魂を磨く

神社の起源あれこれ|日本人の精神「神道」を学ぶ

日本に生まれて、神社に行ったことがないという人はどのくらいいるのでしょうか。

日本には人生の節目において、神社で祈願・祈祷をしてもらう神詣(かみもうで)の習慣があります。

安産祈願・お宮参り・初節句・七五三参り・成人奉告祭・結婚の契り・厄年・賀寿(年祝い)…

生まれる前から歳を重ねるまで、人生と神社とが密接に関係していくのが日本文化の一つとも言えそうですね。

ところであなたは、どの神社にどの神様が祀られていて、どのようなご利益があるかということはご存知でしょうか?

日本は神様が多くいらっしゃる国なのでなかなか把握できませんよね。

「それぞれの神社に誰が祀られていてどのような起源をもっているのか」

「どんなご利益があるのか」

これを知らなければ、せっかくお参りに行っても御神体に向かって何を祈願すれば良いのかも分かりませんし、神様にも得意分野があるらしいので的外れなことをお願いしてしまうと効果が出ないということにもなりますね。

今の自分の願いに最適な神社はどこだろう?と正しく選んでお参りに行きたいものです。

というわけで、私の備忘録としての意味も込めまして、様々な神社の起源・ご利益・ミニ知識などについてまとめてみました。

神社を知るには「神道(しんとう)」から

世界中には多くの神様が宗教が存在します。

宗教に関して言えば、一柱の神のみを信仰する「一神教」と、神や超越者が多数存在する「多神教」に大きく分類することができますね。

「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」は前者ということになります。

一方、「日本の神道(しんとう)」「アイヌの信仰」「中国の道教」「インドのヒンドゥー教」などは後者です。

八百万(やおよろず)の神の国である日本と、唯一絶対神のキリスト教とどちらが良いということではありません。

この多神教信仰者に対して、「ペイガニズム(田舎の村人が語源)」と若干馬鹿にされたような(汗)印欧語圏の言葉がありますが、私は如何なるものをも受け入れるという包容力抜群の多神教の国、日本に生まれて良かったなぁと思っています♪

この万物に対する畏敬の念を抱くことは、農耕民族だった私たちの祖先の、自然からの恵みに対する感謝の念から生まれた観念です。

田畑から、海や川からの恵みは人間だけの力ではどうすることもできませんよね。

私たちの祖先は、大いなる自然があってこその繁栄に対する感謝の念を、祈らずにはいられなかったのでしょう。

こうした歴史的、気候的、民族的な背景を踏まえて培われた日本の宗教観が「神道(しんとう)」なのです。

神道というのは、日本古来からの神々への信仰が仏教・道教・儒教などの影響を受けて展開してきました。

ですから、この「神道」なくして、日本人は語れません。

生活で接する全てのもので「神のはたらきを感じる」ものを崇拝の対象とし、私たちに大きなパワーを与えてくれる人知を超えた智慧が感じられれば、それを「神」とすることになっています。

神道の精神は、様々な違う力を持つ神々に、どのように力を借りるかということを考えるものであり、「日頃の行いそのものに神が宿ると考える」ことでもあります。

西洋文明では、自然は征服する対象であり闘うものだという思想があるのですが、日本では自然は神であり祈りをささげ共存する存在です。

確かに人間は高度な文明を築いてきましたが、ここのところ多発している異常気象・自然災害にはひとたまりもありません。

あくまでも、ちっぽけな存在であることには変わりないのです。

人間の傲りをいかになくしていき、謙虚さを取り戻すか。

自然と一体化し、自然と共に生きていくことがテーマとなりそうな今後は、神道思想が世界的に見直されることになるかもしれませんね。

神社はなぜできたの?


