思考を鍛える

一日一生という生き方を誤解していた|満足と幸せの違いについて

一日一生の生き方

一日一生、ということわざがあります。

一日は一生の短縮版だから、一日を一生のつもりで一生懸命に生きましょう、という意味の禅語だそうです。

どことなく「今日が最後の日だとしたら、何をしますか?」のマインドに近い感じがしますね。

「火事場の馬鹿力」とも言うように、人は「死」を意識するとパフォーマンスが上がるらしい。

しかし、私は「一日一生」にちょっとモヤモヤしていました。

一日一生という生き方は、刹那的?

だって、今日一日が一生で明日には生まれ変わるのだとしたら、今日でできることなんて限られてるじゃないですか。

例えば、『ハリー・ポッター』を超えるような世界的ベストセラーを書く作家になりたい!という夢があって、文学賞に向けてせっせと執筆活動をしていたとしましょう。

今日、原稿用紙に何枚分か書き上げたとしても、その作品は出版どころか完成すら叶わず夜中の12時を過ぎて、ハイ終了です。

芽が出ないまま死んじゃうなんて、悲し過ぎませんか?

もしも今日で死んじゃって明日には関係ないなら、私はコンビニでお菓子を好きなだけ買って来て、死ぬほど食べてオエってなりながら、満足して死にたい。

死んじゃって、明日に関係ないならもう何したっていいよね?

だから「一日一生」って刹那的な考え方で、逆に明日に向かって努力するためのヤル気がなくなるんじゃないか、と思っていました。

頭では「ふむふむ、死ぬ気でやれってことね」と文字では理解していても、いまひとつ感覚がつかめなかったんですね。

ところが、ある経験がキッカケで「一日一生」の意味がやっとわかりました。

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全力を超えて、やりきってみる。

経験したばかり、というか現在進行形なのですが、私は今めちゃくちゃ勉強しています。

大学受験の時だってココまでやらなかったぞ、というぐらいの「必死さ」で、大量にインプット中です。

まず、月に1回、2日間連続でビジネスのセミナーに通っているのですが、講座の日以外も毎日メールマガジンや音声セミナーが届きます。

メールを読んだり、音声を聞いたりしながらノートにまとめて、質問や感想を送ってだいたい1時間〜2時間くらい。

この他に、文章スキルのオンライン講座と、古神道をベースにした生活様式や占い、神社の話などが学べる講座を受講していて、こちらも毎日のようにコンテンツが届くので、追いつくだけでやっとです。

もちろん、座学で学ぶだけでなく生活の中で実践もしています。

今月は特に「浄化」に力を入れていて、自宅の掃除・整理整頓、みそぎをするように、お風呂で体を洗うこと、ヨガの行法の一つ「鼻うがい」、そして浄化瞑想などを、めちゃめちゃ本気でやっています。

出かけるときなんかも、カバンの中を整理整頓したり、テーブルの上を散らかさないで綺麗に使ったりして、まるで自分が空気清浄機になったみたいに(笑)、とにかく「浄化」の意識で過ごしています。

そうやって、勉強したり実践したりして、学んだこと・気づいたことをここのブログで発信しているというわけです。

やることがいっぱいなので、以前のようにネットとか動画を見てダラダラしている暇はありません。

ごはんも、何でも好きなものをお腹いっぱい食べると眠くなってパフォーマンスが落ちるので、最近はおにぎり1個と具多めの味噌汁を1日に2食が標準の、軽めの食事を取るようにしています。

いい情報を、いい気持ちで、発信できるように、そのぐらい全力を尽くしています。(それでコレかよ、って思われたらすみません、善処します・・・。)

寝る時間は深夜の1時、2時を回ることもあり、かなりヘロヘロになりますが、不思議と気分は清々しく眠りに落ちています。

手塚治虫の漫画『百物語』の主人公、不破臼人ふわうすとが最後、処刑されて死ぬときに「何か言い残すことはないか?」と聞かれて「ない、満足して死ぬ!」って言うんですけど、まさにそんな感じ。

