バイロンケイティは、自身がひどい鬱状態を乗り越えた経験をもとに、ストレスや苦しみから解放されるための自己探求の方法「ワーク」を生み出した女性です。
ケイティの言葉には、あるがままの自分に気づくヒントがいっぱい。
私もネガティブになってしまうことがありますが、ケイティの言葉で解釈が変わり、気持ちがとても穏やかになりました。
「がんばってるのにうまくいかない」
「相手の言葉や行動にイライラする」
という心配事や人に対する嫌な感情は出てきてしまうもの。
ですが、すべては自分のために起こっている!と知ると、感情は自分で選んでいることがわかり、ストレスからも抜け出せます。
そこで今回は、バイロンケイティの「タオを生きる」から、心に響く名言をいくつか紹介します。
自分が大丈夫であれば、すべては大丈夫
書籍の中でバイロンケイティが繰り返し伝えているのは、あるがままで完璧だという言葉。
自分が世界そのものであり、考えが変わることで痛みもなくなるという教えです。
「あなた」というものはなく、実際にはあなたは私である。面倒をみる必要があるのは、二人でも三人でも、10億人でもなく、たったひとり。 (「タオを生きる」より)
相手にイライラしたり、悲しくなったりして悩むときも、問題は「相手」ではなく「私」なんですね。
例えば先日、急いでいる時に前を走る車がめちゃくちゃゆっくりだったとき「もー!今の信号いけたでしょ!?」と言ってしまった時がありました。
でも実際、急いだところで到着する時間は数分しか変わらない。
そもそも、余裕をもって出発すればいいだけの話だし、それができなかった自分にイライラしていたんです。
出した感情が自分に返ってきているだけで、自分の感情は100%自分に責任がある。
自分で勝手に苦しみも楽しみも作り出している、というのは本当にその通りだなと思います。
感情に流されず、コントロールできるようになろうと意識しても難しいけれど、ケイティの「自分が大丈夫なら、すべては大丈夫」という言葉はとてもあたたかくてスッと心に入ってきました。
自分が世界そのものなのだから、いつも自分から明るく優しくありたいですね。
私たちは今まで、世界をコントロールできたことがない
太陽は毎朝昇るし、寝てる間も呼吸をしてるし、何を考えなくても血は全身を巡っています。
そんなことはコントロールしようと思わないのに、周りの人に対してはついコントロールしようとしちゃいませんか?
特に身近な相手には「こうすべき」「こうしたほうがいい」と思い込み、その思い通りにならないと苦しんでしまいがち。
ケイティは別の言葉で
”人を道徳的にすることはできない。
ベストな方法、そして唯一、効果的な方法は、
手本となることであり、自分の意思を押し付けないこと”
とも伝えています。
書籍には、かつてケイティが
- 子どもたちは自分で靴下を拾うべき
- 靴下は床に散らばっているべきではない
- 今の状態であるべきじゃない!
と苦しんでいたエピソードが書かれていました。
わが家もまさに同じ状態だったので、母親としてとっても共感!
「こうあるべき(なのに、そうなってない)」に執着すると、すごく苦しいですよね。
相手は変えられない。
コントロールできるのは自分の思考だけ。
とわかっていても、つい忘れてしまいがちでしたが、相手に「こうなってほしい」と願うのは、太陽に「明日は昇らないでほしい」と願うのと同じくらい無意味だと言われたら、なんだか肩の力が抜けちゃいます。
自分の考えに縛られて自分や相手を責めるより「家族が心地よく過ごせますように」と、あたたかい気持ちで行動する方がずっと大切。
相手に「こうしたほうがいい」「わかってほしい」はいらないし、相手の幸せを祈れる自分を大切に、笑顔でいられる毎日を過ごしていきたいですね。
すべてはあなたのために起こる
ケイティは、実際に起こることが、起こり得る最良のことだと言います。
何か失敗をして「〇〇すればよかった」とか「〇〇しなければよかった」と後悔しているとき、空気は重たくじめじめしてるし、その間ずっとストレスを感じ続けることになります。
けれど、すべては遅すぎることも早すぎることもなく、ちょうどぴったりのタイミングで起こっています。
あるがままの現実すべては正常で、結局すべてのことが自分にとってギフトなんだと考えたら、なんだか穏やかな気持ちになりました。
現実に抵抗すると、心が痛みます。なぜなら、現実に抵抗する中で、あなたはまさに自分自身に抵抗しているからです。「タオを生きる」より
障がいもあっていい。欠点も持っていていい。
もし欠点があってはいけないとしたら、みんな同じ状態でないといけないことになってしまいます。