このように日本の自然物に神を見出す信仰は、人を含む動物にまで広がっていきます。

お稲荷さんは「狐」、「鯨」神社、猫を祀る今戸神社。

また、天神様の菅原道真や八幡神の応神天皇などがそれに該当しますね。

原点を辿っていくと、そもそもの神社の起源は「そこに神々しさを感じた」というところから始まっています。

最も古い神社は、たとえば、巨木・美しい山や島などに注連縄(しめなわ)が飾られていて、神話と結び付けられて語られたりしていますよね。

この自然信仰のことをアニミズムと言います。

対象となる自然物は「依り代(よりしろ)」と言われ、神霊が依り憑く(よりつく)という意味で崇拝されています。

ヨーロッパでもストーンサークル、ストーンヘンジなどの古代の巨石文化が存在しますよね。

自分を圧倒するほどの存在に対し、畏敬の念や神秘を感じる心は人間に共通とした心理のようです。

そのような自然の神を祀るための臨時の場でしかなかったものが、国家が整ってきた飛鳥時代には、常設の社や神主・巫女などの神職も現れだします。

この頃の稲作を中心とした共同体では、集団で豊作を祈ったり感謝したりするお祭りが行われはじめました。

これが後に伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)となっていきます。

祈りが集団のものであった時代から、平安時代では徐々に陰陽道(おんみょうどう)の影響から個人的なものへと変化していき、さらに神仏習合(仏は神の仮の姿だ)の思想も加わります。

ここから、実在の人物が祀られるようになるわけですね。

という訳で、武士の時代に突入すると八幡信仰が江戸時代には稲荷信仰が広がっていきました。

時代に・政略に・人々に・土地に応じて様々な神を祀る神社が全国に増えていったようですね。

3  名だたる神社とエピソード&ミニ知識


数多くある神社の中で、個人的にこれはと思うものをいくつか選んでみました。

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(1)  稲荷神社

日本の最高神である天照大御神が、五穀をつかさどる女神の豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)に命じ、日本国中に稲穂を頒布しようとしたときに、狐を使いとして稲を加えさせ広げたということからきています。

稲荷の文字は「稲を荷ぐ」と書きますからね。

タッタッタッと稲を加えながら走る狐を想像すると、可愛らしくて何とも言えず愛おしくなりませんか(笑)?

このように稲を運ぶのに奔走してくれた狐ちゃんのために、農民は感謝の気持ちと豊作を願う願望から、稲荷大明神と崇め奉ったのです。

けれども時代が変遷する中で、商売繁昌や祈願の的となり、花柳界の人々までも御利益を与えるようになっていきました。

江戸市中では「伊勢屋稲荷に犬の糞」(←ひどい!)といわれるほど、稲荷神はもっとも多いもののひとつと数えられていました。

また、大阪でも「病弘法(やまいこうぼう)、欲稲荷(よくいなり)」といわれたほど、大阪商人に大変愛されました。

ちなみに、東京都大田区羽田にある穴守稲荷神社が、なぜ競馬に熱狂する人々や花柳界の方々から慕われているかご存知でしょうか。

そもそも五穀豊穣など農業信仰のシンボルであるお稲荷様。

しかし明治維新で温泉が発見されると、参道にはたくさんの料亭や旅館がひしめくことになります。

地元の有志が土地の振興策として「公衆参拝」の申請を政府に願い出て、社殿を新築してから、徐々に現世利益を求める神社として繁栄していったそうです。

この「穴守」と言う意味がポイントです。もうお分かりでしょうか(笑)

花柳界・遊郭の人々に信仰されたのは、つまり「女性の病気」を守るという意味があったのですね。

また、穴守稲荷周辺には行楽地として競馬場まで開場しました。

ということで「大穴」を狙う方々に大穴祈願の神社として親しまれたということです。

ご当地稲荷神社の効能を調べてみても面白いかもしれませんね。

(2)  八幡神社

稲荷神社の次に多い(約8千)のが、宇佐神社・石清水八幡宮を総本社とする八幡神社です。

ご祭神は八幡神(応神天皇)、比売神、大帯姫(神功皇后)の三神ですが、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇(神功皇后の夫、応神天皇の父帝)の三神をご祭神としている八幡社も多く存在します。

武芸や勝負運の御利益があります。

八幡神の由来については諸説あり、大変興味深いところです。

・宇佐氏の氏神信仰を起源とする説
・朝鮮を起源とする説
・「ヤハタ」がヘブライ語の「ヤフダ」と酷似しているとするユダヤとの関連説

などなど……

まだ解明されていない奥深さを感じながら、参拝するのも楽しみの一つですね。

また、鶴岡八幡宮で展開されたドラマが言い伝えられています。

義経は戦いで活躍し、評判が高まっていきましたが、兄の頼朝と対立し義経追討の議が決せられました。

京都にいた義経は静の機転によって西国へ逃れたもののましたが、雪深い吉野山にて義経と生き別れてしまいます。

静はやがて捕らえられ、鎌倉へ連れられてしまいました。

捉えられた静は殺されることを覚悟して艶やかな舞い姿を観衆の前で披露しながら、頼朝公の期待に反し、義経との別れの曲も舞ったのです。

吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき

(吉野山の嶺の白雪を踏み分けて、山の中へ進んで行った人(義経)が恋しいのです。)

