思考を鍛える

モラハラをする人のスピリチュアル的存在意義とは?

モラルハラスメントという言葉がここ数年さまざまなところで聞かれるようになりました。

モラハラとよく略されていますが、簡潔に言うならば暴言などによる嫌がらせのことですね。

家庭や会社や学校、あるいは他のコミュニティーの中でも時々存在するそういう暴言を言って人に嫌な思いをさせる人。

最近では芸能人の夫婦や政治家の秘書への暴言などでもなにかと話題になっています。

身近にそんな人がいたら本当に嫌ですよね。

彼らのような存在はなぜいなくならないのでしょうか?

そもそもなぜ彼らのような人はいるのでしょうか?

実はあなたの人生においてそういうモラハラ的な言動をしてくる人が現れるのにはある理由があるんです。

社会問題としてのモラハラではなく、ちょっと視点を変えた心理的な視点とスピリチュアル的な観点で見たときにその理由が見えてきます。

今回はそんなモラハラする人の存在意義とそういう人がもしかしたら人生からいなくなるかもしれない方法をお話しします。

モラハラの仕組み

自分の潜在意識を表現する存在

理不尽な暴言や悪口を言ってくる人があなたの人生に現れたときに、ただ嫌だなと感じるのか、それとも彼らのような存在がどうしているんだろうか?その存在意義を問うかどうかでこれからの人生がガラリと変わっていきます。

今この記事を読んでくれているあなたはきっと後者の人なんだと思いますので、これから話すことを注意深く聞いてください。

まず結論から言うと、モラハラしてくる人は、あなたの潜在意識を表現した存在です。

そんなわけない!と思うでしょうがそれが事実なんです。

もちろん常識や社会問題的な観点から言うのではなく、これはスピリチュアルな視点から見てです。

そういう視点から見て、そういう暴言を投げつけてあなたを否定する存在がいるのは、他でもないあなた自身が心の奥で自分自身の価値を疑っているからです。

いえ、疑っているというのは控えめな表現で、自分のことをすごく否定していたり価値のない存在だと思っているんじゃないでしょうか?

その自己否定的な考えをまるで肯定するかのようにモラハラをされる現実が現れているんです。

誰よりも自分が自分に言っている言葉

モラハラによってどんなことを言われるかは人それぞれでしょう。

デブとかバカとか、とにかくあなたをとことん否定して傷つける言葉を言われると思いますが、先ほど言ったことを前提に考えるとその暴言の本質も見えてきます。

その投げつけられた言葉は、実は他でもないあなた自身が自分へと言っている言葉なんです。

いわゆるセルフトークというものですね。

自分の中にある劣等感、あるいは罪悪感、不安。

なんて自分はダメなんだとか、そういうもの。

そんなものを明確な言語にしてあなたにわかりやすく伝えてあなたのセルフイメージを示してくれている存在がモラハラしてくる人のスピリチュアル的な役割なんです。

おそらく今の段階ではそんなこと言われても到底信じられないでしょうし、受け入れ難いことだと思います。

あんなひどいことを言われて傷ついているのに、そんなこと信じられない!

