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自分に自信がないのを克服するには? 絶対的な自信を得る方法

自分に自信がないのを克服するには
この記事を書いた人

高橋久美(たかはしくみ)

月間20万ページビューの人気サイトGLOBOのライター&編集長、複数のメディア運営に関わっている。

過去にスピリチュアルに依存して多額の借金を作った経験から、依存せずに自分で考え体感して実生活を良くするスピリチュアルとの付き合い方を提案。

プロフィール詳細

こんにちは、GLOBOライターの高橋久美です。

今回は、自分に自信がないのを克服する方法をテーマに、私が「絶対的な自信」を身につけた体験談をご紹介したいなと思います。

自信と言っても、「他の人と比べて優れているから」が理由の「相対的な自信」は、自分よりももっとすごい人に出会った時にペシャンと潰れてしまいます。

そうではなくて、「何があっても、自分は大丈夫。どんな困難も乗り越えて行ける!」と根拠なく自分の未来を信じられるのが真の自信です。

では、どうすれば自分に自信が持てるのでしょうか?

私は「よーし、自信、持つぞー!!」と思っていた訳ではなかったのですが、必要に迫られて嫌々ながら経験したことが、結果的に自信になっていました。

自分に自信がないのを克服するには

偽物の自信

私も最初は、「人と比べて出来ること」から偽物の自信を付けていました。

ご覧の通り、私は美人なタイプじゃないし、運動もできなくて、性格もひねくれてい流のですが、「勉強」だけは頑張ってきました。

私の親は割と教育熱心な人たちでした。

私が生まれる前から絵本や子供百科事典を買い揃え、壁一面の本棚にいっぱい本が並べてあって、ちょっとした児童館みたいになっていました。

公立学校の教員をしていた父親は、あんまり口うるさく勉強しろとは言いませんでしたが、私が百科事典で「ねったいうりん」なんて言葉を覚えると「うちの子はこんなの知ってるぞ!」と自分のクラスの生徒に自慢するような親バカ。

母親と祖母は「適当に褒める」スタイルで、小学校のテストで100点だろうと70点だろうと「天才だ」「すごすぎて、おばあちゃんには何だか分かりません」などといい加減に褒めてくれました。

それで調子に乗った私は、「自分は頭がいい」と勘違いしてしまいます。

実際はIQは並だったんですが、勉強に得意意識を持っていたらなぜか本当に成績が良くなってしまったんですね。

中学の成績はほぼ学年トップクラス。高校は1番の成績で合格し、入学式では全校生徒の前で「誓いの言葉」を読み、周りの友達が部活だ恋愛だと高校生活をエンジョイしている中、せっせと勉強していました。

部活を引退してからは、ガリ勉に拍車がかかります。

大学受験での絶対的な自信

大学受験について、親からは次の条件を付けられました。

「うちは貧乏だから、下宿するなら国公立限定。ただし、医学部はお金がかかるから、医者になりたければ防衛大学校限定。予備校に行かせるお金がないから、落ちたら自宅浪人すること」

私には、何でもいいからとにかく大学に受かって田舎から出たい理由がありました。

その理由とは、「ビジュアル系ロックバンドの追っかけ」です!!

知らない人は知らないままで構いませんが、私はPlastic Treeというバンドの大ファンで、Plastic Treeの全国ツアーを全部一緒に回るのが夢でした。

実家があるのは、かつて「陸の孤島」と呼ばれた山形県の海側の、非常にアクセスの悪い場所だったので、ライブを観に行こうと思ったら泊まりがけです。

当然ですが、原宿とかに売ってるような可愛いお洋服も売っていません。

あるのはジャスコと、隣町のちょっと大きいジャスコだけです!

