こんにちは、主婦ライターのゆっきです。
突然ですが、KYと言うのは何の略かご存知ですか?
K(空気が)Y(読めない)で、KYです。
この言葉が流行ったのは、私が思春期真っ只中の頃でした。
当時はKYだと思われたくなくて、相手の表情や発言にすごく敏感になっていたことを覚えています。
今でも、ついついKYにならないように、と周りの目を気にしてしまうことはあるのですが、先日、「空気を読む事よりも大事なことがある」ということに気づかせていただきました。
今回はその時のことをお話しさせていただこうと思います。
目次
場の空気に敏感になる
もともと、周りの視線や空気感に敏感なところがある私ですが、いつも以上に「場の空気を意識しよう」と思ったきっかけがありました。
それは、当サイトGLOBO管理人の、佐藤想一郎さんがしてくださったお話です。
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私が想一郎さんに出会ったのは、今からおよそ6年前のことです。
自分の人生に不満を抱いていた私は、人生を変えたくてあらゆるサイトや本を読み漁り、想一郎さんのもとへ辿り着きました。
「この人についていけば、きっと人生が変わるはず!」と、メルマガに登録したのがきっかけです。
歳も近いのに、雰囲気も、話の内容も、人生何回目ですか??と思うほど落ち着かれているのが印象的でした。
(想一郎さんとの出会いによって、私の人生がどのように変化していったのかは、こちらをご覧ください。)
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GLOBOライターの一人である、かっしーの最近の様子を見て感じられたことをシェアしてくださった時のことでした。
かっしーは、周りのみんなの役に立とう!と、頼まれた仕事などでいっぱいいっぱいになっていました。
当時のかっしーの様子について詳しくは、こちらの記事をお読みください。
そんな姿を見て、想一郎さんはこのようなお話をしてくださったのです。
今日は、人が放つ〝空気〟について、少し話そうか。
〝空気〟っていうのは、
雰囲気と言ってもいいし、
オーラと言ってもいい。
その人が放っている、
目では見えない何かのこと。
・・・で、実はこの〝空気〟が、
周りの人に思ったよりも強い影響を与えてるんだ。
たとえば、かっしーも周りから
「顔は笑ってても、
空気はしんどそうだったよ」
って心配されたことがあったよね。
あとは、日常会話でも
「最近、あの人、輝いてるね」
「あの人は暗いよね」
とか話すと思うんだけど、
実際に発光したり、
黒くなったりしてるわけじゃなくて(笑)
微妙な表情とか、声のトーンとか、
そういうのを総合して、
〝空気〟として、
なんとなく輝いてるように見える、
っていうことだよね。
言葉では嘘をつけるけど、
この〝空気〟っていうのは、嘘を付けない。
じゃあ、その〝空気〟は
何によって決まるのか??
それは、その人の感情や思考で決まる。
普段どんなことを思ってるのか、とか、
どんなことを考えてるのか、とか、
そういう、まだ言葉や行動になる「以前」の世界が
〝空気〟
となって表れるんだ。
だから、24時間365日、
明るく、軽く、あったかい気持ちでいたら、
自然と〝空気〟が変わってきて、
その結果、
行動や言葉も
自然と変わってくる。
だから、一人でいるときも、
油断はできないね。
この話を聞いて、「その場で特別に思いを込めたとしても、普段考えていることが空気としてうつるなんて!」と衝撃を受けました。
ならば、普段の過ごし方、考え方をもっと変えていかなければならないなと改めて思ったのです。
ところが、〝自分の空気〟よりも、〝相手の空気〟ばかりに意識が向くようになっていったのでした。
相手の空気を感じる修行
話を聞いた翌日、さっそく人の発する空気を感じる体験をしました。
それは、図書館へ絵本を返しに行った時のことです。
いつもなら「返却承りました〜」と冊数だけ確認され、すぐに処理が終わります。
ところが、その日はとても丁寧に本の中身をチェックされました。
そして、
「あの、こちらの絵本、貸出当初からこのページこんなふうになってましたか?」
と聞かれました。
見ると、絵本のページが少し破れてしまっているではありませんか!