「あー、皿洗いしてなかったな、メールマガジン未読のがあったからあした読まなきゃ」みたいな心残りがなく、「今日はやりきった!寝る!!」とスッキリ寝られるんですね。

決して何もかも100%完璧にできたわけじゃないし、読んでないメールマガジンもあるし、もっと掃除したいところもあります。

ブログだって、もっと腕を磨けば1日に10記事ぐらい書けたかもしれません。

でも、今日の自分にできることは、確かに全力でやりきって、余力を残してないから、いいんです。

今日もいい1日だったなあ、明日はもっと成長しよう・・・スヤァ・・・って寝そうになってるときに、気づきました。

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一日一生という生き方は、プロセスが大事なんだ。

高齢で死ぬ間際の人が公開することナンバーワンは、「挑戦しなかったこと」だそうです。*

一日を一生に見立てた時にも、もっとできたのに「挑戦しなかった」ときは、その心残りが寝る瞬間にモヤっと出てきます。

たとえ、結果はまだ出なくても、失敗したとしても、昨日の自分を1ミリでも追い越せるように、全力で挑戦できていたら、それは素敵な一日なんだと思います。

それに近い話で、作家の森博嗣さんが「幸せ」を次のように定義していたのを思い出しました。

不満を持っている方が、満足しているよりも幸せだ。

幸せは、満足へ向かう加速度のことだからである。
引用:『常識にとらわれない100の講義』森博嗣

私には今、不満はいっぱいあります。

仕事の面では、文章スキルもコンテンツについての知識も足りないし、もっと経験を積まないといけないし、周りの人や読者さんのことをもっと考えられるようにならないと、と思っています。

浄水器を良いやつに買い替えたいし、旅費に糸目をつけずに神社参拝とか取材とかで全国を飛び回りたいので、正直、お金も欲しい。

かといって今が幸せじゃないかというと、強がりじゃなくて本当にそんなことはありません。

泣きそうなほどの幸せを、一日の中で何回も味わっています。

天気が良いなあとか、道ゆく人が連れてる赤ちゃんが可愛いとか、美味しいごはんを食べてるとき、この前なんか駅で階段を登っていて「足って便利だなあ」って感動してました(笑)。

もちろん、こうして文章を書いてるときや、読者の皆さんからメールとかでリアクションをいただいたときも、とっても幸せです。

関係ないようだけど、全力疾走しているからこそ雑念が静かになって、素敵な景色に気づけるようになったんじゃないかな、と思います。

*死ぬ前に人が最も後悔するのは「挑戦しなかったこと」|ライフハッカー

一日一生の生き方、まとめ

一日一生の生き方は、「どうせ今日で死んじゃうなら、もう何も間に合わないからテキトーで良いや」という投げやりな生き方ではなく、「たとえ今日で死んじゃっても、悔いのないように全力で挑戦する生き方」です。

それで失敗に終わったり、結果が出なかったりして「満足」はできなくても、「満足」に向かって全力疾走するプロセスは、それ自体に「幸せ」を感じることができます。

今まで全然チャレンジしてなかったなあ、という人も大丈夫!

昨日はもう「前世」で関係ありませんから、今日、今この瞬間から、幸せの加速度をつけていきましょう。

この後も、幸せいっぱいの時間を過ごされますように!

ABOUT ME
高橋久美
会社を8年でやめてフリーライター4年目。たまたまブログから見つけた佐藤想一郎さんのご縁で最高の仲間たちと出会い、WEB媒体の他、最近はブックライティング、雑誌の編集など忙しくも充実した毎日を送っている。読んだ人の心が明るくなって、人生まで良くなってしまうような文章を目指して修行中。→ 詳しいプロフィールはこちらから
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。

私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。

・「ワクワク」のダークサイド(暗黒面)とは
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といったことにも触れています。

よろしければ読んでみてくださいね。

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