しかし、東京は何となく人がいっぱいで電車とかいっぱい走ってて怖そう、大阪は遠くて良く分からん、というイメージがあったため、たまにライブを観に出かけて馴染みのあった仙台か新潟の国立を狙うことにしました。

というわけで、私は国公立大を目指して5教科7科目の勉強に明け暮れることとなります。

自転車で学校に行く時も英単語のCDを聞き、受験に要らない教科の授業中も「内職」をし、趣味のビジュアル系までお休みして、朝から晩まで勉強づけです。

田舎には予備校もないので、ひたすら家で参考書と過去問をやってたんですが、英語だけは近所(と言っても車で15分)の英会話教室でポーランド人の先生から習うことができました。

このポーランド人のボジェンナさんと言う人がすごくて、元は「大使館でハンコを押す仕事」をしていたそうなのですが、母国語のポーランド語の他に、英語はネイティブレベルに話せて、日本語もペラペラ、なぜかドイツ語・フランス語もできちゃうんです。

その教室の受験英語コースで、一番力を入れたのが「速読」でした。

速読の問題集をもらって、日本語に訳さずにそのままバーっと読んで問題を解いたり、知らない単語を類推したりするっていう訓練をめっちゃさせられました。

速読用じゃない問題集を解くときも、語数を数える方法を教わって分速何語で読めたか、と言うのを記録させられます。

それで確か、1分間に150語とか、簡単な内容なら180語以上は読めるようになりました。

速読のおかげで、センター試験の問題ぐらいなら制限時間の半分で解けるようになり、かなり余裕ができました。

後は、初出のネイティブスピードに近い会話文を耳で聞いて文字を書き起こすとか、その場で覚えて会話するとかもやりました。

今思うと、「受験英語にそこまで要らないだろ!」ってぐらいスパルタな教室でしたね。

ですが、なんか面白くなっちゃって、食らいついてやってたら、夏に力試しに受けた英検の準一級に受かっちゃったんです。

学校の先生も準一級は持ってないと言ってびっくりしてたので、随分と自信になりました。

教科書レベルの文法と単語・イディオムは完璧。後は「初見のアクセント問題」みたいなのさえ出なければ大丈夫です。

そこからは、ひたすら過去問とか模試を解きまくって、知らない単語やイディオムを探して「穴を埋めて行く」作業になりました。

英語の成績が伸びたら、なぜか他の教科もできるようになってきて、センター模試ではA判定、志望校のオープン模試でも2番に入り、手応えを感じました。

「これは行ける!」と思った私は志望校の国立にのみ出願し、滑り止めの私大は一切対策をせず、出願すらしていませんでした。

「こんなにやったんだから、私が落ちるなら誰も受かるはずがない!」

そんな揺るぎない自信を手に入れたのです。

フタを開けてみたら、センター本番は7割〜8割取れていて、英語に関しては200点満点。前期での合格でした。

親とか学校の先生は喜んでましたが、自分では「当然でしょ」と思っていて冷静だったのを覚えています。

崩れ去る自信

ところが、その自信は長くは続きません。

大学に入ってみたら、周りはアホみたいに頭のいい人ばかりだったのです。

英語は話せて当たり前。英検1級を持ってる人や、TOEICが900点台とか、帰国子女、留学経験者もゴロゴロいます。

英語でディベートやプレゼンをする授業もあり、ついて行くのがやっとでした。

それまで、私は「英語ができる方」だと思っていたのですが、その自信はあっけなく崩れてしまいました。

私は、英語が全然できない。

いや、英語だけできてもダメで、英語は当たり前に話せて、英語「で」何かができないといけない。

井の中の蛙は、大海に放り出されて、自分の小ささを知ったのです。

「勉強ができる」「英語ができる」と調子こいていた私にとって、それは絶望でした。

ジャスコしか知らないで自分がオシャレだと思ってた人が、ラフォーレ原宿にぶち込まれたぐらいの絶望です。

そこで、「なにくそー!!」と頑張れれば違ったかもしれませんが、私はすでに勉強のモチベーションを失っていました。

もう、いいんです。勉強なんかできなくったって。

だって私にはPlastic Treeがいるんだから!

仙台市内のアパートに下宿して、仙台のライブハウスやホールのコンサート、握手会などのイベントには行き放題、東京や高崎、名古屋らへんもぐっと近くなりました。

何と言う幸せか!!!

