魂を磨く

人生を棒に振った男の実話が物語ることとは|才能との付き合い方

これから語るのは、素晴らしい才能を持ちながら全てを台無しにしてしまったある男の物語です。

実在する人物ですから、ほぼ実録としてお読みください。

この話を語る前にお伝えしたいことは、どんな人生にも意味があるということです。

それはその人自信が気づくことかもしれませんし、周りからその人を見て学ぶことかもしれません。

人は人生を全力で生きながら、光に満ちた成功を味わえる人と、何となくで人生を終える人と、転落の人生を送る人に分かれるような気がします。

それはもしかすると、ほんのちょっとした選択や思考の違いなのではないかと思うのです。

人生のどこを変えれば劇的に変化しただろうか、そんなことを考える1つのケーススタディとして考えてはどうか。

そう思い、ある1人の人物の一生に焦点を当てていきたいと思います。

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人生を棒に振ったある男の話~学生編~


その男は幼いころから物事を理解する能力に長けており、1を聞けば10を知るというような明晰さを備えていました。

昭和初期の時代には珍しい英語塾に通い続け語学を磨きながら、勿論進学校でも抜群な成績を誇り、トップをひた走ります。

また身体も恐ろしく頑丈だったため、陸上の大会では記録を打ち立てるなど、部活動に明け暮れる日々です。

学校の勉強は朝早起きをして、1~2時間前日のノートをザーッと見直すだけで頭に全て入りました。

「T君はどうして部活ばかりやっているのに、そんなに成績が良いんだ!?」

周囲からは常に羨望の眼差しで見られます。

腕っぷしも強かったため、喧嘩で負けたことがありません。

皆が自分を褒めたたえ慕い逆らう者もいない、まるで天下をとったかのような日々でした。

それは大学生活でも続きました。

高校生活で陸上に力を注いだことと友人たちが私立に行くということで、東大は諦め上智大学へ進みます。

大学ではまた陸上に汗を流し、夏休みは近くの山へこもり寺で修行に勤しむという充実した日々。

座禅を組み瞑想をしながら時を忘れていると、何かの境地に達したらしく、名高い僧侶に「良くやったーー!!」と認められたことが男の最高の思い出となりました。

そんなことをしている内に、学生たちの間である教授のことが噂になります。

学生に対しぞんざいな扱いをし、気に入らなければ単位を与えないひどい教授なのです。

男は学生たちの代表になったような気分で教授のところに乗り込みます。

そんな教授ですから、勿論聞き耳を持つ訳がありません。

口論になった時、カッとなった男は思わず教授を投げ飛ばしていました……。

ということで、上智大学へいられなくなった男は、他の大学へ編入することを選びます。

早稲田大学です。

他にも早稲田へ行きたがっていた友人がいたので、その彼に勉強を教えながら、自分は試験の1ヵ月ほど前に参考書を買い、サラッと目を通すだけでした。

思っていたよりも難解だった英語の編入試験第1問目の長文並び替え問題は、何十年経っても目に焼き付いている程です。

しかしながら、自分が熱心に教え猛勉強した友人は残念ながら不合格となり、男は合格し無事早大生デビューを果たすのでした。

人生を棒に振ったある男の話 社会人~晩年編


大学では英語の他にドイツ語を専攻し、語学の楽しさに目覚めます。

「このまま卒業後は日本を飛び出して、海外を転々とする生活を送りたい」

そんな夢に胸が膨らみます。

4年生の時には外資系の企業に入社が決まり、卒業まであとわずかというところで男に最大の転機が訪れました。

医者に結核を診断されたのです。

いきなり暗闇に突き落とされた気がしました。

勿論その時点で就職はパーです。

海外で活躍する華々しい人生を夢見ていた男にとって、晴天の霹靂とも思われる診断でした。

隔離された病室の中で悶々とする日々が続き、数か月後退院してからは、坂を転がるように没落の一途を辿ります。

田舎の実家に帰り家業の問屋を継ぐことになりましたが、何せ人に頭を下げることができませんし、元来自由人な性質が邪魔をしてずーっと店にいることが苦痛でたまりませんでした。

