何ができても、できなくても、自分は自分のままで存在価値がある。生きていて良いんだ。
そんな風に無条件に自分の存在を認められる「自己肯定感」の高い人は、自分のことも他人のことも大切にし、人生の困難を乗り越えていける人なのだそうです。
私は昔、自己肯定感が低すぎて「自分なんていない方がマシないらない人間なんだ」と本気で思っていて、自己肯定感の高い人が苦手でした。
謎の自信を持っていて、すごくいい人で、きっと愛されて真っ直ぐに育ったんだろうなと思う一方、「なんでお前なんかが」「傲慢だ」と嫉妬のような、腹立たしいような感情が渦巻いてしまうのです。
それは、私が妹に対して抱く感情に似ていました。
目次
自己肯定感の高い人「愛されている確信」の傲慢さ
母親から特別に気に入られ育った者は、一生征服者の感情を持ち、その感情がしばしば本当の成功を引き起こす原因になる。
愛されていると確信している人間は、どれほど大胆になれることか。
ジークムント・フロイト
私は二人姉妹の長女で、母親にとって「好きじゃない方の」子どもでした。
- 母は、私のことは小学1年生から「もう1年生なんだから」と一人部屋で放置だったのに、同じ年齢になった妹には「まだ1年生なんだから」と世話を焼き、中学まで母親と同じ部屋で寝ていました。
- 私と妹がケンカをすれば、妹が泣いてすぐに母親が飛んできて、問答無用で私がゲンコツを食らいました。(たとえ妹が悪かったとしても、上の兄弟が怒られるべきなんだそうです)
- 寝室に飾ってある写真は、私と妹が一緒に写っている写真か、妹ひとりの写真だけで、私ひとりの写真は1枚もありません。
- 家族で遊園地に遊びに行けば、父と私、母と妹のペアに別れるのがお決まりのパターンでした。
- 高校生になって私が「携帯電話を持ちたい」と言ったときは散々渋っていましたが、何も言わない妹には黙って買い与えられました。
- 「うちは貧乏だから」と言われて、私は頑張って自宅で勉強して学費の安い国立大に行ったのに、成績の悪い妹は塾に行き家庭教師を呼び、私大に6年も通いました。
しかし毒親だとか虐待みたいなことはなく、普通に愛情をかけて育ててもらいました。
ただ、母と私はひとりの人間同士として性格が合わなかった。
母親自身は末子だったので、きっと長子の寂しさを知らなかった。
小姑の嫁いびりがひどい上、妹がやや手のかかる子どもで、私をフォローする余裕までなかった。
そういうことが重なっただけなんだと思います。
私が母の立場だったとしても、小賢しいクソ生意気な長女より、おっとりして扱いやすい次女の方が好きになると思います。
しかし、「私は好きじゃない方の子どもなんだ」「どんなに頑張っても、できの悪い妹の方がかわいいんだ」という信念が、私の土台になってしまいました。
自己肯定感が低いと、人間関係が作れない
なぜ、一番に愛されるのは私ではなくて妹だったのか?
私は2つの仮説を立てました。
第一に、妹の方が顔がかわいいこと。
二人でいるとき親戚から「妹はお父さんお母さんの良いパーツだけもらったな」と妹だけ褒められたことがありました。
まあ、私は一重まぶたで、妹は奥二重とかそのレベルの差なんですけどね。
第二に、妹の方が出来が悪いこと。
身の回りのことも、勉強も、私は自分でできてしまったのが仇となってほったらかされたのではないか?
私も妹のように自分で何もできないお馬鹿さんでいた方が周囲から愛されるのではないか?