ライブハウスで偉いのは、勉強できる人じゃありません。

全通、つまり全国ツアーに全部参加して、振り付けもセットリストも全部知ってるよ〜みたいな人が偉いのです!(ってこともないんですけどね。)

勉強なんかよりも、いかにバイトをいっぱい入れてチケット代や遠征費用を稼ぐか、ということが重要になってしまったのです。

それから私は、楽に単位が取れる授業ばっかり取って、それでも落としたりしながら、超低空飛行で大学を卒業しました。

自信のなさが滲み出ていたせいか、就職活動もパッとせず落ちまくり、唯一内定をくれた仙台市内の学習塾に就職します。

(その頃には、趣味がビジュアル系からスピリチュアルに以降しているのですが、その話はまたの機会に。)

残っていた「本当の自信」

就職した学習塾では、私と同期の女の子の2人が初めての新卒採用でした。

先輩たちはみんな中途の即戦力な人たちばかりで、マニュアルも教育体制も整っておらず、「見て覚えろ」的な部分が多々ありました。

基本的に営業トークとか、授業のやり方とか、先輩のお手本を見せてもらって、それを真似してやるのですが、かなり早い段階で同期の子と私とで差が付いてしまいました。

同期の子は、明るくて、話も面白いし営業向きなのに対して、私は人見知りの緊張しいでアドリブも効きません。

なので、先輩のやり方を丸暗記してコピーする作戦を取ることにしました。

先輩が営業で話す内容を全部メモしておいて、話し方から何から全部、真似するんです。

明るい雰囲気とかは「演技」でカバーです!

それだけだとアドリブが効かないので、友達や彼氏にお客さん役をやってもらって、プライベートの時間で自主練も相当やりました。

そうしたら、先輩や上司からの評価は、いつの間にか私の方が高くなっていたのです。

その時は何となくそうしていたのですが「才能がなくても、苦手なことでも、本気で、フルコミットしてやったらそこそこはできるはずだ」という謎の自信があったのだと思います。

もし、本当に「無理」って思ってたら最初から諦めて練習なんかしなかったと思うので。

私の大学受験は、受かったのはいいけど大学で勉強せずに遊び倒してしまったので、無駄だったかもしれません。

英語の勉強も、頑張ったけど大したことないままで終わってしまいました。

もっと頭のいい人も、英語がペラペラな人も、ごまんといます。

でも、あの受験勉強の時に死ぬ気で勉強して、「自分の限界を超えてやりきった経験」だけは、絶対的な自信となって私の中に残っていたのです。

今は出来ない、出来そうにない、とても無理!と思うことでも、他のものを全部置いといて、寝食を忘れるほどに集中してやれば、超一流は無理でも、まあ「人並み」ぐらいには行けるでしょ。

という前提が頭の中に出来上がっていたのです。

今から体操選手になるとかは無理でも、多分、ちゃんと体を作ってコーチをつけてめちゃくちゃ練習したら、とんぼ返りぐらいはできるはずなんです。

その後、会社を辞めてライター業を始めてしまったのも「本気出せばできるはず!」という根拠のない自信のせいです。

「私に文章の才能なんかあるのかどうか分からないけれど、たとえ才能なんかなくったって、めちゃくちゃ修行したら人並みに稼げるぐらいにはなれるでしょ」

って、まだ1円も稼いでいない最初の頃から思ってました。

それは、勘違いだったのかもしれません。

でも勘違いの結果、今、こうしてWebライターの仕事をしています。

まだ人並みに書けている自信はないので、セミナーを受講したり、上手な人の文章を手書きで書き写したり、先生に読んでもらってダメ出しをしてもらったりして、修行をしている真っ最中です。

でも、本当の本気で続けていれば、いい線までは行けるような確信はあります。

この謎の自信を支えているものは、人と比べて出来る・出来ない、ではなく、「自分の限界を超えた経験」なのです。

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自分に自信がない人に提案したいこと

何でも良いから、本気で打ち込んでみよう!