ふらっと店に現れてはお金を取り、またどこかへふら~っと出ていくようなありさまで、仕事はままなりません。

肩書は言葉の魔術で「青年実業家」であり、学歴もそれなりだったため結婚はすぐ決まりました。

しかしそこでも問題が発生します。

せっかく実家に嫁いできた妻を、母親や兄妹がいびりはじめたのです。

とても辛そうにしている妻を見かねて何とかしようと試みますが、学生時代培ってきたような、人を力で抑える人間関係しか築いてこなかった男は、家族を怒鳴ることしか知りません。

誰をも凌駕するような才能は、いつの間にか男を相当不器用な人間へと成長させていました。

そして、とうとう家族から勘当され出ていくことになりました。

家を出ることは職を失うことに繋がります。

今まで誰よりも自分は才能があると自信に満ちた人生を送ってきた男にとって、「一国一城の主」であることが全てであり、誰かの下で雇われて働くなど死んでも嫌なことです。

かつて自分の子分のような存在だった同級生たちはあっという間に成功し、自分を助けようと声を掛けてくれますが、お金は貰えようともプライドが許さずそこに頼ることはありませんでした。

いくら家計を支えなければならない大黒柱であっても、3人の子どもがいようとも、それだけは男にとって絶対に譲れないことなのです。

「男には、譲れない夢があるんだよ」

これが男の口癖でしたが当然理解されるはずもなく、家ではいつも妻と口論になる日々でした。

いつしか酒に溺れるようになり、仕事でも安定した収入が得られなかったため、ついに離婚することになりました。

一時は羽振りの良い時もありましたが、それ以降全く振るわなくなります。

数十年「いつか俺は…」と言い続けた男。

晩年タバコと酒に侵され続けたことが祟り、様々な病気や痴呆を患い成功どころの話ではなくなっていきました。

60代後半から早くもグループホームに入所することになってから10数年。

施設の職員にかつての栄光や「最後に一発当ててやる」などという言葉をあしらわれながら、一生追いかけたお金儲けとは無縁の心穏やかな日々を送っています。

やり直すならこの地点 その1


この男の人生を眺めていて、あなたならばどこが分かれ目だと思いますか?

またどう行動をすることで変化をもたらしますか?

幼少期から学生時代において、あまりにも恵まれすぎてしまったことは男の不幸を招いているように思われますが。

たとえばですが、人が自分を褒め称える時それを全て自分の能力だと受取らないことにヒントがあるような気がします。

内田樹さんの、「『贈り物』としてのノブレス・オブリージュ」という随筆にはこのようなことが書かれています。

「天賦の才能」という言葉がありますね。それは自分に備わっているさまざまな能力や資質を「天からの贈り物」だと感じることです。贈り物だから、むろん返礼義務があります。
(中略)
人知を超えた「超能力」を持つ人が「私には超能力がある」と言い出したら、私たちがまず問うべきは「あなたはその天からの贈り物にどのようなかたちで返礼するつもりですか。」ということです。
(中略)
人間が持つ能力は、能力それ自体によってではなく、ましてやその能力が所有者にもたらした利益によってではなく、その天賦の贈り物に対してどのような返礼をなしたかによって査定される。私はそう思っています。

自身の才能は所有者のものではなくて、返礼義務があるのだと考えましょうということだそうです。

「ノブレス・オブリージュ」とは貴族の権力や社会的地位の保持には責任が伴いますよ、ということを表す言葉ですが、それを才能に置き換えたわけですね。

言い方は悪いのですが周囲を見渡すと、自分に能力があることそれ自体を最初から当たり前のこととして受け取り、「どう?すごいでしょ?」というところで留まっている人が多く見受けられます。