当然そうだと思います。

ですがその傷ついたということも含めそれはある関係性を作り出すためにやっていることなんです。

被害者になるためのモラハラ

これはある種すべての手品のタネのような話です。

モラハラに限らずいじめも、自分に起こるネガティブなことのすべてがこの関係性のために意図的に本人が作っているという衝撃的なことがわかってしまうはずです。

モラハラされること、そいう人物がいるのは、あなた自身が“被害者”というポジションでいるためのものなんです。

被害者というのは、加害者に嫌なことを“される”人で、世間から守られる存在です。

つまりかわいそうな人として周囲の同情も手助けも得られる。

もっと言えば、被害者だからこそ他のそうじゃない人に比べていろいろ優遇されたり許されることがあって実はとても都合がよかったりするんです。

だから被害者であり続けるために、加害者を作り出しているんです。

その加害者こそ、モラハラする人なんです。

被害者意識がモラハラを作る

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被害者意識と劣等感

モラハラをする人がなんで存在するのかはここまでの話で理解できたと思います。

もちろん理屈としては理解できてもきっと受け入れられない部分もあるのは当然です。

理解するのと腑に落とすのは違うので、今はそれでも大丈夫です。

次はもうちょっと被害者意識というものについて深く掘り下げてみたいと思います。

モラハラをする人が存在して、そんな人にモラハラを“させる”ように仕向けていると言いましたが、これは根本的に劣等感が絡んでいます。

劣等感、あるいは自己無価値感というものがあると、人はその無価値な自分にとってふさわしいものを無意識に引き寄せてしまいます。

劣等感がまず最初にあって、その劣等感をどうにかしたいと色々頑張るんですがなかなかうまくいかずに迷惑をかけることが続くと劣等感が罪悪感に変わります。

そしてその罪の意識が罰を求めて自分にモラハラする人を作る。

簡単に言うとそういうカラクリがモラハラの裏にはあるんです。

自作自演のコント

劣等感から始まるカラクリがわかってくると、結局モラハラされるのもそういう人がいるのも、ある種の自作自演のコントのようなものだったんだと気が付くと思います。

僕も仕事でモラハラのようなことをされてもう仕事そのものが嫌だったことがありましたが、このカラクリに気がつき、自分自身を罰そうとする意識を徐々に捨てていきました。

すべて自作自演なら、それをやめることもできるだろうと思ったからです。

実際僕はそう決めてから何があっても自分を否定することを意識してやめてみました。

その結果なぜかそのモラハラする人は明らかにこちらに絡んでくる事がなくなっていったんです。

なにかの偶然じゃないか?とも当然思いましたが、でもあまりにもこの出来事が自分の内面の状態と面白いくらいリンクしていたので、なんだか不思議と内面の変化がこうして現実に反映されたのだと思えたんです。

スピリチュアルの分野では何度も言われている事ですよね。

こうした変化はあなたにも起こす事ができます。

そのためにここで言っているように、全てが自作自演のコントだったということに気がつく必要があるんです。

モラハラをさせていたことに気付く

自作自演のコントとは、つまり登場人物から状況、そこでどんなことをされるかまですべてを自分で作っていたということです。

つまり、脚本監督主演、キャスティングをすべて自分でやって、演じていたに過ぎず、モラハラしてくる人は、あなたが用意した俳優さんで、監督であるあなたの指示によってモラハラを“させて”いたんです。

具体的に言うなら、わざと弱々しいふりをしたり、隙を見せたり、失敗してみせたり。

そうやってモラハラされる可能性の高いことをやって、相手に自分にそうするように仕向けていた。
モラハラをされていたのではなく、させていた事に気がつくことで、当たり前ですがそれをなくすこともそのままにすることもできます。

ちょっと認めがたいと思いますが、世の中のあらゆるものはこうした仕組みのもとで起こっています。

いわゆる引き寄せの法則がその最たるものですね。

とてもじゃないけど認めがたい事だと思いますが、受け入れることで人生の主導権は自分にある事を思い出せます。

モラハラだけでなく、お金だとか健康だとか、人間関係だとか。

そういうのは自分自身が望んで作ってきた事なんですね。

“わざと”そういう人のいる環境と状況を無意識で作ってきていたんです。

被害者意識を捨ててモラハラから自由に

あなたは悪くない

ここまでこの話を聞いて、なんだか責められているように感じてしまったかもしれません。

昔の僕も、職場で嫌なことを言われていた時期にこうした仕組みの話を聞いてとても落ち込みました。

すべて自分のせいだなんて・・・

でもその自責の念ももちろんお門違いです。

あなたはなにも悪くありません。

かといってモラハラをしてくる人も決して悪くありません。

この仕組みにおいて悪い人なんていないんです。

ただちょっと、あなたが自分のことを悪く思い過ぎていて、その事実を教えるためにモラハラする人が遣わされただけです。

それに気がついたのなら、もうモラハラされるかわいそうな被害者な私という役割を降りてもいいころです。

もうこの脚本で演技を続ける必要はありません。

あなたはなにも悪くないんですから、モラハラをされる必要はなくなったんです。

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被害者じゃなくても大丈夫と知ろう

被害者という立場をやめれば自然と加害者の役割も終わります。

被害者と加害者はセットで1つですから、どちらかが消えれば片方も消えるのはごく当たり前のことですよね。

そして大概最初に消えるのは被害者の方です。

なぜなら被害者が自分のために作り出しているのが加害者だからです。

被害者をやめるといってもどうすればいいの?