だから、自信を持ちたい人に私が提案したいのは「何でも良いから、一つのことを、一生懸命、超本気でやってみること」です。

才能とかなくても、持ってるエネルギーを全部注いでそれだけやったら、何だって「そこそこ」までは行けるはずなんです。

人と比べてショボくても構いません。

自分が無理だと思っていたことが出来た、限界を超えられた、と言う経験が重要だからです。

司法試験に合格するでも、TOEIC950点を目指すでも、サスケに出るでも、フルマラソンを完走するでも、筋トレでも、ショパンの『別れの曲』が弾けるようになるでも、茶道のお点前をマスターするでも、毎日掃除をするでも、あなたが「今は無理」と思っていて、かつ「やってみたい」と興味を持てるものなら何でもOKです。

もちろん、仕事の中で何か目標を立てて、自分の限界を超えるような成果を上げるのも良いですね。

ただし、あれもこれも、いくつも同時にチャレンジするのではなくて、1個だけにしてください。

センター試験前の受験生のように、その1つの事以外は全て自粛して、持てる力を全て注ぎます。

映画『Shall we ダンス?』では、社交ダンスにハマった中年男性の主人公(役所広司)が、仕事中にデスクの下でもステップを踏んでいるシーンがありますが、まさにそのぐらい没頭しちゃうイメージです!

※予告編だと35秒あたり。

仕事とか生活とか、生きていくのに必要最低限の事以外は、時間も労力もお金も、全てをその1つの事につぎ込んでください。

そこまで本気でやれば、世界で一番になれる…かどうかは分かりませんが、少なくとも今までの自分を大きく超えることは出来るはずです。

そうして、全力でやりきって自分の限界を超えられた経験が潜在意識に刻まれ、「やったことないけど、多分、出来るでしょ」っていう根拠のない自信になってくれます。

そのモノ自体は、別に役に立たなくても、お金にならなくても良く、大事なのは「経験」なのです。

根性論

私は、大学受験で測られるのは「頭の良さ」ではなく、「どれだけ根性があるか」だと思っています。

スポーツやミスコンや芸術の世界は、生まれ持った体格や性別、容姿、コネなどで大部分が決まってしまいますが、大学受験は努力次第でいくらでも結果を出すことができます。

もちろん、たまにノー勉強で東大に合格するようなド天才もいますが、そういう人はすごく少数で、大部分の凡才は中学受験から遊びたいことも我慢して、彼氏・彼女も作らずに血反吐の出るような勉強を続けてやっと合格しているのです。

自分の力だけで合格できると言うつもりもありません。

私は親が2人とも健康でまともに働いていて、かつ進学にも協力的で、子供の頃から勉強に興味を持つような環境が作られていた、恵まれた環境にいたからこそ、普通の頭でも進学できたのだと思います。

しかし、どんなに環境に恵まれても、良い地頭を持っていても、受験には「やり抜く根性」が求められます。

たまに、部活が強豪で全国大会だインターハイだと引退が遅かったのに、勉強に切り替わった途端、一気に周りの成績を追い抜かす容量の良い人がいますよね。

ガリ勉だった私からすると「ずるいなあ」と思うんですけど、部活で活躍する人は部活で「根性」を養っているから、勉強でも根性を発揮できるので、上手くいくのは当たり前なんですね。

根性論ってよくバカにされますが、実は大事なことではないでしょうか?

根性とは、つまらない反復練習を地道にやれる継続力であり、失敗しても何回でも立ち上がって挑戦できる勇気であり、最後まで諦めずに食らいつく執念でもあります。

もちろん、やっても仕方のないことを繰り返しやるだけでは時間の無駄ですが、必要な努力をしっかり続けて、成功するまで諦めなければ、必ず良い結果が得られます。

そう、根拠のない自信の正体とは「自分、根性あるよね」って自分を信頼できることだったんですね。ズコー!!

自信が持てないことのメリット

ちょっと別の視点から考えると、「自分に自信がない」ことに潜在的なメリットを感じていて、実は克服したくない可能性もあります。

例えば、自信がないことによって、チャレンジしない言い訳を作ることができるかもしれません。

または、周りの人から嫉妬されずに済むとか、手をかけてもらえるとか、人間関係の上で美味しい思いをしているかもしれません。

自信を持ってしまって何もかも上手くいくことを、心のどこかで恐れているのかもしれません。

これを克服するには、「自信を持たないこと」のメリットとデメリットを、同じ数だけ書き出してみましょう。

すぐにそのメリットを捨てられなくても大丈夫です。

言葉にして顕在化し、気づくことさえできれば、だんだん手放せるようになります。

どうしても自分に自信がないなら・・・

それでも、なんでもかんでも一人でできるわけじゃありません。

ここまで言っといて何ですが、人間には向き・不向き・限界というものがあります!!!