我が子が見ていない間にかじってしまったようです。
「申し訳ございません!
私がちゃんと見ていなくて、その間にうちの子がかじってしまったんだと思います」
すぐに謝りました。
すると、
「職員に確認してまいりますので、少々お待ちください」
と、言われその場でしばらく待つことになりました。
「やってしまったなぁ、、
なんでちゃんと確認してなかったんだろう、、」
と自分を責める気持ちと、
「怒られるよなぁ、、嫌だなぁ、、。
ていうか、元から汚れてたり破れてたりしてることは今までもよくあったのに、なんで私だけ、、」
という、自分を守りたい気持ちで心の中がぐるぐるしていました。
しばらくすると、職員の方が来られました。
返却担当の方とは違い、厳しい表情をされています。
怒っているような、悲しいような、なんとも読み取れない真顔でじっと見つめられ、心臓がぎゅっと縮こまりました。
なんて言われるんだろう、まず謝らないと!と思ったところで、
「このような状態で貸し出すことはないと思うので、、」
と、それだけを言われました。
すかさず、
「申し訳ございません。
以後気をつけます。
あの、こちら、買い取らせていただいたらよろしいでしょうか」
と言うと、
「・・・(沈黙)。
いえ、大丈夫です」
と、また、含みのあるお返事が返ってきました。
一緒にいた息子が不思議そうにやりとりをながめています。
そして、それ以上は何もおっしゃらずに、息子に向かって
「またね、ばいばい」
とほほえみながら手を振って去って行かれたのでした。
職員の方の後ろ姿を見ながら、
「え、、。
こっちが100%悪いです。
けど、はっきり言ってほしかったなぁ。
何も言われない方が怖いんですけど」
と、思ってしまいました。
心が乱れ、呼吸が浅くなるのを感じた私は、ふぅ〜っと深呼吸を何度か繰り返し、気持ちを切り替えました。
すると、だんだん気持ちが落ち着いてきて、ある気づきが生まれました。
それは、もしかしたら、今回の出来事は
「空気を感じる修行」
だったのかもしれないということです。
職員さんははっきりと言葉を使ってお話をされませんでした。
けど、それ以上に
「みんなで使う大切な本をこんな風に扱わないでください。
とても悲しいです。
以後、注意してくださいね!!!」
というようなメッセージが伝わってきました。
本心のところはわかりませんが、言葉よりも強いものを感じたのは確かです。
先日、想一郎さんから空気についてお話を聞いたからこそ、こういう解釈にもっていけたのだと思いました。
そうでなければ、
「やってしまったな~、怒られちゃった~」
くらいで終わっていたかもしれません。
ただ、この時は、自分を守ることに必死で、相手の空気は感じられたものの、自分がその時どんな空気を発していたか、までは意識できていませんでした。
さらに、自分よりも相手の空気ばかりに敏感になる出来事は続きます。
場の空気に感応してしまった
それは、ある夜のことでした。
息子を寝かしつけたあと、リビングに行くとなぜかすごくイライラしている自分がいました。
「この空気、おかしいなぁ、どうしたんだろう」と感じました。
そういえばこのところ、夫は仕事の失敗を引きずっていて、ずっと不調でした。
そんな中でも、仕事は忙しく、余裕がない感じ。
夫から、焦りの空気、もやもやした空気、どんよりした空気を感じていました。
「あぁ、きっと私もそれに反応してイライラしてしまったのだろう」
そう思うことにしました。
イライラした気持ちが収まらない状態にもかかわらず、自分の問題ではなく、これは夫の空気のせいだから仕方ない、とそのイライラを放置。
そのせいで、夫と会話をした時に、話を最後まで聞かずにかちんときてしまいました。
このあと、なんとか気持ちを落ち着けてから眠りにつきました。
床につきながら、
- 空気は本当に伝わりやすいものだということ
- その場がいかに乱れた空気、嫌な空気であっても、いちいちそこに反応しすぎないことが大事
と頭の中で整理し、自分の中で一件落着させました。
が、これには後日談があります。
後日談|実は私の空気が始まり
翌朝のことでした。
夫に
「昨日はイライラしてたよね、ごめんね」
と謝罪の言葉を伝えました。
すると、それに対して夫はこう言ったのです。
「うん、なんか、寝かしつけから出てきた時、機嫌悪いな〜ってちょっと怖かった。
だからそれ以上怒らせないようにしなきゃなぁって気を遣ってたんだよね」
え!!