しづやしづ 賎のおだまきくり返し 昔を今になすよしもがな

(「静よ…静…(義経の声)」(掛詞)しづ布を織るために糸を巻く苧環(おだまき)で糸を繰るように、あの愛し合い幸せだった昔を、今に引き戻せたらよいのになぁ。

頼朝は不機嫌になり「関東の万歳を祝すべき祭典に当たって反逆の義経を慕い、その上別れの曲を謡うこと奇怪千万なり」と激怒して、「(静を)斬って捨てよ!」と激怒しました。

けれども妻北条政子は「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と強く頼朝を諌めて、静御前の命を助けたのでした。

……涙なくては語れません(;O;)!!

義経を深ーく愛し、わが身の危険をも顧みずに堂々とその愛を貫こうとする静御前の気持ちと、敵側でありながら愛する人を思う気持ちに女性として同情を寄せ助けた政子の心意気が、何とも美しいですね。

このことから、鶴岡八幡宮には縁結びのご利益もあるとされています。

(3)  神宮

言わずもがな、天皇家の祖先神でもあり、日本の稲作文化に欠かせない太陽の女神・最高神の天照大神が祀られています。

「神宮」と言えば伊勢神宮しかありません。この神社は別格なのです。

江戸時代には「男子ならば伊勢神宮と吉原(遊郭)は一度は訪れるべし!」といわれていたそうですよ。

その他の神社とは違い、個人的なお願いをしても良いところが限られているのはご存知ですか?

内宮の荒祭宮(あらまつりのみや)・外宮の多賀宮(たかのみや)のみが個人的な願い事を聞き入れてくれる宮となっています。

多賀宮の方は、特に「物事の始めに参拝すると良い」そうです。

また、伊勢神宮の参拝は心身ともに正常である朝が一番とよく言われます。それは朝は1日のなかでもっとも空気が澄み身も心も清浄な気分となるからでしょう。

ちなみに、「神明宮」の「神明」というのは、伊勢から勧請(かんじょう)したことを表します。

勧請というのは仏教用語で、日本において仏神の霊や像を寺社に新たに迎えて奉安することを言います。

私は、天照の女子力に少しでもあやかるため、初詣に必ずご近所の神明さんにお参りに行っていますよ。

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(4)  天神神社

天神(多くは菅原道真)を祭神とする神社である。天満宮とも言い学問の神様として多くの受験生が参拝に訪れますね。

天神様はエピソード満載です(笑)

「と~おりゃんせ♪と~りゃんせ♪」の歌の中に、「天神様」が登場するのはご存知ですよね。これは「なぜ帰り道が怖い」のだと思いますか?

「口減らし」説や「生贄(いけにえ)」説など恐ろしい話が様々あります……。

また個人的には、大学時代に『菅家文草(道真の漢詩文集)』と格闘したので、よく覚えていたりします。

これは、流麗優美な詩風が特徴的で、当時最高の学者兼詩人でもあった道真の才能がいかんなく発揮された作品です。

右大臣として政権の中枢にいた人物でもあります。

が!!

この方はなんと三大怨霊の一人とされているんです!!

神道思想では、非業な死を遂げた人たちを怨霊として恭しく祀ることで、負のパワーの力強さは保ったまま大いなる守護霊に変換されると解するのです。

このように怨霊を祀った神社を御霊神社というのですが、ちなみに道真以外のお二方はは、平将門・崇徳天皇で御霊神社の祭神として祀られています。

それでは道真が怨霊となるまでのストーリーを簡単に見てみましょう。

素晴らしい能力を持っており出世街道をひた走る道真さんは、生前藤原氏からの妬み嫉みがひどく、濡れ衣を着せられ太宰府へさせんされてしまいます。

無実を訴えながら亡くなった後、なぜか朝廷には様々な怪奇現象が襲い掛かるのです。

天変地異に加え政敵や天皇家・政府要人たちが次々に亡くなり、極めつけは清涼殿(天皇の日常的な居所)に雷がドーン!

