ今「したいこと」ができてるなあと思います。

したいことが分からないときの大学選択基準

したいことが分からないって、ちゃんと悩む人は偉いと思います。

「深く考えること」をしているから。

私は何にも考えずに、まあ良いやって適当にフラフラ生きてきてしまいました。

でも、「したいこと」の種みたいなものは、きっとあなたも経験しているはずです。

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したいことのタネ

だって、全くなにもしないでじっとしてたワケないじゃないですか。

ちょっと好き、ちょっと楽しい、時間を忘れて夢中になったことって、遊びでもなんでも、何かはあったと思います。

思い返すと、普段はピアノをサボっていた私も、合唱コンクールの伴奏だけは張り切って練習していました。

自分の発表会は全然やる気がなかったのに、「伴奏でトチったらクラスのみんなに迷惑がかかる…!」って心に火がついて、本気で練習してました。

勉強なんかそっちのけで、1日3時間。最後は目隠しして弾けるようにまで、完璧に仕上げたんです。

いつもの怠けっぷりをみていたピアノの先生は、

「久美ちゃんじゃないみたい」と言って泣きました(笑)。

大変だったし、面白おかしいわけじゃないけれど、負荷をかけて本気でやってる瞬間はスッキリした充実感があって、ピアノって良いなあと初めて思いました。

たぶん、つまらないときって、楽してるときなんです。

ゲームでも、最初の村を出たばっかりのところで、レベル1の敵をずーっと相手にして自分のレベルが上がっちゃったら、楽勝すぎて面白くないですよね。

それに、いくら倒しても経験値はほとんど入らないし、ストーリーも進んで行きません。

その先に何があるか分からないけれど、いろんなクエストをこなしながら、強い敵をギリギリ倒しながら、先に進んでいくから楽しいわけじゃないですか。

したいことを見つけて人生を楽しむための縛りプレイ

だから、したいことは分からなくてもいいし、将来の夢も決まってなくてもいいけれど、『楽な方に行かない』っていう基準は持っておくと良いと思います。

今自分が「できること」にとらわれないで、これから成長することも計算に入れて、ちょっと無理めかなって思うことにチャレンジすることです。

たとえ、これまでは全く興味がなかったことでも、真剣にやってみると案外面白いかもしれないし、どんな才能が開花するかも分かりません。

進む方向を間違えても良いんです。

ゲームでマップの変な方に進んじゃって、急に強すぎる敵にボコボコにされたり、それ以上進めなくなったりしても、そこに進むまでに得られた経験値はなくなりません。

引き返して別の道に進むとき、そこには一回りもふた回りも成長した自分がいます。

したいことが分からないなら、分からないまま突き進め!

人生、何が正解かなんて分かりません。

したいことじゃなきゃやっちゃダメってわけでもありません。

どっちに進んで良いのか迷って、最初の村を出られないでいるよりも、とりあえず飛び出してどこかに進みながら経験値を積んで、成長していくことが大事です。

進路を選ぶときに、したいことが別にないのなら、「より成長できそうな方」を選んでみてはいかがでしょうか?

本気でやってるうちに、きっと面白いことも見つかりますよ。

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高橋久美
会社を8年でやめてフリーライター4年目。たまたまブログから見つけた佐藤想一郎さんのご縁で最高の仲間たちと出会い、WEB媒体の他、最近はブックライティング、雑誌の編集など忙しくも充実した毎日を送っている。読んだ人の心が明るくなって、人生まで良くなってしまうような文章を目指して修行中。→ 詳しいプロフィールはこちらから
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。

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