「その才能って、生まれつきではないですか?」

勿論努力をして勝ち取った能力もあるとは思いますが、ここではそもそも人知を超えた「超能力」を持った人のことですから。

私は残念ながらそんな超能力は持っておりませんけれども、「自分は人よりもここだけは秀でているな」というところは誰しもありますよね。

そんな時は、自分だけが受け取るのではなくてまずは疑問を持ってみると良いかもしれません。

「自分のこの能力は、何か役立てろという神様からのメッセージなのではないか」と。

冒頭でも書きましたが、どんな人生でも意味がありますし、どんな人でも何かしらの役割があるはずです。

その能力を持っていることが素晴らしいのではなくて、その能力をどれほど人々にお返しすることができたかで、人間の真価が問われるということです。

それに気づくことができれば、この男も傲慢さや変なプライドを捨てて求められたことに素直に生きられたかもしれません。

やり直すならこの地点 その2


大学卒業後、家業を継いだ時でしょうか。

過去に捉われ、現在のやるべきことに気もちの切り替えができていないことが人生を狂わせているように思います。

傾きかけた家業を継ぐというのは、海外を飛び回り活躍する人生を目指した人からは、詰まらないものに見えたのでしょう。

けれども一応「一国一城の主」であることには変わらないわけですし、発想次第ではその中で大きな夢を描くこともできたはずです。

理想と現実との狭間で現実逃避をすると、夢の中ではいくらでも楽しい妄想ができますが、いつまでも叶うことはありません。

どうしたらこの目の前のことを達成できるだろうか、と何に対してもまずは懸命にやってみれば良かったのではないかな、と思うのです。

自分がやりたいことや成し遂げたいことに執着する気持ちは分かるのですが、自分が予想だにしなかったことを求められたり、人生が拓けたりすることもあります。

先程の「天賦の才能」は他者が新発見してくれることだってあるのです。

求められることが自分の本望と違うものだとしても、自我を手放し物販の仕事について集中していけば、それを通してまた新たな展開を生み出すことができたかもしれません。

やり直すならこの地点その3


最後は離婚したときかなぁと思われます。

自分の夢と家族とを天秤にかけた時でしょう。

妻もぎりぎりのところまで信じ我慢しましたし、男も「どうしても離婚したくない」と半年ほど粘ったのですが、格好良く言えば「男の意地」というものを通した形になりました。

人生を豊かにする一つの大切な要素として「家族」やその「愛情」があります。

人生の成功とは何かと考えた時に、「お金」や「自由な生活」が浮かびますよね。

お金があれば、人生のほとんどの悩みは解決されますし、大胆なチャレンジをしようという気力にもつながりますし、優雅な生活も手にすることができます。

最初のうちはお金があることで得られる目くるめく世界にうっとりとするのかもしれませんが、それが当たり前になった時、果たして何が残るのかということですね。

切り捨ててしまったもの、失ったものが実は自分の一番の心の拠り所であった、というのは良くある話で。

人は失わなければ価値に気づかないとするのは、あまりに悲しいことだなと思います。

眼をくらます大きな敵は「欲望」です。

欲望が決して悪いことではありませんが、何かと天秤にかける場面を迎えた時には慎重に踏みとどまる必要があるのかもしれません。

ギャンブルと同じで、「ここまで命を燃やしてきたのにここで諦めるのかー!」と執着してしまう心理が、もしかしたら真の幸福を手放しているのかもしれないということですね。

まとめ


私はこの男をずーっと近くで見てきました。

そう、もうお気づきになったかもしれませんが、この男は私の父親なんです(笑)

破天荒にもほどがありますよね~。

父を見るといつも夏目漱石の『坊ちゃん』の冒頭を思い出してしまいます。

親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかもしれぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら,同級生の一人が冗談に,いくら威張っても,そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫や-い。と囃(はや)し立てたからである。小使いに負ぶさって帰ってきた時,おやじが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから,この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