つまり、あるがままの自分でいいと認めることは、みんなが自由になれるということですね。
あるがままといっても、怠けてもいいとかネガティブのままでいいのではなく、まずは自分を見つめて本当の気持ちを探求して、できることに前向きに取り組んでいきたいです。
すべてはあなたに”対して”ではなく、
あなたの”ために”起こる。
私も失敗ばかりしていますが、すべて自分のために起こるとしたら、今まで「失敗した!」と落ち込んでいたことも喜んで受け入れられそうです。
そういえば最近、食材宅配で野菜セットを間違えて2つも注文してしまいました。
さらに実家からも送られてきたので、野菜室がカブやらレタスでいっぱいに・・。
でも自分の失敗を責めず、野菜嫌いな子どもたちにも工夫しておかずを作ってみることにしたんです。
結果、思春期の長男はレタスのサラダをもりもり食べ、野菜嫌いな次男は胡麻和えでホウレンソウを克服し、末娘はカブのポタージュを美味しそうにおかわりしてくれました。
野菜多めな食事のおかげか私も体調がよく、失敗してラッキーだったかもしれません。
ただ、すべては自分のために起こる、とは言え、もしわが子が突然亡くなったとしたら、そんな風に思えないだろうな、とも考えてしまいました。
でも、ケイティはもし娘が亡くなったとしても、「失うことは得ることだ」と捉えるそうです。
彼女は私の心の中に生きているので、私の世界の中の優しさが減ることはありません。私が彼女を大事にしていたスペースに他の何かが入ってくるからです。(「タオを生きる」より)
もし私が家族を突然亡くしたら、なんて考えると悲しみで一歩も動けなくなりそうです。
でも、明日のことは誰にもわからないし、今目の前のすべてが自分に与えられている贈り物だと捉えて、全力で味わいたいなと思います。
たえず自らを差し出し、自らを世界に注ぐ
ケイティは「タオを生きる」の最終章で、寛大であることは、私たちの本質だと伝えています。
これを読んで、人は本質的に「誰かのために何かをしたい」とか「自分も相手も許す」という大きな心を持っているんだなと思いました。
そもそも、今生きているのはすべて自分以外のだれかのおかげ。
そんな風に大きな視点で考えると、自分のことで悩むなんてすごくちっぽけなように思えます。
でも、だからこそ「誰かのために役に立ちたい」と考えるのが人として自然なんだなと感じました。
条件なしに周りや相手のために行動すること、笑って許すことが人の本質って、あったかくて誇らしいですね。
書籍の中には、
大きすぎる務めも、小さすぎる務めもない。
果たすべき唯一の務めは、目の前のこと。
とも書かれています。
ついつい、「あの人の方がすごい」「みんなから褒められて、認められていいな」とか思ってしまいがちですが、人の役割に大小はなく、目の前のことが自分のすべきこと。
自分に執着せず、大きく優しい世界の一部として、「誰かのために何かをしたい」と考えられる自分でありたいですね。
バイロンケイティの名言まとめ
今回は、バイロンケイティの書籍「タオを生きる」の中から、私が心に残った名言をいくつかご紹介しました。
- 自分が大丈夫であれば、すべては大丈夫
- 私たちは今まで、世界をコントロールできたことがない
- すべてはあなたに対してではなく、あなたのために起こる。
- 実際に起こることが、起こり得る最良のこと
- たえず自らを差し出し、自らを世界に注ぐ。
- 寛大であることは、私たちの本質
自分を受け入れ、起きていることの解釈を変えることで、悩みが悩みでなくなったり、人が本来持っているあたたかみを思い出すことができます。
すべてはベストなタイミングで自分のために起こると捉えれば、たとえ今すぐにはそう思えなくても、感謝につながっていくのではないでしょうか。
自己中心的な思考にとらわれず、他の誰かの幸せを願うことが本質。
今目の前にある自分の役割を果たして、周りの人たちと喜びを分かち合っていきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。
私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。
・「ワクワク」のダークサイド(暗黒面)とは
・9割の人が見落とす〝引き寄せられない〟根本原因
・想像すら超えた未来を引き寄せる、運命を変える秘訣
といったことにも触れています。
よろしければ読んでみてくださいね。
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