「ボランティアをして徳を積む」
と聞いて、あなたはどんな事を思い浮かべますか?
もし、ボランティアをして徳を積みたいと思うなら、あなた自身が活動をとことん楽しみましょう。
ボランティアは楽しむからこそ、徳が積めるのです。
分かりやすく解説しますね。
良かったら参考にしてみてください。
目次
ボランティアで徳を積むなら、奉仕活動をしない
ボランティアとは、自ら率先して行う慈善活動のことです。
一方でボランティアには奉仕活動という面もあると思いませんか?
奉仕活動とは
『報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うこと。』
です。
もし、ボランティア活動と奉仕活動を同じものと思っていたら、それはちょっと違うのかもしれません。
報酬も求めず、見返りを求めないで労働をしたら人の心は折れてしまうし、もしそればかりしていたら生活出来なくなってしまいます。
それが徳を積むことになるのでしょうか?
ボランティアで自分探しをしても、徳を積むことにはならない
わたしが過去に働いていたネイルサロンに、ボランティア活動をしているお客様がいました。
仕事も充実しているし、何年も付き合っている彼氏もいて、そこそこの収入もある。
何もかも満たされていて、何にも不満がないのかと思いきや
「わたしはこのままでいいのだろうか?他に何かわたしがすべき使命があるのではないか?」
とずっと思い悩んでいるようでした。
するとある日、ボランティアを始めたというのです。
仕事が終わってからの、18:00から20:00までの間、障害児が通う施設で介護スタッフとして働きはじめました。
うわー、すごいな〜。偉いな。
綺麗に伸ばしていた爪も短くして、控えめで目立たない色に変えました。
それから数ヶ月。
だんだんお客様の手がガサガサになってきました。
短くしているにもかかわらず、爪には亀裂が入り、カラーの持ちも悪くなってきたのです。
そして、お客様はついに
「辛い、生傷が絶えない、体力がもたない」
とこぼすようになりました。
彼にも心配され、辞めるように説得されているとのこと。
施設では、自分より体格の大きい子が力任せに体当たりしてくるのだそうです。
たしかに、腕や足を見せてもらうと青あざがそこら中にあります。
そのときのわたしは、『ボランティア活動偉い!!無料奉仕素晴らしい!!』と思っていたので、なんにも言えませんでしたが、短くパツパツに切り揃えた爪や地味なカラーはお客様らしくないなぁ。と思っていました。
お客様本人は、
「辞めてしまったら、自分は続けられなかったダメ人間というレッテルを貼られてしまうようで怖い。」
「自分との約束を守れなかったみたいで悔しい。」
と言います。
しかし、どんなに尊いといわれる仕事でも本人がしんどくて、明らかに周りから心配されるような状況ならばやらなくていいのです。
神様は、「辛くて大変な労働をして徳を積みなさい」とは言いません。
もし、自分が何とか障害児のために役に立たなきゃいけないと思うのならそれはお門違いです。
障害児達と上手くコミュニケーションが取れて、楽しくボランティア活動できる人達が必ずいるので、その人達に任せればいいのです。
自分が役に立たなきゃと頑張ってしまうと、せっかくよいことをしても徳を積むことにはなりません。
win-winの関係でボランティアをする
ボランティアで徳を積むなら、楽しんでやればいいのです。
もうひとり、お客様にボランティアをしている人がいましたが、この方はとても楽しそうでした。
ある日、「来週からハワイに行くの」と言います。
「へぇー、いいですね!何をする予定ですか?」
と聞くと、ハワイで行われるホノルルマラソンにボランティアとして参加するというのです。
「えっ、ボランティアって何をするんですか?」
驚くわたしにお客様は、色々教えてくれます。
そのときの表情がなんとも楽しそうなのです。
ホノルルマラソンで走ることはできないけれど、ボランティアとして参加することはできる。
非日常空間として、普段では味わえない経験や刺激的な体験ができる。
わたしは日本人がハワイに行く理由は旅行と決めつけていましたが、ボランティアを楽しみにハワイに行く人もいるのです。
きっと観光よりも心に残る体験になりますよね。
誰かのためにもなって、自分も楽しい。
win-winの関係でボランティアをすると、周りに笑顔が増えて、明るくなって神様も喜びそうですよね。
これなら、徳を積めそうです。
徳を積めなくてもいいと思う
ある日、お客様から商店街でカレーフェアをやっていると教えてもらいました。
飲食店が様々なカレーを提供して、地域活性化を目指すというイベントなのですが、ここでもボランティアが活躍していました。
オープニングスタッフをボランティアで募集して、カレーフェスティバルを盛り上げていたのです。
カレー好きな人って多いですよね。
カレーという名目で、様々な地域からたくさんの人が集まればその地域は潤います。
人と人との懸け橋をボランティアとして手伝えたら、何だか嬉しくなりますよね。
楽しいイベントにボランティアとして参加すれば、自分も楽しい時間が過ごせます。
「楽しい時間をありがとう。」
自然とこんな気持ちになるのではないでしょうか?