そこで、大学生になってからはアイプチを練習し、メイクや髪型、ファッションに磨きをかけ、見た目はだいぶ垢抜けました。
また、高校までの優等生キャラを捨て、頭悪そうなキャラを演じました。(昔のゆうこりんとか鈴木奈々さんみたいな感じ。)
愛されるギアス発動、モテ期が到来するが…
その作戦が功を奏したのか、18歳という若さのパワーだったのか、大学入りたての私はモテました。
サークルに入っても、学部の自主ゼミに入っても、バイト先でも、みんながチヤホヤしてくれます。
もうね、「愛されるギアス」を手に入れたCCぐらい調子こいてました。
でも、いざ男の子と付き合ってみると毎回うまく行きませんでした。
1人目の彼氏は最初から二股かけられていて1ヶ月も持たずに別れました。
2人目もちょっとモラハラ気味で、他の女の子とチャットしたりとか、遊びにいった写真とか平気で見せてくる人でした。
度重なる失恋により、「私は一番に愛されない」「私は選ばれない方なんだ」という信念がますます補強されてゆきます。
他にもアプローチしてくる人はいたのですが「なんで私なんかに?」と思うと気持ち悪くなってしまって、全力でフェードアウトしてました。
私のことを好きだと言う人がいても、それはバカっぽくて若くて自分のいいなりにできそうだからで、本当に大事にしたい一番に愛する人は私じゃ無くて他にいるにちがいない。
そんな風に、こじらせてしまったのです。
「ためし行為」で人間関係を崩壊させる
いちばん長く続いたのが、大学4年〜社会人1年目にかけて付き合っていた彼氏でした。
バイト先の社員の人で、なんでか分かりませんが猛アプローチを受けて交際を開始。
彼氏は全国転勤のある仕事で私は仙台の会社に就職したため、途中からは仙台と名古屋の遠距離恋愛になっていました。
向こうが年上だったのもあり、デート代は全部おごり。温泉旅館とかディズニーにも連れてってもらい、服とか電化製品とかもいっぱい買ってもらってました。
ですが、愛されてる確信は持てませんでした。
なんで私なのか? 本当に私のことを好きなのか?果たしてこの人は本当に私を愛してくれるのか、不安で不安で、ある日、私はついに彼氏に詰め寄りました。
「仕事を変えて私と仙台に永住するか、今すぐ別れるかどっちか選べ!」
だいぶ頭おかしいメンヘラ女なんですけど(笑)。
結果その日に別れました。
ちょっとショックな半面、心のどこかで「ほら、やっぱり」と安心する気持ちもありました。
そう。「私は愛されない」と信じているため、愛してくれるっぽい人が現れると違和感があり、愛されない自分を証明したくなってしまうのです。
だから、わざと相手に嫌われるような「ためし行為」をして、どこまで許容してもらえるかを試して関係を崩壊させ、「ほら、やっぱりあなたも私を見捨てるんじゃん」と証明して落ち着きたいのです。
誤解の無いように、普段からそんなボーダーみたいなことやってたワケではありません。
普段の仕事の人間関係とか、友達関係では平和主義で、当たり障りのない関わりです。
でも、彼氏とか親友、先生など、ちょっと深い関わりになるとダメなんですね。
自分がその人の「一番」になれないぐらいなら、完全に関係を切る!!
っていう謎の思考が働いてしまい、深い関係が作れないのです。
「面倒くさい人」をやめたい
そんな「面倒臭い人」をやめたくて、自己肯定感の回復に取り組んできました。
今はだいぶ落ち着いて、素直に信頼や愛情を受け取れるようになり、試し行為もほとんどなくなりました。
一番大きく変わったのは、相変わらず自信はないんですけど、人を信頼するようになったことです。
以前は、
「こんなダメな私を好きな人はおかしい!」
って全否定だったんですけど、人を信頼するようになったら、
「こんな私でも関わってくれる人が現にいる。私自身を否定することは、私を信頼してくれる人達を否定することになる。だから、ダメなところもあるけれどそのままの自分を認めよう」
という逆向きの発想になったんですね。
私が変われた方法を、以下で詳しく解説します!
自己肯定感を上げる!大人が自分でできるセラピー
自己肯定感が低いまま大人になってしまったら、自分で直すしかありません。
なぜなら、周りの人がどんなに褒めてくれても、どんなに愛情を注いでくれても、「そんなわけない!自分なんかが受け取れるはずがない!」って受け取り拒否をしてしまうからです。
では、どうしたら大人が自己肯定感を上げられるのか?