そうだったの!!?!?
私の中では昨夜のイライラは夫が原因だと思い込んでいたので、びっくりです。
でも、言われてみれば、夫が仕事から帰ってきた時には私はちっともイライラしていませんでした。
夫が仕事で悩んでいて、不調ぎみなのは確かですが、だからといって、悪い空気を家に持ち帰ってきてはいませんでした。
なのに、寝かしつけのあと私がイライラしてしまったのはなぜか。
それは、寝かしつけをしながら寝落ちをしてしまったため、目覚めがあんまり良くなかったからでした。
その状態で、リビングに戻った時、たまたま夫の姿が見えたから、これは夫の空気に反応しているんだ!とこじつけたわけです。
自分の発する空気を良くしようと心に決めたはずが、まさか自分が場の空気を下げるような行動をとっていたなんて、、。
愛する道から遠ざかっていた
気づけば、このところ相手の空気に敏感になりすぎて、しんどくなっている自分がいました。
自分の空気を良くするために、と思っていたのに、どんどん違う方向へズレていきます。
どうにかしないと、と焦る気持ちも出てきました。
ですが、先日の図書館の件(子どもが絵本をかじってしまって注意を受けた話)も引きずっていて、なんだか不調な状態から抜け出せません。
例えば、図書館に行く前に「よし、気持ちを切り替えたぞ」と言い聞かせていても、いざ行くと、図書館員さんの視線がやたら気になってしまいます。
そこで、少しでも自分の気が楽になる方法として、本を借りた際には、読む前に汚れや破損を丁寧にチェックすることにしました。
指摘されても自分は悪くないことを証明するためです。笑
実際に、借りる前から汚れているページを発見しました。
返す時に、直接「ここは初めから汚れていました」と伝えようとしたのですが、
「わざわざ言うのもな…
でも何も言わずに返して、また確認されるのも嫌だし…」
と迷い、結局付箋を貼り、「初めから汚れていました」とメモ書きして返すことにしました。
返した後、図書館員の方がこちらを見てる気がして、なんだか不安な気持ちになりました。
「あっ、あの人、私のこと睨んでる?
もしかして、さっきの付箋のこと、怒ってるのかな。
直接言えよ!とか、わざわざこんなことしなくてもいいのに!とか思ってるのかも…。
あーあ、もう、こんな気持ちになるくらいなら図書館で本借りるのやめようかな」
なんて考えも出てきて、気分が落ち込んでしまいました。
そんな時、ある記事を読んでハッとしました。
つい、人は
自分を守ろうとして
防衛本能をはたらかせ
思考が内向きになってしまいます。
でも、
そういうときって
気持ちが自分に向いてしまっているから
自分のことしか考えられず、
周りの人のことを思いやり
愛する道からは、遠ざかります。
この記事を読んで、まさに私はこの状態になっていたなと気づかせていただきました。
「自分のことばっかり考えていて、愛のある行動をちっとも取れていなかった。
自分は悪くない!
怒られたくない!