負けず嫌いの塊である主人公を表すこの「無鉄砲」という言葉が、父を表す最適な言葉の用にも思われますし、それがそのまま私に引き継がれていることを感じております(笑)

こんな父親ですが、「子どもは可愛いもんだ」と常々話しており、歳の離れた末っ子だった私は特に溺愛されました。

表面的には好きではないと思って生きてきたつもりが、振り返ってみると実は父を愛しているんだなということに気づかされます。

教育学部に進んだ私がかつて卒論に選んだテーマは、教育論ではなく漢詩で大成した「李白」であったのは、その1つなのかもしれません。

漢詩の世界で杜甫と並び称される李白は、酒と女を愛し成功を望み、チャンスがあれば勇んで自身を売り込むような豪快な人でした。

昼から酒をあおり飄々と生きながら、壮大で素晴らしい世界観の詩を創り出すことから、「詩仙」と呼ばれます。

詩の世界以外での成功を望みながらそれが叶わなかった晩年の李白は、舟に乗りながら酒に酔い、川面に映った月を手ですくおうとして命を落としたという伝説が遺されています。

夢を追いながら結局果たすことができなかったということですね。

そんな李白に心惹かれてしまうのは、多分に父の影響が大きいのだろうと今は正直に認めています。

この父のために苦労をしましたし、家庭内で父と母の喧嘩するのを毎日のように見て、幼いころは心が安らぎませんでした。

しかし一方で、自分の武勇伝を豪快に語る姿や、ドイツ語の歌を高らかに歌う姿はとても印象的でしたし、人と上手く関係を作ることができない不器用さはまるで自分を見ているようで共感できます。

というか私が父に似たんですね(笑)

なぜその才能が与えられたのかという意味を考えなければ、ただただ「自分が凄い!」という自己満足に溺れ、「ノブレス・オブリージュ」精神である価値の提供までいきません。

人間の真価が、「いかに人に貢献できるか」だとするならば、せっかくの才能は本当に宝の持ち腐れになってしまいます。

「どうだー。凄いだろー!」と言っている人ほど、人が離れていきますよね。

本当に凄い人は、自らがアピールしなくても周囲が評価するものです。

この父の人生は、一体何の意味があったのだろうかと考えると少し悲しくなりますが、けれども私にとっては反面教師としての学びを多く与えてくれました。

またこうしてお伝えすることで誰かの光となることを祈っております。

初心者スピ部長・カリーネの愛の引き寄せ道場!

私の師匠の黒澤全先生からは「神話を進める」という言葉がよく出てきます。

これは、それぞれの人の課題・陥りやすいパターンを克服し、まるで物語をなぞるように成長に向けて人生を進めるということのようです。

ですから、皆に共通する課題ではなくて、一人一人違うようですよ。

黒澤先生は何千人もの相談に乗ってきたからこそ、人生を成長から遠ざけるトリガーを発見するのがとっても得意なのだそうです。

私の父の人生は、このトリガーから逃げたために成長を逃してしまったパターンなのかもしれません。

課題に向き合うのは恐ろしいですし、それを克服するためには大きな労力を使います。

できればそれまでいた居心地のよい場所から抜け出したくはないものです。

けれどもそれが逆に苦労のはじまりで、自分の克服しなければならない課題は、形を変えてしかも逃げれば逃げるほど大変になっていきます。

ですから、早いうちに克服して次々と経験を増やした方が、実は楽だったりするのです。

その課題は、人間関係であったり、自身の性格上の問題であったり、家族との関係でったりと人それぞれです。

黒澤先生の文章を読んでいると、「これって、まさに自分のことだ!」と思えるようなことが書かれていて、とても驚きます。

「そう言われてみれば、人生で同じことを繰り返しているかも」とか「そろそろ自分の課題と向き合わねば」そんな風に感じているあなたの背中を押してくれる、黒澤先生のメルマガを是非読んでみて下さい。

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