他人を愛する前に自分を愛しましょう、ということは割とよく言われていると思います。自分のことを愛せないと、人のことを愛せませんよ、と。
でも、私の場合は逆をやったらうまくいきました。
他人を愛せたら、自分のことも愛せるようになったんです。
しかも、「自分にだって、こんないいところも、こんなかわいげのあるところもある、だから、好き」というように言い聞かせるような、技術的な愛し方ではありません。
「ああ、自分はこれでいいんだな」と心から思えるような、胸が熱くなって背筋がしびれるような本当に愛おしい感覚というのを味わうことができました。
その瞬間、自分が過去にやらかしてきた失敗も、ブスだデブだというようなコンプレックスも、今の悩み事や将来の不安も何もかも吹き飛んで、ただ大きな何かに許されているような温かい気持ち になりました。
たぶん、それが「愛」なんじゃないかな、と今のところ理解しています。
私だけが変なのかもわかりませんが、ご参考までに私が「自分を愛する方法」にたどり着いた経緯とその感覚についてシェアさせていただきたいと思います。
自分を愛したいのに愛せない理由

いつの頃からかわかりませんが、私は自分のことが嫌いでした。何か深刻な精神的疾患というわけではなく、思春期のよくあるコンプレックスを引きずっていたんです。
ブスでデブで運動ができないとなれば、安定的にスクールカーストの最下層にとどまることになります。大々的にいじめられた経験はなかったと思いますが(ADHD気味なので自分が気づいてないだけという可能性はあります。)体育の時間にクスクス笑われたり、罰ゲームで告白されたりというような屈辱は一通り味わっています。
勉強は頑張っていましたが、「自分は美女じゃないから、将来結婚で玉の輿とか絶対にありえないから、自分で食い扶持を稼いで生きていかねば!」という思いからでした。
しかし、「自分のことが嫌いな自分」も嫌いでした。性格が悪くて面倒臭い人間だなあ、と。ブスでも性格が良ければまだ許されますが、すれ違うたびに罪のない美人に呪いをかけるようなコンプレックスまみれのブスは地獄に落ちるべきだと思うのです。
大学生になってからは、「勉強ができる」という私の唯一のアイデンティティもあまり意味のないものになりました。私が勉強できたのはゴリゴリ暗記する受験勉強に限定されていて、大学の一般教養ぐらいならまだ暗記芸で通用しましたが、研究となると何もできませんでした。
大学生でちょこちょこやってみたアルバイトも、卒業して就職した先でも、仕事は壊滅的にできませんでした。 基本的にトロくて口が悪くてそそっかしいという。普通の会社とかで働くことにおいては、あまり良いところがなかったと思います。
そんなわけで、私は自分のことがあまり好きじゃありませんでした。そして、そのことに向き合うこともしんどいので、あまり気にしていないことにして、ほったらかしていました。
自分を愛するのに必要なのは理由でも技術でもない

「自分を愛する」ということについて本気で考えるようになったのは、ある友人と話していたときのことでした。
どういう流れだったか、自分に自信が持てない、自分のことを好きになれないと私が愚痴ると、友人は
「私は自分を一番愛しています」
1ミリの照れもなく当たり前のようにサラッと、そう言ったのです。
(ここで、「自分」と「愛」の定義そのものが違っているのですが、これについて書くととんでもない長さになってしまうので何か別のところで書きます。)
最初は、ずいぶん自信があるんだなあ…、と思いました。
しかし、よくよく話を聞いてみると、友人の言う「愛」は全人類に向けられていて、家族に対する愛も、そこら辺を歩いている知らない人への愛も、全く差がなくて同じなんだそうです。
そんなマザーテレサみたいなことを普通に言ってる人がいる、というのがとにかく衝撃でした。本当にそんなことできるのかな?と思いつつ、とりあえず「愛」は普遍的なもので、特に理由はいらないらしいということだけ頭に入れておきました。
他人を愛すると自分を愛する方法も分かる

私は自分のことを愛せないのに「愛されたい」という承認欲求がすごく強くある「愛されたい病」でした。
家族の中でも、比較的見た目がかわいらしく弱弱しい感じのある妹の方が注目を集めるのに対抗して、無意識に人の気を引こうとするのが癖になっていました。いわゆる「かまってちゃん」です。
でも、いくら頑張ってもそれでは幸せを感じることができませんでした。なぜなら、私の中には次の2つの前提が根強くあったからです。
- 愛されることが幸せである
- 美しいものは愛される
そして、自分は美しくない。 自分がそう思っているので、たまに審美眼がズレている人と付き合っても「愛されている」という実感はなかったんです。
友人からは
「愛されるよりも、愛していくことだと思います」
というアドバイスがありましたが、愛する、ってどうするんだろう? となんだかよくわからないまま、1年以上放置することになります。
「愛する」は急に来る主観的な体験です

そして、1年たった昨年2016年の12月の年末近いある日のこと。たまたま直前にすごくいいことがあって、私はご機嫌でした。 スキップする勢いで、「みんな幸せにな~れ!」という気分でした。
冬休み中で、帰省してきたらしい家族連れや、遊びに出かけてきた中高生が街中にはうようよしていました。いつもだったら、子どもなんか「うるさいなあ」とか「広がって歩いて邪魔臭いなあ」ぐらいにしか思わないんです。
でも、その日は違いました。
急に街で見かける子どもが全員かわいく、愛おしく見えてきたんです。親戚でも何でもないよその子どもです。
別に顔がかわいいとか、お利口にしてるから、ではありません。ベビーカーの上でムスっとしていたり、ばかみたいに走り回って「危ないなあ」と思ったりするぐらいです。
でも、かわいい。小さくて、動いてて、それだけでかわいい。
背筋にゾクゾクッと何か衝撃が走り、胸のあたりに熱いものがこみ上げてきて、泣きそうな感じになりました。
小さい子どももかわいいし、図体ばかり大きい生意気そうな高校生も、小汚いおじいちゃんとかも「元は子どもだったんだなあ」と思うとかわいい。みんなかわいい。
そして次の瞬間、「ああ、こんな自分も愛されていいんだなあ」というのがわかりました。
強がりでも屁理屈でもなくて、ブスとか関係なく愛されるんだと。だって、ほかの人も誰でも何でも愛おしいんだから。
合ってるかどうか分かりませんが、そういう気持ちがきっと「無条件の愛」なんだろうなあ と理解しました。
自分を愛する方法、条件を外していこう

「方法」というとすごくテクニック的な感じがして、すでに何かズレているという気がします。
しいて「自分を愛する方法」ということでお伝えするならば、「こうじゃなきゃダメだ」「こうじゃなきゃ愛されるべきではない」という自分の中の前提となっている条件を一つひとつ外していくことではないでしょうか。
私の場合は「ブス」というのがカギになっていましたが、人によっては病気だとか、過去にやってきたこととか、性格とか、一般常識とか、何か別の条件を持っているかもしれません。
でも無理に「これを許さなきゃ!」と思う必要はなくて、「自分はブスが許せないんだなあ」と気づくだけでも良いようです。
モヤモヤ考えながらしばらく放っておくと、何か化学反応が起こって急に愛が感じられる日が来る と思います。

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私たちは何人かで記事を書いていて、色々なメンバーが集まっています。
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