色んな方法を試してきた私が、最も効果を実感した3つの方法をご紹介します。
1.いろんな愛の形を受け取る
私は、「自分は母親から愛されなかった」と思ってたんですけど、冷静に考えれば100%まったく愛されてなかったワケではないんですよね。
たとえば、0歳から3歳くらいまでのアルバムの写真は妹より私の方が多かったり、七五三なんかも私のときは張り切ったけど、2人目の妹は省略してたり。
小学校に上がるときは、上履きからピアニカからおはじきの1枚1枚まで、マッキーペンで名前を書いてくれ、中学高校は毎日お弁当を作ってくれました。
大人になってからも、お米やら好物のお菓子やら何かにつけて送ってよこし、一時期着付けにハマったと言ったら母が若い頃に買い集めた着物をタンスにいっぱい持ってきてくれました。
パートの仕事も家事も全部しながら、そんな面倒臭いことをするなんて心から嫌いな子どもにはできないよな、と思います。
母なりに、めいいっぱい愛情をかけてくれたのでしょう。
元彼たちも、ちょっと優柔不断だったり、カッコつけてたりはしたけれど、私を喜ばせよう、私に良いところを見せようと、彼らなりに愛情を示してくれていたのかもしれません。
母にも、元彼にも、もっとこうして欲しかった・ああして欲しかった、っていう不満がいっぱいあって、「してくれたこと」への感謝はすっかり忘れてました。
たとえば、あるとき母がそぼろ弁当を作ってくれたのですが、いつもの2段のお弁当箱じゃなくタッパーに詰めて、家で使うようなカレースプーンを添えてきたことがありました。
友達や先生にいじられて恥ずかしくて「なんで普通の弁当にしてくれないんだ!」と、すごく腹が立ったんですけど、母親からしたら朝から張り切っていつもと違うお弁当で私に喜んで欲しかったのかもしれません。
愛情表現の方法は、自分が期待しているやり方じゃないときがあります。
でも、愛情がないわけじゃなくて、その人なりに表現しようとしているだけなのです。
遠距離だった元彼はカラオケに行くと松山千春ばっかり歌って「もっと最近の私が分かる曲歌えよ」と思ってたけど、たぶん彼の年代的に一番カッコつけようとしてたのかもしれません。
だから今は、誰かに何かしてもらったとき、できるだけ良い意味に受け取るように意識しています。
思ってたのと違うけど、それもひとつの愛の形なんだと思って。
もちろん、勘違いな可能性もあります。相手は本気で嫌がらせしようと思ってやってるかもしれない。
でも、相手が優しい気持ちでしてくれたことを疑って、受け取り拒否して、その人を傷つけるよりは、勘違いして笑われるぐらいどうってことないんじゃないでしょうか。
2.人の欠点を許す
自己肯定感を高めるのには、自分で自分を褒めるようなワークよりも、他の人の許せないところを許して、ダメなところを認めてあげる方が効果がありました。
人の欠点を許せないと、自分のことも許せなくなるからです。
たとえば、待ち合わせに遅刻してくる人を許せない人は、自分が遅刻することにも罪悪感を持ってしまいます。
遅刻はしない方が良いですが、「遅刻は絶対にダメ」と思い詰めてしまうと一周回って自分のことも否定してしまいます。
ああしなきゃいけない・こうしなきゃいけない、これをするべき・しないべき、「許せないこと」が多いほど、自己肯定感も低くなる気がします。
私はずっと、妹の弱さが許せませんでした。
ちょっと神経の細いところがあり、うつ病で不登校になったり、高校も中退したり、せっかく入った学費の高い私大も休学したり。
6年かけてやっと卒業したと思ったら、就職は契約社員で手取り7万円の保育士。もちろんそれじゃあ生活できないので、実家にパラサイトです。
なんか、こう、「もっと頑張れよ」と思っていました。
私だってつらいことはあったけど、一生懸命乗り越えてきたのに、お前は何で「できないよー」で済ませられるんだ、と。
同時に、私自身の弱さも認められませんでした。
せっかくそこそこの大学を出たのに就活に失敗して零細企業にしか入れなかったことは、自分に対して腹立たしいことでした。
自分だって妹と同じじゃないか、と。
それが、ある出来事がきっかけで考えが変わりました。