それは簡単で、被害者であることで得をしていたことを捨てること、捨てる覚悟を持つことです。

端的に言えば、被害者という立場を無くしてしまって、大丈夫なんだと知ると言うことでもあります。

被害者でいて得なんてあるの?

そう疑問を抱くのはわかりますが、ちゃんとあるんです。

あるんですが多くの場合はそれに気がつきたくない心理が強いのでなかなかわからないんです。

モラハラされることで、きっと同情されたり、周りが味方してくれたり優しくしてくれたんじゃないでしょうか?

僕の時なんかはまさにそうで、モラハラで辛いということを話すと周りは一生懸命に僕を励ましたり優しくしてくれました。

この時僕の潜在意識はこう思ったんです。

“かわいそうな被害者の自分でいれば、周りが優しくしてくれるぞ”

味をしめた僕の潜在意識はそうやってその被害者であり続けることを洗濯していったんです。

でもですね、そんなことしなくても周りの人は優しいし、気遣ってくれるし、最初から気にかけてくれていたんです。

被害者じゃなくても大丈夫だってことを知るってそういうことです。

かわいそうな私じゃないと得られないと思っていたたくさんの良いものを、かわいそうじゃない、モラハラされない私でも受け取っていいんだって思うこと。

それを自分に許すことで、被害者という役割を終えることができるんです。

あなたはもう、被害者じゃなくても全然大丈夫なんです。

モラハラのない世界で

被害者をやめると当然ですがモラハラはなくなります。

というかここまで話してきた仕組みに気がついた時点で、そもそもモラハラなんてものは最初からなかったってことも分かると思います。

ただの関係性で、大切なことに気がつくための出来事でしかなかったのです。

モラハラのない世界とはとういうことです。

定義や解釈が変わるから、そもそも存在しないってことになるんです。

この辺が今の段階だと難しいと思います。

いじめという言葉だとわかりやすいかもしれません。

いじめも結局、多くの場合コミュニケーションのすれ違いや勘違いから始まっています。

もちろんニュースになるような壮絶なものはまた別に考える必要がありますが、それですら最初はいじめではなくすれ違いや、相手をどう扱って良いのか戸惑った結果だったりします。

いじめにあう自分をやめていけば、そういうすれ違いも消えてしまうんですね。

被害者と加害者という関係性のために、お互いが演じ合っていたに過ぎないんです。

モラハラのない世界になると、そもそもそんなものがなかったということがきっとわかると思います。

まとめ

今まさに会社や家庭などの所属するコミュニティーの中でモラハラに合っている人にとっては今回の話はかなり受け止めがたいものだったかもしれません。

スピリチュアルな視点からとは言え、そういう人は自分自身が望んでいるからこそ存在しているなんて、認めがたいですよね。

ですがここでお話ししてきたカラクリはモラハラする人だけでなく、あなたの周りにいる人、その言動の全てを形作っているんです。

この事実を受け止めていくには時間がとてもかかると思います。

僕自身モラハラに近いことをされていた時はその理不尽さに憤りましたし、そんな理不尽を無意識に自分で引き寄せたなんて信じたくありませんでした。

でも自分の内面ととことん向き合っていって、自己否定の感情や自己無価値感などのモラハラを誘発していた根本的な原因となる思考を見つける事ができました。

モラハラに限らず、好ましくない人はきっとあなたになにか大切なことを知らせるためのある意味メッセンジャーなんです。

そのメッセージを受け取って受け入れた時、彼らの役割は自然と終わります。

モラハラする人もいつのまにかいなくなっているでしょう。

ABOUT ME
高橋久美
会社を8年でやめてフリーライター4年目。たまたまブログから見つけた佐藤想一郎さんのご縁で最高の仲間たちと出会い、WEB媒体の他、最近はブックライティング、雑誌の編集など忙しくも充実した毎日を送っている。読んだ人の心が明るくなって、人生まで良くなってしまうような文章を目指して修行中。→ 詳しいプロフィールはこちらから
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。

私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。

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よろしければ読んでみてくださいね。

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