すると、徳を積みたいという気持ちが薄れていきませんか?
「ああ、楽しかったな、徳を積めたらいいけど、積めなくてもいいよね、楽しかったから。」
という気持ちになりませんか?
徳を積みたいと思う気持ちは、言い換えれば「自分は徳を積めていない」と思うことです。
徳積みを忘れてボランティアを楽しみましょう。
自ら辛いことをしなくてもいい
もし、あなたが徳を積みたいと思うなら、ボランティアをしようと意気込むよりあなたがご機嫌でいることです。
常にご機嫌でいなさいということではありません。
徳を積むために、辛い思いをしなくてもいいのです。
人は「辛いこと」「悲しいこと」「大変なこと」がなければ成長できません。
成長するためには、辛いこともありますが、自分の人生をコントロールしようとして、わざわざ辛い目に合わなくていいのです。
「よし、徳を積むぞ」と意気込んで、望んでいないのに被災地に行ったり、お金がないのに募金するのは、違うのではないかとわたしは思うのです。
あなたが誰に媚びるのでもなく、したいように自由に生きていれば、なぜか心の底から「全てがありがたい」と思う日がやってきます。
「わたしはこんなにも受け取っていた」と思うようになります。
できないことはやらない
わたしは、自分にはできないことがたくさんあると思っていましたが、最近、できないことはやらなくてもいいからできないのだと知りました。
わたしができないことは、必ず周りに得意な人がいて、降参すれば代わりにやってくれるのです。
自分のできない事を勉強し、技術を身につけて埋めていくのではなく、できない自分をさらけ出し、降参して身軽になっていくのです。
このブログの開設者の想一郎さんの言葉を借りれば「さっさと自分に絶望する」のです。
そうすると、してもらうことが増えるので、自然に恩返ししたいという気持ちが湧いてきます。
恩返ししたいという気持ちでボランティアをすれば、気持ちもこもりますし、楽しく徳が積めそうですよね。
ボランティアをすると徳が積めるのかについてのまとめ
わたしは「ごきげんでいる事」「誰かの投稿にいいねを押す事」も、ボランティアと言えると思います。
インターネットが普及して、どんな状況にいても、誰かと繋がりたい、誰かを応援したいと思えばできる世の中です。
何か役に立ちたいけれど、自分に何ができるのかわからないと思っているあなた。
体調が悪くて横になってばかりだけど、何か役に立てることはないかと思っているあなた。
誰かの投稿に「いいね」をしたり、「ありがとう」というだけで相手は報われます。
被災地に行く、募金をする。
その行為も素晴らしいですが、こんな小さなボランティアでも、徳を積むことができるのです。
読んでいただきありがとうございました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。管理人の佐藤想一郎と申します。
私が執筆しました、レポート『Cycle(サイクル)』では、今まであまり語られることのなかった〝引き寄せの法則の、もう1つの側面〟について書いています。
・「ワクワク」のダークサイド(暗黒面)とは
・9割の人が見落とす〝引き寄せられない〟根本原因
・想像すら超えた未来を引き寄せる、運命を変える秘訣
といったことにも触れています。
よろしければ読んでみてくださいね。
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