自分を守るためにどうしたらいいかばっかりで、相手の気持ちに全然気を向けられていなかった。
もし仮に、私が汚したわけじゃないのに注意を受けたとしても、図書館員の方や、次に借りる人が心地よく過ごせるようにって気持ちを向けられたらよかったんだ」
こう思えた瞬間、ぱぁっと目の前が明るくなった気がしました。
自分に気持ちが向いているときこそ
そういえば、図書館の件だけでなく、普段から人と関わった際に
「余計な一言だったかな。
もう少し良い言い方できたよなぁ」
などと自己嫌悪に陥ることがあります。
それは、自分に気持ちが向いている時間だったんだなぁと気づきました。
その時間は、自分のことばかりで、周りの人のことを考えられていません。
当然、誰かのしあわせを想って祈れている、とも言えません。
自分に気持ちが向きかけているときこそ祈るといいよ、と聞いたことがあります。
「祈る」と聞くと、私は形式的な祈りをしないといけないんだと思っていました。
形式的な、とは、神棚の前で手を合わせて、決められた言葉を唱えるような祈り、というイメージです。
でも、祈りはそれだけじゃないことも、想一郎さんは先日お話してくださっていました。
誰かの笑顔を想像する
とか、
感謝する
ということも祈りになる。
この話を思い出し、自分に気持ちが向いてしまう時こそ、相手の笑顔をイメージしよう!と決意しました。
感じられないことへの焦り
それでも、どうしても
「愛のある行動ってなんだ?
そもそも愛ってなんなの?」
と、愛について頭でぐるぐる考えてしまい、純粋に〝感じる〟ということができずにいました。
その焦りの気持ちを想一郎さんは感じとってくださったのでしょう。
私に対して、愛のある言葉をかけてくださったのです。
愛そうとしてみたり、愛を感じようとしてみたりしても、感じることができない、
のは、実は、当たり前。
なぜなら、人が人を愛するのではなく、愛が愛を愛するから。
そもそも、人は愛を頭では理解できないし、愛を知らない。
ただ、「愛念」を送ることはできる。
それでもアナハタチャクラが反応しないなら、
ただ手を合わせて、感謝を感じながら(あるいは、感謝を感じた場面を思い出しながら)、
ありがとうございます、と唱え続けるだけで大丈夫。
がんばり、はいらない。
この言葉を読んだ時、すーーーっと肩の力が抜けるような感覚を覚えました。
頭で難しく考えてばかりで、何も行動できていませんでした。
厳密に言うと、行動はしていたけれど、そこに感情が乗っていなかった、という感じでした。
例えば、一日の終わりに、ありがたかったことを思い出す時間をとっていました。
でも、ただタスクとしてやっていた感じです。
だから、「ちゃんと感謝してるのに、なんで感じられないんだろう」と焦りが募っていったのです。
ただ、感謝してみた
想一郎さんからの言葉を受けて、改めてかっしーの記事を読ませていただきました。
すると、
「あぁ、私がしていた感謝は、なんにも感謝になっていなかったんだな」
と気づくことができました。
そして、私も手を合わせて、「ありがとうございます」とただただ繰り返し言ってみました。
すると、やっと、胸の奥の方がぐわぁっと温かくなってきて、
「あぁ、愛はずっとここにあったんだな」
と思えました。
そのことに気づけた後は、ご飯を食べていてもありがたさが湧いてきて、こういう感覚をもっと大切にしていきたいなと思ったのでした。
まとめ
今回は、人が発する空気について学んだことがきっかけで、空気に敏感になりすぎた失敗談をお話させていただきました。
自分の空気をよくするどころか、私は自分のことばかり考えて、どんどん発する空気を悪くしてしまっていました。
空気を読もうとすると、
「相手に嫌われたくないな。
相手を怒らせたくないな」
と、相手を想っているようで、実は自分を守ることばかりに意識が向いてしまいます。
でも、大切なのは、相手のしあわせを普段から祈ることでした。
私のように、それがなかなか難しい場合は、とにかく感謝すること。
毎日、毎日、感謝して、愛を感じる時間が増えていけば、自然と自分が発する空気も良くなっていくのかなと思います。
私もまだまだそういう時間が足りないので、「日常=感謝」な毎日にしていきたいです!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。
私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。
・「ワクワク」のダークサイド(暗黒面)とは
・9割の人が見落とす〝引き寄せられない〟根本原因
・想像すら超えた未来を引き寄せる、運命を変える秘訣
といったことにも触れています。
よろしければ読んでみてくださいね。
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