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他力を信じる。

例えば私が、このブログに写真を使いたいな〜と思って、めちゃくちゃ写真とかカメラの勉強をしたら、まあ多分、そこそこ上手なアマチュアレベルまでは行けると思うんです。

でも、わざわざそれをやるか? となると別問題ですよね。

自分でやるよりも、人を頼って上手な人にお願いしてしまった方が余計なエネルギーをかけなくて済むし、ずっとクオリティの高いものが得られるはずです。

私には、出来ないことがいっぱいあります。

料理も本を見ないと出来ないし、ライティングはライティングでもメールマガジンは全然ダメだし、お化粧とか髪の毛のセットもへたっぴだし、確定申告なんかもさっぱらプーです!

でも、美味しいごはんを作ってくれる食堂でお世話になったり、面白いメールマガジンを書いてる人を紹介させてもらったり、いろんなプロの人たちに助けていただいて、どうにかお仕事させてもらって生きてます。

そういえば、漫画『ONE PIECE』の主人公のルフィも、こんなことを言ってました。

おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!!!
航海術も持ってねぇし!!!
料理も作れねェし!!
ウソもつけねェ!!

おれは助けてもらわねェと、
生きていけねェ自信がある!!!

引用:『ONE PIECE』10巻90話より

自分で出来ないことについて「素直に人を頼ることが出来る」のも、一つのスキルと言えます。

もちろん、「私は何にも出来ません!だから、みんな助けて!!」って本当に何にもしなかったら、「何で助けなきゃいけないの?」って思われて助けてもらえないでしょう。

ルフィは「海賊王になる」という大きな志を持って、自分でも一生懸命だから、周りの人も感化されて助けたくなるんですね。

だから、大事なのは「何ができるか」よりも「何を成し遂げたいか」なのです。

あなたが大きな目的を掲げて、熱い想いで行動していれば、それに共感する人が集まって勝手に助けてくれるようになるでしょう。

スキルがなくても、スキルを持っている人が協力してくれれば問題ありません。

お金がなくても、お金をいっぱい持ってて出資してくれる人が現れれば大丈夫です。

そういう人に出会えなくても、人脈を持ってる人にたった一人でも出会えたら、一気に解決してしまいます。

自分に自信がなくても、周りの人の力、「他力」を信じられれば、何ら問題はないのです。

神様/宇宙/天の采配を信じる

最後にもう一つ、自分以外に信じるべきものをご紹介しましょう。

それは、神様または、宇宙、天、大自然、ハイヤーセルフ、何でも良いけれど人智を超えた「大いなるもの」の采配です。

自分では自信が持てなくて「無理!」と思うことでも、それは神様が与えてくれた「乗り越えるべき試練」なのかもしれません。

実際に神様がいるとか、いないとかは置いといて、「仮にいたとして、それが神様の試練だったら」と考えてみてください。

それは、カッコつけずに泥臭い努力をするべし、と言うお告げかもしれません。

あるいは「負ける」経験をして変なプライドを捨てることや、人を頼ることを学ばせようとしているのかもしれません。

「神は乗り越えられない試練を与えない」という言葉がありますが、これは「絶対に成功できる」という意味ではありません。

ずっこけて恥ずかしい思いをするかもしれないし、全てを失って一文無しになるかもしれないし、死んじゃうかもしれません。

それらのネガティブな結果も全部含めて、精神的に成長して乗り越えられますよ、という意味です。

思い出してみてください。あなたも今までだって、散々な目にあって失敗しても、どうにか生きて来られたじゃありませんか。

神様は、あなたの人生が最後はハッピーエンドになるように、ちゃーんとシナリオを考えてくれています。

ハリウッド映画の主人公が冒険に出ていろんなピンチをくぐり抜けて成長していくように、一人の人の人生も、みんなそれぞれに波乱万丈ですが、最後はハッピーエンドになっているのです。