祖母が脳梗塞になって自宅で倒れ、たまたま遅番で実家にいた妹がすぐに発見して救急車を呼んだため大事に至らなかったのです。
妹がいてくれて良かった、と私も含め家族みんなで感謝しました。
妹は何もできない弱いだけの人ではなかったし、ちゃんとみんなの支えになってくれてたんだなと思いました。
弱いところもあるけど、そうじゃないところもある。
そして、弱さが役に立つこともある。(もしも、妹がゴリゴリのキャリアウーマンになってシンガポールかどっかで商談していたら、祖母はひっそり死んでいた)
私は、強いのが良い・弱いのが悪いとジャッジしていましたが、そうじゃなくて強い・弱いは「色の違い」のようなものなんだなと思うようになりました。
赤と青は違う色だけれど、特に善悪も優劣もありません。ただ違うだけ。
それに成長したら色が変わることもあります。現在は妹も実家を出て、自分で生計を立てているようです。
周りの人の欠点をどうにかしようと思わずに、そのまま許して、認めて、成長を見守る気持ちでいるようにすると、とても楽です。
そういう人なんだな、そういうタイミングなんだな。自分にも同じところがあるよなぐらいに受け止められると良いですね。
3.知らない誰かに感謝する
自分なんか誰にも必要とされてない、どうでもいい人間だと思うときには、逆に他人に目を向けてみましょう。
たとえば、コンビニでパンを買って食べられるのは、パン工場のパートの人や、パンを運んだトラックの運転手や、コンビニのレジの人が働いてくれたおかげです。
みんなが「自分なんて・・・」っていじけて仕事をサボってたら、そのパンは食べられなかったかもしれません。
引きこもって誰にも会わずに生活していても、電気やガスや水道やネットが使えて、安全が守られているのは、どこかの誰かのおかげですね。
働けるのに働かないで、生活保護をもらってパチンコ通いっていうどうしようもない人も、「こんな人間でもしぶとく生きてるんだなあ」って誰かに勇気を与えているかもしれません。
普通に生活しているだけでも数え切れない人に助けられています。
ご飯を食べるとき、お風呂に入るとき、仕事に出かけるとき、気づいたときにはいつでも、会ったこともないどこかの誰かに感謝しましょう。
感謝すればするほど、自分も知らない誰かの役に立っているかもしれない、と思えて自己肯定感がアップします。
少なくとも、あなたがこの記事をクリックしたことにより、明日にはブログの訪問数にカウントされ、私は心から喜び感謝するでしょう。
自己肯定感を上げる方法|まとめ
自己肯定感とは、自分は無条件に愛される、生きている価値のある人間だと「自分で」思える傲慢さです。
自己肯定感は3歳までに親の愛情を受けて育まれると言われますが、大人になってからでも自分の意識が変われば回復できます。
自己肯定感を上げるには…
- 思ったのと違う形の愛も受け取りましょう。あなたは確実に愛されています。(誰にも愛されなかった赤ちゃんは生き残れない)
- 人の欠点を許して、認めてあげましょう。はね返って自分を許せることになります。
- 知らない誰かに感謝しましょう。どこかの誰かがあなたを助けてくれているように、あなたもどこかの誰かの助けになっています。
毒親育ちの人は自己肯定感が異様に低く、嫌いな親にそっくりなパートナーばかり選んでしまうなど、人間関係で失敗しやすいようです。
毒親から逃げて、克服したノンフィクション・エッセイコミックなどを以下の記事でまとめています。合わせてどうぞ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。
私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。
・「ワクワク」のダークサイド(暗黒面)とは
・9割の人が見落とす〝引き寄せられない〟根本原因
・想像すら超えた未来を引き寄せる、運命を変える秘訣
といったことにも触れています。
よろしければ読んでみてくださいね。
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