このことから、菅原道真の怨念が雷神と結び付けられ天神様としての信仰が全国にひろまることになりました。

ちなみに道真さんといえばこの和歌ですよね。

東風(こち)ふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
(東風が吹いたなら、妙なるその匂いを起こし届けてくれよ梅の花よ 主人がいなくなったからといって春を忘れるなよ)

その梅が、道真を慕って「ご主人様ーー!!」と太宰府まで飛んで行ったという「飛梅(とびうめ)伝説」には、涙が出ますね。

梅の花の香りを嗅ぐと、必ず思い出す歌でもあります。

(5)  春日大社・鹿島神社・香取神社

「縁結び」や「夫婦円満」がご利益というのが有名ですね。

この春日大社の始まりは、平城京を守るためだったということはご存知でしょうか。

天智天皇が奈良に都(平城京)を作り、それを守る山として三笠山に「春日の神」と呼んでいた神様を祀りました。

この神様は、藤原氏の守り神や一族の祖先として崇拝していた氏神様だったようです。

実はこの神様は、神話に登場し国譲りの功労者でもある「武甕槌命(たけみかずちのみこと)」といい、その神様が持っていた神剣である「経津主神(ふつぬしのかみ)」を祀りました。

前者は鹿島神宮、後者は香取神宮に祀られていたのを、2柱の神として呼び寄せたのが春日大社ということになります。

平成10年12月には、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録されたことでも有名ですね。

「式年造替(しきねんぞうたい)」と言われる20年に1度の大修理では、国宝・本殿の柱などを彩る本朱(水銀朱)の塗り替え作業が行われます。

春日大社といえば色鮮やかな朱色!

本殿には貴重な本朱が100%使われているそうですよ。

こういった文化遺産を連綿と当時のままに残していくには、職人さんたちや材料・道具が変わっていく中でいかに変えない努力をしていくかが大切で、多くの人々の手によって受け継がれ、守られていることを改めて実感します。

神社の起源|まとめ


日本人のアイデンティティに関わる「神道」から、神社の起源、そして神社の豆知識まで書いてみましたが、この奥深さは本当に語りつくせないものがあります。

日本人はよく「無宗教です」「お墓が〇〇宗だから、仏教かなぁ…?」という人が多く、これ!という確たるものがない、と思っている人の方が多いように思います。

日本の宗教は威圧感というものが全くなく、神道+仏教+キリスト教のような融合した形で、私たち日本人のアイデンティティが形成されているようなのですが、気づかないのかもしれませんね。

この融合スタイルは、日本人の最も得意とするところ。

色々な宗教の良いところをもらえば良い♪という考え方は、日々の生活に取り入れていきたいところだなと思うものです。

私たちのアイデンティティとはと考えたときに、神道的な思想で「自然崇拝」ともう一つ「祖先崇拝」も忘れてはなりません。

私たちの生活において、お彼岸・お盆・毎日仏壇に手を合わせるなど、先祖をとても大切にする習慣があります。

そして、自分の子孫が脈々とその血筋を受け継いでいくこと・血を絶やさないことこそ、先祖供養であり子孫の務めだと考えるるところがありますよね。

また、神社のところで「神仏習合」という思想について書きましたが、現世で善い行いをした人も(祟り神も)神として祀ることで、子孫繁栄を願う守り神となります。

全てが循環しているのです。

自然も神であり、全ての人々も神様であり、それらが全能ではなくパズルのピースのように共に支えあっています。

全てのものと共生し、一体化していくことこそ私たち日本人が美しいと感じる世界観なのかもしれません。

「私も神様、あなたも神様」という気持ちで、決して闘わずに皆と融合して生きることで、「八百万の神の国」を体現していきたいなと思っております。

ABOUT ME
高橋久美
会社を8年でやめてフリーライター4年目。たまたまブログから見つけた佐藤想一郎さんのご縁で最高の仲間たちと出会い、WEB媒体の他、最近はブックライティング、雑誌の編集など忙しくも充実した毎日を送っている。読んだ人の心が明るくなって、人生まで良くなってしまうような文章を目指して修行中。→ 詳しいプロフィールはこちらから
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。

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よろしければ読んでみてくださいね。

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