それも、本当かどうかは分かりませんよ。

でも「良い未来を信じる」ことで、今の現実をよくすることは可能です。

受験でも「受かるかな、どうかな」と不安でいると、「どうせ落ちるんだから」と思って勉強に身が入りません。

「絶対に合格する」と良い未来を信じていなければ、楽しいことも我慢してフルコミットで勉強なんかできないんです。

私は受験の時は天然でやってましたが、その感覚を掴めたのは「ブログ」がキッカケでした。

ブログって実は、ただ書いてれば良いというわけではなくて、インターネットの中で見つけてもらえるようになるまでには結構あれこれやらなきゃいけないことがあるんですよ。

そして、ある程度のアクセスが集まるのは100記事くらい書いて3ヶ月とか経った頃なのです。

つまり、まだアクセスがゼロで、誰に読んでもらえるか分からない状況でも、上手く行ってる未来を信じて、頑張ってクオリティの高い記事をひたすら書き続けなければなりません。

この数ヶ月間は結構しんどいので、気力が続かずに更新を止めてしまうブロガーさんも多いのです。

私も例に漏れず「全然、アクセスが増えません!無理です!もうだめぽ〜」ってなってました。

ところが、私のコーチでありメンター(師匠)の佐藤想一郎さんという人が、

「○月ぐらいには月間10万ページビュー行くはずなので、そしたらメールマガジンの紹介もしましょう」

などと、上手く行く前提で「当たり前でしょ」って顔で話を進めるので、私も「ふーん、そんなもんなのか」と思ってせっせと記事を書いてました。

その結果、1年ほどで月間20万ページビューを突破すると言う予想以上の成果が出たのですが、想一郎さんは後から、なんと、

「いやーGLOBOすごいですね。僕、ブログでこんなにアクセス集めたことないですよ」

と言うんです(笑)。

自分でも経験していないし、保証なんか何もないのに、「絶対に良い未来が待っている」と強く信じていることによって、周りを巻き込んで本当に上手く行ってしまった、という話でした。

自分に自信が持てるのなら「絶対にやってやる」でも良いし、自分に自信がないのなら「なんかいろんな偶然とか神様のさじ加減で、ちゃんと良い未来が待っている」と他力本願的になっても構いません。

何れにしても、良い未来を「決定し」、そこから逆算してモチベーションを保って適切な行動ができれば、大概のことは上手くいくのです。

なので、自分に対する自信のなさは克服できなくても大丈夫です。

今は自信がなくても、絶望的な状況でも、映画みたいな主人公補正がかかって最後はちゃんとハッピーエンドになるんだ!と、漠然と「大いなる力」を信じてください。

そうすれば、根性を出して頑張れるかもしれないし、誰か助けてくれる人が現れるかもしれません。

自分に自信がないのを克服する方法まとめ

自分に対する自信とは、人と比べて何かができることではなく、本気で頑張って自分の限界を超えられた経験から得られるものです。

克服するには、何でも良いから、何かを超本気でやり抜いて、自分の壁を打ち破ること!

どうにも頑張れないな、と言う場合は、もしかしたら「自信が持てない自分」からメリットを享受していて、「自信を持てること」を心のどこかで恐れているのかもしれません。

自分を信じられなくても、周りの人の力を借りて目的を果たすことは出来ます。

自分の力よりも、何だかんだ最後にはハッピーエンドが待っている、「大いなる力」の采配を信じましょう。

良い未来にコミットすれば、そこに向かうための適切な行動を取れるようになります。

ABOUT ME
高橋久美
会社を8年でやめてフリーライター4年目。たまたまブログから見つけた佐藤想一郎さんのご縁で最高の仲間たちと出会い、WEB媒体の他、最近はブックライティング、雑誌の編集など忙しくも充実した毎日を送っている。読んだ人の心が明るくなって、人生まで良くなってしまうような文章を目指して修行中。→ 詳しいプロフィールはこちらから
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